2007年08月26日

フェラーリをデザインした日本人

「メイド・イン・ジャパン」は品質は良いが、デザインは海外ブランドのものが優れている…との思いは日本人に根強く残っていると思います。
しかしながら、海外で活躍する日本人デザイナーは少なくありません。
あの世界を代表するスポーツカー、フェラーリも日本人がデザインしています。



フェラーリと鉄瓶



伝統の逆襲

奥山清行氏、海外ではケン・オクヤマの名で知られています。NHKのプロフェッショナルにも出演したので、ご存知の方も多いでしょう。GMポルシェ、そしてピニンファリーナでチーフデザイナー、デザインディレクターを歴任し、代表作はフェラーリ創立55周年記念モデル『エンツォ・フェラーリ』、マセラティクワトロポルテ』など。
2006年に独立。カーデザインのみならず、日本の職人の技を生かした地場産業の再生を目指しています。

ピニンファリーナは、フェラーリをはじめとする世界各国の自動車メーカーからデザインを受託する、イタリア・トリノにあるカロッツェリア(デザイン工房)です。自動車以外の分野も幅広く手掛け、トリノオリンピックの聖火台・トーチもデザインしています。
古代ローマ文明やルネサンスの名作を生んだ、デザインの国イタリア。日本人が思い描くイタリア人は、さぞかし派手で陽気で人生を謳歌してそうなイメージですが、実際は随分違うそうです。
イタリアは階級社会であり、名家の出身でないと高い地位に就くことはできません。市役所の手続きには長蛇の列で、午前中に終わらなかったら午後にはまた並び直し。鉄道が遅れるのも当たり前です。何につけても仕方がないから、あきらめる。奥山氏はイタリアを「あきらめの国」と呼んでいます。
人々の暮らしぶりは地味で、おしゃれな「チョイ悪おやじ」なんてまずいません。「あきらめの国」だからこそ、現在の地位や収入の範囲で日々を楽しく暮らそうとしているのでしょう。

ピニンファリーナでは、アイデアスケッチが採用されたデザイナーひとりが最後までプロジェクトに関与します。選考にもれたデザイナーに仕事はありません。一人のデザイナーがライトやドアハンドルなど細部まで手掛けますから、一台のクルマのデザインに統一感が出るのです。
日本の自動車メーカーでは、採用案にボツ案のテールランプを組み合わせて、最終デザインを決定することがあります。また製品はチーム・企業のものであって、デザイナー個人の名前が表に出ることはあまりありません。
日本人とイタリア人で、デザイナーひとりひとりの力量に差はないと奥山氏は言います。むしろ日本人の方にクリエイティブな仕事をする人が多いと。それなのにイタリアン・デザインの方が優れているのは、製品にデザイナー個人の特徴が現れているからです。
日本企業の製品が市場に出たときにデザイナーの個性が消えてしまっているのは、とんがったアイデアが「会議」を経て当たり障りのないものに変わってしまうからでしょうか。誰も責任を取らなくていいシステムではありますが…

フェラーリと鉄瓶 』と『伝統の逆襲 』は重複する部分が多いですが、奥山氏の人となりやデザイナーとしての仕事ぶりを知りたい方は、まず前者をお読みください。後者はより理論的で、今後の日本のものづくりに対する提言となっています。

KEN OKUYAMA オフィシャルサイト

(8月26日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 芸術・娯楽交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月19日

ヴァーチャルな「わたし」

日本中にあまねく普及した、パソコンに携帯電話。身の回りのあらゆるモノがネットワークでつながる、ユビキタス(=あらゆるところに)社会が現実になろうとしています。

情報化で社会はどう変わり、情報化した「ウェブ社会」を個人はどう生きてゆけばよいのでしょうか。1976年生まれの若手社会学者・鈴木謙介氏が、ウェブ社会における「わたし」のゆくえを探ります。



ウェブ社会の思想

あらゆるモノがネットワークでつながるユビキタス化と、ネットワークが生み出すヴァーチャルな世界。
ヴァーチャルという言葉は「虚構・ニセモノ」という感じで使われることが多いですが、ヴァーチャルには「仮想の、虚像の」という意味のほかに「実質上の、本質の」という意味もあります。匿名のネット空間で演じられる「わたし」こそが、文字通り「わたし」の本質なのかもしれません。

インターネットを通じて誰もが世界に向かって発言することが可能となり、またあらゆる主義主張からの情報に接することが可能となりました。
そうなると地位低下せざるを得ないのが、世論を醸成し社会の木鐸としての役割を担ってきたマスメディアです。
「ネット右翼」という言葉がありますが、鈴木氏らが大学生にアンケートをとった結果、実際に若者の多くが右翼的な言説を支持しているわけではありませんでした。しかし「マスコミの報道は偏っていて信用できない」という設問に対しては、圧倒的多数が同意しています。
マスコミの報道は(親左派的だったり、資本関係や政治的利害に縛られ)偏向している、ネットのなかにこそ真実がある、と考える人々が生まれてきているのです。

マスメディアの公的な役割が失効した今、インターネットを通じた民主主義はありうるのでしょうか。
インターネットは、自分が得たい情報を見たいときにだけ見ることが出来ます。あらゆる人のあらゆる情報を自動集約していけば、取るに足らない情報は淘汰される…こう考える立場を鈴木氏は「数学的民主主義」と呼びます。
一方で、反対意見へのリンクを義務化したり、システムのなかに民主主義を強制するアーキテクチャを組み込むべきだとする立場を「工学的民主主義」と呼んでいます。

本書の論点は多岐に渡り、私がここで簡単にまとめることは出来ませんが、本書によっていま「ウェブ社会」で起こっていることを俯瞰することが出来ると思います。
例えばセキュリティとプライバシーの関係、オンラインゲーム「セカンドライフ」とポイント経済、ブログ炎上、グーグルアマゾンが描く未来像…など、興味をひくテーマが誰でもひとつはあるはずです。

(8月16日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 15:50| Comment(4) | TrackBack(3) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月14日

メタルカラーの古代

6月28日、島根県の石見銀山世界遺産に登録されました(正式名称は石見銀山遺跡とその文化的景観)。産業遺跡としては国内初の登録です。

かつて日本は豊富な金・銀・銅を産出し、世界へ輸出していました。そして採鉱・製錬(鉱石から金属を分離すること)・精練(金属の純度を上げること)・加工技術でもまた、世界の最高水準に達していたのです。
「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本の歴史を紐解いてみましょう。



金・銀・銅の日本史

日本列島に金属が現れたのは弥生時代のころ。それはいきなり「製品」として大陸からもたらされます。金属製品とともに、製作技術者も大陸から渡来しました。
日本の金属史は、金属を掘り出す技術(第一の技術)よりも金属製品の製作技術(第二の技術)が先行するという、特異なスタートを切ったのです。
金・銀・銅は当初、古墳の副葬品に見られるように限られた人の死後の世界のためにあるものでした。それが仏教の伝来によって、仏像や寺院の装飾として多くの人の目に触れるようになります。本格的に日本国内の鉱山を開発するようになったのは、東大寺の大仏が建立された頃です。
そして戦国時代から江戸時代の初頭にかけて、日本の金・銀・銅は産出量・技術ともに世界の頂点に達します。
そんな質の高い日本の鉱山ですが、江戸時代半ばには停滞を始めます。永らく疑問だったのですが、採鉱によって湧き出す地下水を処理する技術が当時の日本になかったためだと、本書を読んで解りました。

人類と金属との出会いは、文明を飛躍的に発展させました。とりわけ金は、そのまばゆいばかりの輝きで太古から現在に至るまで人類を魅了し続けています。
金は一般に錆びず、大気中でも土のなかでも安定した状態を維持し続けます。この金のもつ不変性が、永遠の象徴として人類に畏敬を抱かせるのでしょう。
これまでに人類が掘り出した金は、約14万トン。オリンピックの競泳プールの約3杯分です。そして埋蔵量は約7万トンと推定されています。
金の希少性もまた、人類を虜にするものです。

現在のIT社会を支えている、金・銀・銅をはじめとするレアメタル。廃棄されたハイテク機器のリサイクルをすすめ、日本のものづくりの伝統を永らえさせねばなりません。

(8月14日読了)


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posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

鳥の巣を吹っ飛ばせ(※小説です)

2008年8月8日の北京オリンピック開幕まで、1年を切りました。
毎年10%以上の経済成長率を誇る中華人民共和国の昇竜ぶりを象徴する、一大国家プロジェクトです。
華々しい成長の影で、最近は食品の安全性問題に揺れる中国。急速な工業化にともなう激しい環境破壊や、エネルギー消費の急増も懸念されています。
そして人権問題を理由に、中国のオリンピック開催国としての資質を疑う声も消えたわけではありません。

ウイグル(東トルキスタン)やチベットでの中国政府による虐殺事件は、日本ではあまり報道されない。ウイグル族の反政府運動は実際にオリンピック開催阻止の方向で動いている…このようなスタンスで書かれた小説があります。
著者は米軍グリーンベレー大尉の経歴を持ち、軍事史研究・歴史小説・サバイバル術等の著作で知られる柘植久慶氏です。



ウイグルの叛乱

彦坂和彦は、ノンフィクションと歴史小説を主に手掛ける作家です。取材のための海外渡航も多く、現在は洪秀全が主導した太平天国の乱を題材に作品を構想しています。
中国での、特に国際謀略小説の取材では外国人記者の単独行動は公安に目を付けられやすい…彦坂は中国では必ず、地方政府公認のガイドを雇うことにしていました。

上海のホテルのクラブで彦坂を接待した、若い女性。彼女はシューユと名乗り、新疆の出身だと話しかけてきました。しかしどう見てもウイグル人ではなく、漢人の容貌。彼女の親は文化大革命の折に、ウイグルに下放されたのだと言います。
そしてシューユは、姉を取材旅行のガイドにどうかと提案してきました。何か裏があるのでは…
姉のスンピンは、実はウイグル独立運動のメンバーであり、外国人相手の観光ガイドは武器を輸送するためのカムフラージュだったのです。

独立運動のメンバーにはウイグル人ばかりでなく、開発にともなう土地の強制収用で地方政府に農地を騙し取られた漢人たちも加わっていました。
彼らの目的は鳥の巣‐北京のオリンピックスタジアム‐を爆破し、中国政府に大打撃を与えること。まさしく現代の太平天国の乱が始まろうとしています。
度重なる前哨テロに、公安は当然黙ってはいません。反政府組織の片棒を担ぐことになってしまった彦坂は、無事日本へ帰ることが出来るのでしょうか…

(8月12日読了)


管理人のひとりごと
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月08日

地球の現代史〜不確かな真実V

地球温暖化をめぐる報道には、不確かなものがあります。
今年2月、今世紀末に世界の平均気温が最大6.4℃上昇すると、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次報告書の内容が報じられました。
気象庁翻訳;IPCC第4次評価報告書第1作業部会報告書(PDF)

しかし実際には、今世紀末の世界の平均気温は、温室効果ガスの排出量が最も少ないシナリオでは1.8℃(可能性が高い予測幅は1.1〜2.9℃)、最も多いシナリオでは4.0℃(同2.4〜6.4℃)上昇すると評価されています。
6.4℃とは経済高成長シナリオでの最大値であり、日本のマスコミは何の説明もなく6.4℃と報道していたのです。
地球環境問題の真実を知るために、今回はこの本を選びました。



地球史が語る近未来の環境

本書は日本第四紀学会の手になりますが、第四紀とは約260万年前から現在に至る、地質時代区分の最も新しい時代のことを指します。人類が飛躍的に進化し、また氷河期が繰り返し訪れた、地球史上特筆すべき時代です。
国際社会の今後を占うのに現代史の知見が必要なように、地球環境の未来を予測するには「地球の現代史」ともいえる第四紀の環境の研究が不可欠となりますす。

縄文時代の気候は現在よりも温暖で、海岸線は内陸部まで進んでいました(縄文海進)。
縄文時代の江戸 (古代で遊ぼ)

これは氷床が融けて現在よりも海水量が多くなったからでしょうか?
ところが当時の海水量は、むしろ現在よりも少なかったのです。
地球の表面の荷重の均衡をアイソスタシー(地殻均衡)といいますが、氷床が融解すると海水量が増えて海洋底への荷重が加わり、マントルはアイソスタシーを保とうとしてゆっくりと変形します。その結果あらわれたのが、縄文時代の海岸線です。
氷が融けると単純に海水面が上昇するわけではないようですね。地球システムの複雑さがよく解ります。

20世紀の気候再現実験によると、1930年代の気温上昇は自然要因のみで説明できるが、近年の地球温暖化は自然要因に加えて人為要因を考慮しないと再現できないそうです。
更新世末(約1万年前)の生物大量絶滅が、気候変動のせいなのか人類も関与しているのかは結論が出ていませんが、現在進行中の「2度目の大量絶滅」は明らかに人類の活動が影響しています。
地球というシステムは非常に複雑で、地球環境の未来予測は不確実です。
だからといって何も対策をしなければ、地球環境は取り返しのつかない状況に陥るでしょう。
第四紀の環境の変化は、人類の活動を無視して語ることはできません。

本書は地球温暖化問題のみならず、森林資源の利用や宅地開発に関する章もあり、環境問題に対する幅広い関心に応える一冊となっています。
特に国立公園上高地(長野県)に対する提言は、公共事業のありかたについて考えさせてくれるものでした。

(8月6日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
不確かな真実
不確かな真実U
ラベル:地球温暖化
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:45| Comment(37) | TrackBack(0) | 自然科学交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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