2006年05月21日

モナリザ・コード

タテ77cm×ヨコ53cm。この小さな一枚の絵は、世界最高の名画と呼ばれています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ

名画の条件とはなんでしょう?
見る者を圧倒するスケールの大きな絵や、技術的に優れた絵は世に数多くあります。題材が名画の条件なら、神話や聖書のシーンを描いた作品、歴史上の重要な事件を描いた作品こそが相応しいでしょう。たかが一人物の肖像画が、何故これほどもてはやされるのか…常識を疑うのが好きな私は疑問に思います。
あるいは、作者が偉大だから名画なのでしょうか?
万能の天才レオナルドは、ルネサンスいや世界史を代表する芸術家です。文句の付けようがありません。しかし私には、職業画家としては疑問符を付けたい点もあります。
レオナルドの現存する絵画は、二十点弱。作品数が画家の優劣を決めるものではありませんが、未完成で投げ出した作品が多い人です。絵画よりもデッサンにこそ、レオナルドの真髄があるとの意見もあります。
技術的にも問題があります。『モナ・リザ』と並んで有名な『最後の晩餐』ですが、こちらは当時の壁画の主流であるフレスコ(速乾性)ではなく、定着性が悪く壁画には向かないテンペラ(遅乾性)を用いています。そのため完成直後から、剥落が始まっているのです。


モナ・リザの罠



西岡 文彦著



『モナ・リザ』をめぐる美術批評を超越した言説、それはウォルター・ペイターという人の文章から始まっているそうです。以降、ペイター抜きに『モナ・リザ』を語れなくなってしまいました。まさに「モナ・リザの罠」です。
では『モナ・リザ』の名声は、ペイターによって水増しされているのかというと、そうでもありません。
見るものに謎掛けするような不思議な微笑み
画面に筆跡を残さないスフマートという技法
地質学的素養の深さを示す背景のリアルな地形
やはり『モナ・リザ』が名画であることに変わりはありません。

そういえば『モナ・リザ』の背景って、不思議ですね。
なぜ彼女は、荒野の中に一人ぽつんといるのでしょう。しかもその背景は、本書の指摘で初めて知ったのですが、上下左右に4つの異なる風景を描いています。
それから絵の両端が切断されているとの疑惑。過去の『モナ・リザ』の模写には、両端に柱が描かれているのです。ルーブル美術館の検定結果はモナ・リザの切断痕を否定していますが、著者は複数の模写の存在から切断説を支持しています。
しかし何よりも『モナ・リザ』最大のミステリーは、記録魔・メモ魔であったレオナルドの手記に『モナ・リザ』に関する記述が一行も無いことです。ただ、現存する手記は全体の4割だそうなので、驚くような発見が今後あるかもしれません。

あわせてこちらも読んでみました。


レオナルド・ダ・ヴィンチ芸術と科学


カルロ・ペドレッティ〔ほか〕著 /
ラーン・大原三恵訳 / 小林 明子訳 / 前田 富士男監修・監訳


絵画、機械のデッサン、人体解剖図までカラー写真で見ることができます。

(5月15日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
キリスト・コード


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:44| Comment(17) | TrackBack(1) | 芸術・娯楽交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

ミスター円の食文化外交

イギリスが大英帝国として世界に君臨できたのは、産業革命のおかげである…もちろん間違いではありませんが、産業革命とともに「食」の市場を制したことが大英帝国覇権の基盤であったこともまた重要です。先進国は必ずしも工業一辺倒ではありません。アメリカ・フランスは、今も農業大国であります。

大航海時代、まず世界に打って出たのはスペイン・ポルトガルでした。そのスペイン「無敵艦隊」を打ち破り、代わって七つの海を制したのがイギリスです。
しかし、イギリスの覇権はスペインとの海戦の勝利だけでもたらされたのではありません。スペイン・ポルトガルが現地人の殺戮を伴う収奪的な植民地経営を行ったのに対し、イギリスは綿花や羊毛や小麦などの産業の育成に成功しました。
イギリス植民地から独立したアメリカは、農業大国として世界経済に頭角を現します。

食を資源として世界市場を制したイギリス・アメリカに対し、食を文化として育てた国がフランスで、シラク大統領はイギリス人を指して「食い物の不味い国の人間は信用できない」とまで言いました。榊原は大蔵省(現・財務省)時代、フランスの食文化外交に倣い、来日した各国の蔵相をもてなすのに工夫したそうです。
フランスを超える食文化大国として紹介されるのが、中国です。食材の多様性に加え、医薬同源の思想を榊原は評価しています。

食の近代化・グローバル化は、食卓に世界中の多彩な食材をもたらす一方、ファストフード産業の世界侵略やBSE(狂牛病)の脅威を招きました。スローフード運動・世界的な健康志向の高まりを踏まえ、本書は日本食礼賛で締めくくられます。
ミスター円」の書く本なので、アグリビジネスの生々しい世界が語られるのかと思っていました…。
(5月14日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 02:43| Comment(0) | TrackBack(3) | 政治・経済交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

マイ脳リティ・リポート

映画『マイノリティ・リポート』では、犯罪を意図しただけの者が未然に逮捕されてしまう未来社会が描かれていました。
最新の脳神経科学は、そんなSFを現実のものとするかもしれません。

脳のなかの倫理



マイケル・S.ガザニガ〔著〕 / 梶山 あゆみ訳



ヒトは、見聞きしたことがあるものに接すると、P300と呼ばれる脳波に変化が生じます。犯人しか知りえない事物を撮った写真を見せると、容疑者の脳は強く反応するはずです…このSFのような技術は脳指紋法といいます。
もちろん、この方法に問題が無いわけではありません。メディアが発達した現在、犯人だけが知りえて一般人が見たことのない映像を探し出すのは困難です。また、脳波の記録からその人の思考について筋書きを作るべきではありません。

ガザニガは言います。脳神経科学が読むのは脳であって心ではない

前述の思想信条に関わる問題以外にも、本書は最新の脳神経科学の知見が豊富です。
胚あるいは胎児はいつからヒトとして認められるのかという生命倫理の基本的な問題に始まり、より良い遺伝子を選んで生まれたデザイナーズベイビーは高い知能を持ちうるのか、薬で脳を賢くすることは可能かといった人体改造の問題、脳と宗教体験の関係にも触れられています。

人間は原子爆弾を作ったがそれを二度と使わない決意も固めた、人間が生まれながらにもつ道徳観・倫理観が行き過ぎを止める…と、楽観的すぎないかと思える記述も散見しますが、著者はこの本は脳倫理学という新しい分野を議論するための「叩き台」であるとしています。
タイトルから想像される「脳倫理学はかくあるべき」という強い主張は、さほど感じられません。答えは科学者まかせでなく一人一人が考えよう、ガザニガはそう訴えているようです。

(5月7日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
ないものがあり、あるものがない?!
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:40| Comment(14) | TrackBack(1) | 自然科学交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月05日

『不純文學交遊界』更新

『不純文學交遊録』へご来訪の皆様、有り難うございます。
相変わらず超スローペース更新の気まぐれなBLOGですが、どうか気長にお付き合いください。
このたびホームページ『不純文學交遊界』を模様替えいたしました。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fujun/
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:01| Comment(6) | TrackBack(0) | 不純総合研究所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説クオリア

文学を標榜しながら、紹介する本は小説よりも理科系本が多いという「看板に偽りあり」なBLOGとなっております(頭に「不純」と付いているからイイでしょ?)。
久しぶりに小説です。クオリアを提唱する脳科学者・茂木健一郎の初の小説作品『プロセス・アイ』。アイとは人工知能(AI)のことであり、私の「I」でもあります。


プロセス・アイ



茂木 健一郎著



アインシュタイン以来の天才と呼ばれる脳科学者タケシ・カワバタは、人間の自我の根源に迫る理論「プロセス・アイ」の発表目前に、謎の失踪を遂げます。
大学院で科学哲学を学んだグンジ・タカダは、経済はより上位レベルにある政治によって動くとする金融理論「スペラティブ」で莫大な利益を上げ、世界が注目する日本人となります。グンジは潤沢な資金をもとにクオリア研究所を立ち上げ、失踪したタケシはそこにいるとの噂が…
金融工学による政治変革を目論んだり、私設研究所を作ってまで人間の意識とは何かを探ったり、周囲からは誇大妄想症と呼ばれるグンジ。雑誌『ダ・ヴィンチ』のインタビューで茂木は、グンジを自らの理想人、ルネッサンス人のようにスケールの大きな日本人を描きたかったと述べています。
私も大風呂敷な議論は大好きなので、グンジのような登場人物は痛快でした。彼の行為の倫理的な是非は別として(ネタバレになるので、具体例は挙げません)。

「私」は人体のどこに存在するのか。本書にはクローン人間の話題も登場しますが、自分と同じ姿形をしたクローンが作られても、それは「私」ではありません。
では「私」とは、身体とは全く関係なく脳だけで作り出されるのでしょうか。
例えば、スリムな人と相撲取りでは地球の重力の感じ方が違うのではないのか。また、本書には全く触れられていませんが、免疫系も人体において自己と非自己を判別する大きな役割を担っています。
そんなことを考えながら読みました。

(5月5日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パンが機械を生んだ!

日本人の主食はお米。一方、西洋人の主食は麦。実はこの食習慣の違いが、文明の発達に大きな影響をおよぼしたのです。



水車・風車・機関車

坂井 洲二著

米は主に水田で耕作され、雨量の多い地域に適しています。米食は東洋に広まりました。
麦は米ほど水を必要としないため、雨量の少ないヨーロッパに広まりました。また、麦は米よりも寒冷な地域でも作付けが可能です。ヨーロッパの主要国は、北海道よりも緯度が北に位置します。

お米は、ご飯を炊いていただきます。麦は製粉して、パンを焼きます。麦ご飯というのもありますが、麦は米と違って薄皮が残るので、そのまま食べるには適していません。そこで麦を石臼で押しつぶし、薄皮をふるいに掛けて製粉するという食のスタイルが生まれたわけです。
人はいつしか、この製粉という作業の効率化を試みます。そして水車を利用して石臼を動かす、製粉水車が生まれました(川の水流が少ない地域では、代わりに風車が発達しました)。水車の力で石臼を回すには、水車の回転方向を90度変えてやる必要があります。そこから今度は歯車が発明されるのです。
パン食が機械文明を生み、産業革命の母胎となった・・・これを知っただけで、この本を手に取った価値がありました。

日本のノコギリは引く時に切れ、西洋のノコギリは押すときに切れます。この由来も本書で明かされます。
かつて枠ノコギリという、二人がかりで切るノコギリがありました。木材の上に乗って指揮する人が押し、下の人が引くのです。押して切るノコギリは、その名残ではないかと。日本にも枠ノコギリはあったのですが、使われたのは室町時代の一時期だけなのだとか。

本書は写真や図が豊富で、歴史好きの方はもちろん、機械の透視図を見ると血が騒ぐメカフェチの方(いるのか、そんなヤツ?)も楽しめると思います。
・・・残念なのは、図版がすべてモノクロであること。

(5月2日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学技術交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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