2007年09月02日

当たり前の話…日本は核武装せよV

核兵器を「持たず・作らず・持ち込ませず」の非核三原則。しかしながら現在の日本は、核兵器について議論してもいけない「非核四原則」とも呼べる状況です。
核武装について、安全保障について、忌憚なき議論がなされているとは到底思えない今のニッポン。「当たり前の話をしようではないか」と西部邁氏は言います。



核武装論

西部氏は「非核三原則」と「核の傘」に疑いの目を向けます。
まず「非核三原則」は明らかな偽りであり、正しくは「非核二原則」と名付けるべきだと。常識的に考えてみましょう。日本に寄港する米軍空母が、数日間の滞在のために、核兵器をどこかへ降ろして来るでしょうか。三原則の三番目「持ち込ませず」はウソに違いありません。
また「日本はアメリカの核の傘に守られている」という論者も、アメリカの核兵器が日本に持ち込まれずして、核の傘が有効だとでも思っているのでしょうか。
そもそも「核の傘」自体に、疑いを持たねばなりません。仮想敵国から日本への核攻撃があったとします(ファースト・アタック)。それに対して同盟国アメリカが報復攻撃をします(セカンド・アタック)。当然ながらアメリカは、自国への報復攻撃(サード・アタック)を覚悟のうえで核ミサイルを発射せねばなりません。それでもアメリカは、日本を守ってくれるのでしょうか。

イラク戦争は大きな問題提起をしました。それは予防的先制攻撃の是非です。
アメリカはイラクに対し「自衛の先制攻撃」をしましたが、イラクに大量破壊兵器は見つからず、テロ組織の根拠地でもありませんでした。
アメリカの「侵略」に対し非を鳴らした西部氏ですが、予防的先制攻撃という考え方を正当防衛の一種であると肯定します。しかしその一方で、先制攻撃には間違いがありうることを強調しています。人間は間違いを犯しうる存在です。
核兵器は瞬時にして大量の生命・財産を奪い、放射能による被害は広域に将来に渡って及びます。核による先制攻撃は、絶対にあってはなりません!
日本国憲法第9条に第3項を設け「核兵器を持っても作っても構わないがそれは報復にのみ用いられる。たとえ予防という名の自衛のためであっても、先制使用は許されない」と規定すべきだと西部氏は述べています。
「核を先制攻撃には用いない、報復にのみ用いる」ということは、核によるファースト・アタックに耐えよということです。これは非暴力・不服従を掲げたガンジー主義に通じます。

冷戦が終結して迎えた多極世界。アメリカのニュー・リアリストと呼ばれる研究者たちのあいだでは、核の拡散こそが世界に安定をもたらすとの議論があります。自滅をいとわぬテロリストに抑止の論理は通用しませんが、逆に言うとテロリストに核兵器が流れることはない保証があれば、核の拡散に不都合はないとの考え方です。
また核兵器を全廃しても、人類から核技術が失われるわけではありませんから、全廃した直後に特定の国家・集団が核兵器を独占的に保持し得るという、極めて危険な状況を想定せざるをえません。

百発百中とは言わないまでも、命中率90%位のMD(ミサイル防衛システム)でもあれば、核武装は必要ないでしょう。しかし高価なのに効果がないMDは、アメリカの軍産複合体に莫大な利益をもたらすだけです。
私は核武装が(倫理的に)正しいと言うつもりはありません。
核兵器は、非人道的な大量破壊兵器です。また核エネルギーの利用そのものに、放射能の危険性や放射性廃棄物の処理問題が付きまといます。
では、この世に人道的な武器はあるでしょうか。
核の脅威から日本を守るものはなんでしょうか。

たとえ通常兵器によるものであっても先制攻撃は絶対にしないという強固な信念、しかし平和国家・日本への武力行使には核による報復が待っている…そんな日本に私は棲みたい。

【不純文學交遊録・過去記事】
日本は核武装せよ
日本は核武装せよU

(8月27日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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