2006年02月22日

情報と生命と聖性と

みなさんには「この分野の本を読むなら、この著者で」という人はいませんか?
私の場合、IT(情報技術)分野はいつも、西垣通を読んでいます。


情報学的転回

西垣 通著



西垣通はエンジニア出身でありながら、情報と社会・文化の関わりについての著書を数多く手掛け、近年は小説も発表しています。本書は、彼の提唱する情報学のあり方を語り下ろしたもので、彼が文系の知と理系の知を横断する思考に至った経歴も明らかにされる、興味深い一冊です。

情報とは何かと聞かれて、0か1かでデジタル処理されるものと答える方が多いのではないかと思います。しかし、それは最も狭義の情報の定義であり、西垣は、情報とは生命的なものだと言います。
世界の根源的な要素である、物質とエネルギーと情報。前二者は宇宙の創生から存在しましたが、情報は生命の誕生とともに生まれました。実体のある前二者に対し、情報とは生命と対象との関係性から生まれるものです。

IT文明の根底には、ユダヤ=キリスト教の一神教的世界観があります。神が生物を創ったとする一神教的世界観が矮小化されると、生物を機械とみなし、人間をもロボットとみなす危惧をはらんでいます。
ユダヤ=キリスト教文明の産物である近代合理主義を、表層の実利的な部分だけを取り入れ、一方で自国の伝統的価値観は形骸化してしまった、無宗教国・日本。過当な競争は、中高年の自殺、ニート化する若者などを生み出しました。人間をIT文明の奴隷から解放するために・・・西垣は、人知を超えた聖なるもの=聖性を取り戻すことの必要を訴えます。
IT文明の本家・アメリカは、キリスト教が生活に根ざした、実は宗教的な国です。

ユダヤ=キリスト教を相対化しうる思想として、西垣は古代インド哲学に期待します。生物を神の創造物として外側から眺める前者の生命観に対し、後者は生命は自己創出するという最新の生命観=オートポイエーシスと共鳴するというのです。
古代インド哲学云々・・・は、正直よく判りませんでした。しかし、彼の学問といいますか、知のあり方に対する態度には非常に共感いたしました。

(2月20日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:23| Comment(10) | TrackBack(1) | 科学技術交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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