2006年01月29日

宮廷バイオレンス

平安時代といえば、やんごとなき貴族たちが和歌を詠んだり音楽に興じる、源氏物語絵巻に描かれたような雅やかな世界が想像されます。
しかし・・・平安京の宮廷内は、想定外の血腥い暴力で満ち溢れていたのです!



殴り合う貴族たち

平安時代を代表する人物といえば、藤原道長。彼からして、粗暴な振る舞いの多い人物でした。
官吏の採用試験に手心を加えるために試験官を拉致したり、妻の外出の準備に手間取った者(中級貴族)を監禁したり、挙句の果ては自らの邸宅を造営するために、平安京の建造物を破壊しては建材を徴用しました。

道長と同時代人に、藤原実資という人物がいました。賢人右府(賢い右大臣)と評された彼の日記「小右記」には、当時の貴族たちの暴力沙汰が生々しく描かれています。
ちなみに「小右記」とは、小野宮に住む右大臣の日記という意味です。

とりわけ暴力沙汰が多いのは、道長・道隆(道長の兄)の子や孫にあたる、若い貴族たちでした。
道長には倫子・明子の二人の妻がおり、倫子の子である頼通・教通は摂政関白を歴任しますが、明子の子供たちはそうではありませんでした。そんな境遇のせいか、明子の子である四男・能信は問題児として何度も登場します。

道隆の子の伊周・隆家兄弟が、花山法皇襲撃事件で失脚したのは有名です。
さらに道隆の孫の道雅は「荒三位」「悪三位」と呼ばれるほど、数多くの暴力事件を引き起こしています。

花山法皇もまた、奇行の多い天皇として歴史に名を残しています。お住まいの花山院の門前を通る者を、妨害しては楽しんでいました。
当時は貴族の邸宅の門前を、馬や牛車に乗ったまま通過するのを無礼として投石する風習があり、法皇の行動はそんな風習がエスカレートしたものだったようです。

皇族では敦明親王も、トラブルメーカーとして名を残しています。
道長の圧力によって皇位に就けなかった彼は、藤原一族から軽く見られていたようで、それに対する反発が数々の紛争を起こしたようです。

女性も負けてはいません。女房(宮中に仕える女官)が男性と殴り合いの喧嘩をしたとの記述もあります。
前妻が嫉妬に駆られて後妻を襲撃する事件も珍しくなかったようで、後妻打(うわなりうち)という言葉まで生まれました。

平安とはとても呼べない、こんな時代の貴族には生まれ変わりたくないですね・・・

(1月28日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 11:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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