2007年07月23日

邪馬台国は、ここにある。

邪馬台国はどこにあったのか?
女王・卑弥呼とは何者なのか?
邪馬台国論争は、いまだに結論を見ない日本史永遠のテーマです。

かつてTBS系に『日曜特集・新世界紀行』という番組がありました。
世界各地の自然や歴史を訪ねるドキュメンタリーですが、そのなかで作家・井沢元彦氏が、邪馬台国と卑弥呼の謎に迫ったものを見た記憶があります。
井沢氏は、太陽を祀る巫女・卑弥呼の死と247〜8年に起こった皆既日食との関連(ライバル狗奴国との戦争の最中、日食により神威を失った卑弥呼は殺害された?)を指摘し、その皆既日食が観測されたのは大和ではなく九州だったと述べていました。そして宇佐神宮に祀られる三柱の神=応神天皇比売大神神功皇后のうち、固有名詞ではない比売大神の正体を卑弥呼であるとしたのです。

以前ご紹介した『ツクヨミ−秘された神』で、著者の戸矢学氏は、邪馬台国・宇佐説をほのめかしていました。そこで戸矢氏の過去の著作に興味をもち、探してみました。



卑弥呼の墓

まず戸矢氏は、魏志倭人伝に記された「卑弥呼」「邪馬台国」が当て字であることを指摘します。
「卑」や「邪」の文字は中国の王朝が周辺の異民族をさげすんで用いたもので、卑弥呼が自ら名乗ったものではありません。当時の倭人(これまた異民族に対する蔑称!)の発音を漢語で表記する際に当てはめたものです。
またヒミコという名も、女王の本名(固有名詞)ではなく普通名詞です。女王の使者が自らが戴く主人の名をヒメミコ(=高貴な女性)と呼んだのを、魏の役人が卑弥呼と書き記したに過ぎません。古代は高貴な人の本名を、臣下がはばかって口にしたはずはないからです。
ヒメミコというだけで誰かを特定できる、極めて神格の高い人物。そして全国の神社で唯一、固有名詞ではない神様=比売大神を祀る場所。それが宇佐神宮なのです。
そして宇佐神宮が鎮座する小椋山は実は前方後円墳であり、そこがヒミコの墓であると。

本書のサブタイトルは「神々のイデオロギーが古代史を解き明かす」。
神道を単なる信仰や呪術ではなく、古代人の思考体系として捉え直す試みです。神道から仏教との習合以降の要素を取り除き、そうして浮かび上がった原初の神道の姿から古代史を読み解きます。
原初の神道(そこには風水や陰陽道へとつながる、原初の道教の要素もある)は、宮都や神社や墳墓の位置を定める古代のテクノロジーであったのです。

戸矢氏はアマテラスを、ヒミコ(比売大神)に後継女王の台与が融合した神であるとしています。
また井沢氏の「日食=ヒミコ殺害」説に対しては、日本の歴史には王殺しの記録がないとして否定します。むしろヒミコの死後に日食が起こったことで神威がより高まり、それが天岩戸神話の原型になったと。
1996年刊行の古い本ですが、戸矢氏の見解に現在も変化はないと思われます。

(7月23日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
消えた(消された?)神様


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:50| Comment(14) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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