2007年04月23日

格差スパイラル

格差、格差、格差…
格差社会の四文字をメディアで目にしない日はない、今日この頃。
重厚長大・大量生産・終身雇用等を基盤とした経済から、バブル崩壊を経て、IT化・グローバル化が進行しニューエコノミーと呼ばれる現在の経済社会。それはIT長者や株長者が注目を集める一方で、大多数の労働者は低賃金でマニュアル通りに単純作業をこなすことが求められる、必然的に格差を生み出す社会でもあります。
希望格差社会新平等社会などで格差社会を論じてきた山田昌弘氏は、この新しい社会に適応できるかできないかの能力の差はコミュニケーションであると言います。

格差社会スパイラル



山田 昌弘著 / 伊藤 守著


携帯電話やインターネットが普及した現代の日本。一見、コミュニケーションが豊かになったように見えます。しかしケータイの普及で、私たちは「人を信じる」心を失ったと、企業経営者のコーチングを手掛ける伊藤守氏は言います。
ケータイのメールでのみつながる「友情」では、メールがすぐに返ってこないと「捨てられた」と思ってしまいます。コミュニケーションは待てないと成り立ちません

子どものコミュニケーション能力が育まれるには、新聞や本を読んだり、展覧会やコンサートを鑑賞したり、親子の間に知的な会話がある家庭環境が求められます。
知的な家庭環境を営むには、親にそれなりの学力が必要でしょうし、それなりの費用もかかるでしょう。しかし実際には高学歴・高収入の男女同士、低学歴・低収入の男女同士が結婚することが多いそうです。また低収入・低年齢カップルの出来ちゃった婚は、経済的理由で離婚に至ることも多いといいます。そうなると、格差は再生産されるばかりです。

格差社会を生き抜くスキルが説かれていますが、少数のクリエイティブな仕事に就く人と、大多数の(非正規雇用であっても構わない)単純労働に従事する人という、二極化するこれからの社会の構図は変えようがないようです。

(4月23日読了)


管理人のひとりごと


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

偽史倭人伝

サッカー・ワールドカップの日韓共催を目前にした、2001年12月。
天皇陛下が、桓武天皇の生母・高野新笠が百済の武寧王の子孫であると史書に記されていることに触れ、韓国とのゆかりを感じていると述べられました。
日韓の友好ムードを高めるものとして、両国ともおおむね好意的に受け止められた陛下のお言葉ですが、韓国では「皇室のルーツが百済にあると、天皇自らが認めた」とエスカレートした報じられ方もしました。陛下は「ゆかりを感じられた」だけで、皇室の起源が百済にあるとは一言もおっしゃっていないのですが…

(本書は『ひねくれ&トンデモ通信』の管理人・おおくぼ様からのご紹介です)

高野新笠が本当に武寧王の末裔なのか、実は確証はないようです。それでも百済人(渡来人)の子孫であった可能性はあるでしょう。
「古代日本へ渡った韓半島の移住者が、日本の古代国家形成に大きな役割を果たしたのは事実である。しかし彼らが重要な地位、甚だしくは天皇の地位にまで上り詰めたとしても、日本社会に同化した以後の状況である。これをもって古代日本が韓半島の分国であったり植民地であったと主張するのは困る」…このように述べる韓国の歴史学者の意見は、もっともだと思います。
日本の皇室が百済王家の「分家」であるとの言説は、韓国人の民族意識を高揚させるのでしょう。しかしながら「天皇家のルーツ=百済」説は、もともと韓国にあったものではなく、日本の朝鮮半島植民地支配を正当化するロジック(日鮮同祖論)として生まれました。それがリサイクルされて、今日では韓国の日本に対する優越感に転用されるという、屈折したプロセスをたどっているのです。

歴史の偽造や勘違いは、民間に流布する言葉のルーツや英雄伝説などにも見られます。
熊本県の藤崎八幡宮の例大祭は「ボシタ祭り」と呼ばれていました。その語源には諸説あるようですが、戦時中には戦意高揚のために「ボシタとは、朝鮮を滅ぼしたの意味だ」と喧伝されました。それゆえ戦後は一転して「ボシタ」は民族差別用語だと糾弾され、お祭りの掛け声として使えなくなってしまったのです。
余談ですが、言葉とは本来、あるものを他のものから区別する目的で生まれたのでしょうから、いわゆる「言葉狩り」をする人は、あらゆる単語を禁止せねばならないと思いますが…
なお、民俗社会で口承される荒唐無稽な歴史が、偽史だというわけではありません。偽史とは、国威高揚であったり地域おこしだったりと、ある目的をもって自分の嗜好に合う事象だけを選んで作られた歴史です。

韓国には、日本のみならず中国・東南アジアまでもが百済の植民地だったとするトンデモ史観「大百済帝国」説まであるそうです。だからと言って「韓国の歴史こそ捏造・歪曲のカタマリ!」と一方的に憤ってはいけません。自国の歴史を古く大きく見せたがるのは日本にも韓国にも、いや世界のすべての国と民族に共通の、人類の悲しい性なのでしょう。
(…でも、偽史の想像力ってオモシロイ!)

(4月22日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:14| Comment(21) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

レアメタル・パニック

昨年(2006年)は原油価格が高騰し、日本国内はちょっとした騒ぎとなりました。
イラン情勢の先行き不透明さや中国・インドの急激な経済成長など要因は多々あげられますが、石油が枯渇に直面したわけではありません。
しかし、埋蔵量が極めて少なく産出国も限られており、そのうえ日本経済の中枢への影響がはかりしれない資源があります。レアメタル(希少金属)です。

レアメタルは、製品の小型化・軽量化・高性能化・省エネルギー化に欠かせない素材です。

液晶パネルには、インジウム
デジタルカメラのレンズには、タンタル
リチウムイオン電池には、コバルト
高性能モーターの磁石には、希土類(レアアース)。

レアメタルには、その名の通り埋蔵量そのものが希少な金属から、埋蔵量はあるが需要が限られている(先進国のハイテク産業にのみ用いられる)ために採掘コストが高いもの、産出国の政策や急激な経済発展など人為的要因で希少となったものなどがあります。
レアメタルは産出国も、アフリカ・南米・旧共産圏など限られた地域に偏在しています。とりわけ一大産出国である中国の経済成長は、レアメタルの急激な高騰=レアメタル・パニックの最大の要因です。中国は資源の供給国から、巨大な消費国となりました。さらに鉱山開発による環境汚染や労働争議も、供給の不安定要因です。

日本のハイテク産業は、レアメタルなしには成り立ちません。
備蓄はもちろん、廃棄物のリサイクル(都市鉱山の開発)や代替素材の研究、中国への環境・省エネルギー技術の提供など、多角的な戦略が求められます。
またレアメタルの価格高騰は、採掘コストが採算に合わないとして見捨てられた日本国内の資源の開発に、再び目を向けるきっかけとなるかもしれません。

(4月2日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:13| Comment(4) | TrackBack(1) | 政治・経済交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月02日

「クニガキチント」しなくていい

己の欲せざるところ人に施すことなかれ
他人に危害を加えない限り、個人の自由は最大限尊重されるべきである…これがリバタリアニズムの基本理念です。当blogでは、これまでリバタリアニズムの語をたびたび用いてきましたが、一般的にはまだ浸透していない言葉かもしれません。

自由主義というと、リベラリズムという言葉が思い浮かびます。
しかしながら、小さな政府を主張する人も、福祉政策重視を訴える人も、みな口をそろえてリベラリストを名乗るので「リベラリズムって、一体何なんだ?」と疑問をもたれる方が多いのではないでしょうか。だからというわけではないでしょうが、個人の自由を最大限尊重する思想はリバタリアニズムと呼ばれます。
ところがリバタリアニズムといっても、実は一筋縄ではいかないのです。
経済的利益追求を第一とした市場原理主義から、国家は国防・治安維持のみに専念せよとする古典的な夜警国家論、ありとあらゆる国家権力の存在を否定するアナーキズムなどがあります。個人の自由を絶対視するだけに、リバタリアンの数だけリバタリアニズムがあるのかもしれません。

蔵研也氏は、堂々と無政府主義者(アナルコ・キャピタリスト=無政府資本主義者)を名乗っています。
年金に健康保険、医療制度や建築の耐震基準…これらは「国がきちんと」やるべきことだと考えられています。しかし「クニガキチント」やることによって、私たちの精神的・経済的自由が大きく損なわれているのではないかというのが、本書の主張です。
自由の尊重は大いに結構。しかし税による富の再分配や健康保険がなかったら、格差が拡大するだけではないのか?…これに対して蔵氏は「クニガキチント」しなければ、安価な食料品や医薬品が流通し、電話料金も下がり、低所得者でも豊かな生活が営めるようになると言います(特に医療制度についての指摘は具体的)。
蔵氏は無政府主義者を名乗るだけあって、国家がなければ戦争もないとか、国籍から自由になることも書いています。しかし所得税を払わずに国々を行き来する永遠の旅行者=PT(Perpetual Travelers)のような生き方には、公共サービスのタダ乗りであるとして批判的なようです。

リバタリアニズムは自己決定を重視しますから、麻薬や自殺も一種の愚行権として認められます。しかしリバタリアンとは、決して経済競争イケイケドンドン主義者や享楽主義者ではなく、むしろストイックな道徳主義者なのだと私は思っています。
私はリバタリアニズムに大いに賛同しますが、現実の経済政策としては、富の再分配は必要だと考えます。リバタリアンだって、失業したり病気になったり投資に失敗したりしますし、経済的勝者は他人を踏み台にして利益を得ているわけですから。
また、現代社会はあまりにも巨大化・高度化・複雑化しました。地球上には60億以上の人間がひしめきあい、誰もが好き勝手に利用できるフロンティアは残されていません。好き勝手に利用すれば、そこにはコモンズの悲劇が待ち受けていることでしょう。

(4月1日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】 イケナイコトカイ?


管理人のひとりごと・・・
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 01:01| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。