2006年06月26日

ノブレス・オブリージュ

終戦直後まで、現在の皇族以外に11の宮家があったのをご存知でしょうか。
GHQの占領政策により皇族の範囲が狭められ、昭和天皇の直系とご兄弟の宮家を除く、すべての皇族が臣籍降下、すなわち一般人となりました。
その十一宮家のひとつ、旧竹田宮家の出身で明治天皇の玄孫(孫の孫)にあたるのが、竹田恒泰です。



第二次世界大戦中および戦後の混乱期、皇族たちがどのような役割を果たしたのかは、あまり知られていません。

日米開戦を前にした昭和16年9月の御前会議。昭和天皇は明治天皇御製の和歌をお詠みになり、戦争回避の思いを示されました。天皇が政策決定に意思表示をするのは、極めて異例のことです。大日本帝国憲法において、天皇は政府と統帥部の決定を却下することはできませんでした。
しかし、戦争回避を模索していた近衛文麿内閣は総辞職。続く東条英機内閣は日米開戦に踏み切ります。
天皇の弟宮である秩父宮高松宮もまた、戦争回避への強い思いを抱いていました。
病気療養中の兄・秩父宮に代わり、高松宮は天皇に直談判します。しかし天皇は、皇族が政治介入すべきではないとの立場を貫きました。
高松宮は腹心の細川護貞とともに、独裁者となった東条英機の暗殺までも企てていたそうです。実行されていたら、大化の改新の再現!でした。

昭和20年。ポツダム宣言を受諾し、長い戦争に終止符を打った日本。
天皇の代理人として最前線の兵士たちに終戦の詔を伝えるために、朝香宮竹田宮閑院宮の三皇族が、中国・朝鮮半島・東南アジアの戦場へ飛び立ちます。命がけの危険な任務、まさしくノブレス・オブリージュです。
そして東久邇宮は、戦後最初の総理大臣として内閣を組織します。クーデターを阻止し、陸海軍の速やかな武装解除を実現できたのは、皇族首相だからでした。

さて皆さんが気になるのは、著者が皇位継承問題をどう考えているのかでしょう。

皇室には過去三度、断絶の危機がありました。
最初は大和時代。第25代武烈天皇は後継ぎがありませんでした。そこで迎えられたのが第15代応神天皇五世の孫とされる継体天皇です。これを王朝交代とする見方もありますが、継体は武烈の姉妹を皇后に迎えることで血縁を近づけています。
二度目は室町時代、第101代称光天皇の崩御です。この時は傍系の伏見宮家から迎えられた後花園天皇が即位します。
戦前まで存続した十一宮家は、この伏見宮家の系統なのです。
三度目は江戸時代。第118代後桃園天皇が崩御すると、先例に従い傍系の宮家から後嗣を迎えます。閑院宮家出身の光格天皇です。この時も先代の皇女を妃に迎えて血縁を近づけています。

天皇の位は、いずれも男系の皇族が後を継いできました。日本の歴史上、八方十代の女帝がいらっしゃいますが、すべて男系です。そして直系が絶えた場合に備え、血のリレーの伴走者として宮家があります。
竹田の主張する皇位の安定継承策は、宮家の復活です。そして旧宮家の男子は、万が一の際には皇族女性との婚姻と皇位継承の覚悟を持つべきであると。なお、側室制度は現代の社会事情にそぐわないとして否定しています。

天皇家とは、男系の皇族によって王位と祭祀が受け継がれてきた王室のことである。

女系天皇が悪いのではありません。女系の天皇が即位しては、その王室は天皇家ではないということです。

竹田恒泰HP 竹の間

(6月26日読了)

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posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:17| Comment(65) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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