2007年09月23日

古代史の謎・継体天皇U

それは王朝交代だったのか?
巨大な埴輪群に彩られた古墳の主は彼なのか?
9月23日、継体天皇即位1500年を記念した「越の国シンポジウム2007」に参加いたしました。

【会場】
ハートピア春江(福井県坂井市春江町)
【コーディネーター】
狩野久(奈良文化財研究所名誉研究員)
【パネラー】
山尾幸久(立命館大学名誉教授)
森田克行(大阪府高槻市教育委員会)
中司照世(元福井県埋蔵文化財調査センター所長)
冨永亮一郎(郷土史家)
【特別講演】
伊藤俊也(映画監督、福井市出身)

冨永亮一郎氏;
地元(坂井市)代表。すべてが史実に基づいているわけではないとしながら、越前開闢の祖・継体大王の治水伝承を紹介。
森田克行氏;
天皇陵を掘った男。真の継体陵とされる今城塚古墳の発掘を主導。調査の結果、古墳の盛り土は桃山時代の伏見大地震で崩落したことが判明。あの壮大な埴輪の配列は、殯の儀式を再現したものであるとする。
中司照世氏;
北は山形から南は宮崎まで全国各地の古墳を踏破。考古学者であるが、記紀の伝承との整合性も踏まえながら古墳の被葬者を推理している。大王陵クラス古墳は、大きさよりも三段築造と葺き石があることが条件だという。
山尾幸久氏;
継体朝の成立には百済の支持もあった。古事記を引用し、継体大王は近江(滋賀県)から擁立されたと主張。それなのに福井県のイベントにたびたび招かれるのが目下最大の謎なんだとか(笑)

討議では、狩野氏が「真の継体陵は今城塚古墳。それならば宮内庁が指定する継体陵(太田茶臼山古墳)の被葬者は誰なのか?」と、一番期待していたツッコミをしてくださいました。質問を向けられた森田氏は「被葬者は継体の曽祖父・意富富等(オオホド)王と思われる」と回答。
ヤマト朝廷統一以前に「地域王国の時代」はあったのかとの問いには、中司氏のみが明確に否定。各地の首長墳は、ヤマトの様式に則っているとのこと。

特別講演の伊藤監督は「継体はやはり越前出身」「(継体の曽祖父)オオホド王は天皇でもないのに、あんな巨大な古墳に葬られるはずがない」と、学者先生に負けじと熱弁を奮いました。

今回のシンポジウムは、6月に亡くなられた門脇禎二氏をお迎えするはずでした。ご冥福をお祈りします。

【不純文學交遊録・過去記事】
古代史の謎・継体天皇
天皇陵、発掘。
ノブレス・オブリージュ


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:13| Comment(4) | TrackBack(2) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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