情報化で社会はどう変わり、情報化した「ウェブ社会」を個人はどう生きてゆけばよいのでしょうか。1976年生まれの若手社会学者・鈴木謙介氏が、ウェブ社会における「わたし」のゆくえを探ります。

あらゆるモノがネットワークでつながるユビキタス化と、ネットワークが生み出すヴァーチャルな世界。
ヴァーチャルという言葉は「虚構・ニセモノ」という感じで使われることが多いですが、ヴァーチャルには「仮想の、虚像の」という意味のほかに「実質上の、本質の」という意味もあります。匿名のネット空間で演じられる「わたし」こそが、文字通り「わたし」の本質なのかもしれません。
インターネットを通じて誰もが世界に向かって発言することが可能となり、またあらゆる主義主張からの情報に接することが可能となりました。
そうなると地位低下せざるを得ないのが、世論を醸成し社会の木鐸としての役割を担ってきたマスメディアです。
「ネット右翼」という言葉がありますが、鈴木氏らが大学生にアンケートをとった結果、実際に若者の多くが右翼的な言説を支持しているわけではありませんでした。しかし「マスコミの報道は偏っていて信用できない」という設問に対しては、圧倒的多数が同意しています。
マスコミの報道は(親左派的だったり、資本関係や政治的利害に縛られ)偏向している、ネットのなかにこそ真実がある、と考える人々が生まれてきているのです。
マスメディアの公的な役割が失効した今、インターネットを通じた民主主義はありうるのでしょうか。
インターネットは、自分が得たい情報を見たいときにだけ見ることが出来ます。あらゆる人のあらゆる情報を自動集約していけば、取るに足らない情報は淘汰される…こう考える立場を鈴木氏は「数学的民主主義」と呼びます。
一方で、反対意見へのリンクを義務化したり、システムのなかに民主主義を強制するアーキテクチャを組み込むべきだとする立場を「工学的民主主義」と呼んでいます。
本書の論点は多岐に渡り、私がここで簡単にまとめることは出来ませんが、本書によっていま「ウェブ社会」で起こっていることを俯瞰することが出来ると思います。
例えばセキュリティとプライバシーの関係、オンラインゲーム「セカンドライフ」とポイント経済、ブログ炎上、グーグル・アマゾンが描く未来像…など、興味をひくテーマが誰でもひとつはあるはずです。
(8月16日読了)