かつて日本は豊富な金・銀・銅を産出し、世界へ輸出していました。そして採鉱・製錬(鉱石から金属を分離すること)・精練(金属の純度を上げること)・加工技術でもまた、世界の最高水準に達していたのです。
「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本の歴史を紐解いてみましょう。

日本列島に金属が現れたのは弥生時代のころ。それはいきなり「製品」として大陸からもたらされます。金属製品とともに、製作技術者も大陸から渡来しました。
日本の金属史は、金属を掘り出す技術(第一の技術)よりも金属製品の製作技術(第二の技術)が先行するという、特異なスタートを切ったのです。
金・銀・銅は当初、古墳の副葬品に見られるように限られた人の死後の世界のためにあるものでした。それが仏教の伝来によって、仏像や寺院の装飾として多くの人の目に触れるようになります。本格的に日本国内の鉱山を開発するようになったのは、東大寺の大仏が建立された頃です。
そして戦国時代から江戸時代の初頭にかけて、日本の金・銀・銅は産出量・技術ともに世界の頂点に達します。
そんな質の高い日本の鉱山ですが、江戸時代半ばには停滞を始めます。永らく疑問だったのですが、採鉱によって湧き出す地下水を処理する技術が当時の日本になかったためだと、本書を読んで解りました。
人類と金属との出会いは、文明を飛躍的に発展させました。とりわけ金は、そのまばゆいばかりの輝きで太古から現在に至るまで人類を魅了し続けています。
金は一般に錆びず、大気中でも土のなかでも安定した状態を維持し続けます。この金のもつ不変性が、永遠の象徴として人類に畏敬を抱かせるのでしょう。
これまでに人類が掘り出した金は、約14万トン。オリンピックの競泳プールの約3杯分です。そして埋蔵量は約7万トンと推定されています。
金の希少性もまた、人類を虜にするものです。
現在のIT社会を支えている、金・銀・銅をはじめとするレアメタル。廃棄されたハイテク機器のリサイクルをすすめ、日本のものづくりの伝統を永らえさせねばなりません。
(8月14日読了)
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