2006年01月04日

天皇家は渡来王朝か?

今上陛下が数年前、桓武天皇の生母・高野新笠が百済出身であることに触れられ、皇室と韓国のゆかりについて語られたことが話題となりました。
しかし、一国の王族が近隣国の者と婚姻関係を結ぶことは、なんら珍しいことではありません。また、太古より日本列島には海流に乗って様々な民族がやって来たでしょうし、歴史上活躍した渡来人は数多くいます。純粋な縄文人の末裔でなければ日本人でないというのなら、そんな人は現在この国にどれだけいらっしゃるのでしょうか。



戦後、江上波夫の騎馬民族征服王朝説が学会を揺るがしました。しかしながら、今のところそれを実証するには至っていません。果たして天皇家のルーツは、渡来人による征服王朝なのでしょうか?
日本書記には、意富加羅国(伽耶)王子ツヌガアラシトの来日説話があります。一方、古事記には新羅王子アメノヒボコ来日説話があり、ツヌガアラシトとアメノヒボコは同一人物との説があります。関は、アメノヒボコの渡来ルートに、古代の鉄の流通ルートを見ます。
関の説を乱暴に簡略化すると、ヤマト朝廷の成立過程は、鉄をめぐっての政界再編劇です。アメノヒボコと神功皇后は、ヤマト勢力を代表し、北九州の邪馬台国(ヒミコ)を征服。さらにヒミコの後継女王とされるトヨを、神功皇后と同一人物であるとします。そしてアメノヒボコと神功皇后の子が応神天皇であり、応神天皇はヤマトへ東遷。これが神武東征神話のモデルです(・・・な、なんだって?!)。
アメノヒボコとは、鉄を求めて朝鮮半島へ渡り、再び日本へ戻ってきた人物・・・つまり関は、皇室の祖先は海峡を往還したとのアクロバチックな説を採るのです。
アメノヒボコゆかりの但馬地方で、古代の製鉄遺跡が発掘されれば、関の説に大きくプラスとなりますが・・・
(1月4日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:28| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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