2007年09月09日

ほどほどで行こう。

世のなかの至るところに「改革」の言葉が踊る昨今ですが、近頃は「格差社会」と言われるように、改革の負の側面もクローズアップされるようになりました。

競争原理の導入で経済が活性化したことと、格差が拡大して社会が不安定化したことは、同じ現象の異なる側面です。そもそも「活性化」と「安定化」は相反する言葉であって、同時に生じるはずはありません。
TT社会は便利さとともに、プライバシー漏洩のリスクをともないます。企業業績の回復とは、人員削減による労働時間の増大だったり非正規雇用者の増加だったりします。
あらゆる改革や変化は、正と負のトレードオフにあるのです。そして改革や変化の規模が大きく急激であるほど、成果に対するリバウンドは大きくなります。バブル崩壊後の経済停滞が、あまりにも長く続いたように。



本格保守宣言

進歩とは人類普遍の原理なのでしょうか?
そんな疑問を投げかけるのが、佐藤健志氏です。
人類の歴史は長い間、緩慢な変化を続けていました。その間、世界の人口もあまり増えてはいません。人口が急激に増えるのは産業革命以降です。世の中に急激な変化が起こらなければ、進歩や未来の概念も生まれません。
世界人口推移グラフ(国連人口基金)
産業革命以降の急速な科学やテクノロジーの進歩は、人類に「理性によって未来は必ず良くなる」という幻想をもたらします。そして理性の力で世のなかを一から作り直そうとしたのがフランス革命です。フランス革命とは「理性の祭典」であった一方で、粛清の嵐が吹き荒れる恐怖政治でもありました。
急進主義がなければ、保守という思想もまた有り得ません。右翼・左翼の語も、フランス革命時代の議会の席に由来します。

さて今日の日本で、憲法改正や郵政民営化などの改革路線を唱えるのは「保守」と呼ばれる陣営です。一方、憲法9条や戦後民主主義の護持を訴える勢力が「左翼」と呼ばれたりします。
保守とはありうべき状態を維持することであり、現状が正常な状態でない限り、現状維持が保守なのではありません。
ただし佐藤氏は、日本の保守勢力をホンモノの保守ではない「公式保守」と呼びます。公式保守とは、競争原理にもとづいた経済改革と愛国心を強調した国家主義の双方を、急進的に推し進める立場のことです。

急進主義の不可能性を説く「本格保守」は、憲法改正という抜本的な改革よりも、解釈改憲に徹します。ある条項の改正を認めることは、他の条項(例えば天皇)にまで影響を及ぼすからです。
憲法9条は国際紛争の解決手段としての武力保持を禁じたものであり、日本が自衛権を有するとの解釈は既に広く受け入れられています。日本は自衛のために核武装してもいいのです。環境権やプライバシー権といった新しい人権も、改憲(加憲なんていう政党もありますが…)によらずとも、幸福追求権を規定した憲法13条を柔軟に解釈することで対処できます。

佐藤氏の唱える本格保守とは、なにか弱腰で煮え切らない態度のように見えますが、本格保守には「時代が変わろうと守るべきものがある」とする強い信念と「あわてふためかなくとも変化に対応できる」強い自信とが必要だとされます。
本格保守のとるべき態度について、佐藤氏は自らのダイエット体験を例に出します。
ダイエットの初期に、めざましい効果が出ることがあります。しかし効果はそう長く続くものではありません。調子に乗って急激な減量を続けては、身体のバランスを崩してしまいます。現実社会の改革とて同じです。また、努力しても体重に変化が現れない時期は、身体が安定したバランスを保ったのであり、新たな改革の方法論を導入する機が熟したものと考えます。

保守とは政治的立場ではなく、理性を過信して急進主義に陥らないための、人類の智慧のようなものです。
本書を強引にまとめると、結局「本格保守」とは「ほどほどで行く」ことなのか…となってしまうのですが(笑)、フランス革命以降の保守思想史に関する記述は大変面白く読めました。

(9月7日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 17:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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