2007年10月15日

アマテラスの正体

謎が多い日本の古代史。
時代が古くなればなるほど残された史料が少なく謎が多いのは当たり前ですが、比較的史料が豊富で教科書でもおなじみの乙巳の変(大化の改新)以降の歴史だって、わからないことだらけです。

乙巳の変は、天皇をしのぐほどの強大な権力を手にし政治を私物化していた豪族・蘇我入鹿を、中大兄皇子天智天皇)・中臣鎌足らが宮中で暗殺した事件です。独裁者・入鹿を倒したのち、豪族たちによる土地の私有を改め、律令制度を整えて天皇中心の中央集権国家を築いた一大改革が、大化の改新と呼ばれます。
ところが実際の蘇我氏は、むしろ律令制度導入を推進した開明派であったとの再評価がされつつあります。

乙巳の変には、いくつもの不可解な点があります。
最大の功労者である中大兄皇子は、すぐに即位できませんでした。まず孝徳天皇が即位し、その後は乙巳の変当時の天皇であった中大兄皇子の母・皇極天皇が、重祚して斉明天皇となっています。天皇の子である中大兄皇子が、宮中の儀式に参列しないで暗殺の実行犯になったのも不思議です。
そして中大兄皇子の弟・大海人皇子天武天皇)は、乙巳の変に参加していません(当時はまだ幼かった?)。
のちに天武天皇と天智の子・大友皇子は、皇位をめぐって対立します(壬申の乱)。天武には皇后・持統天皇をはじめ天智の娘が何人も嫁いでいますが、これは明らかに政略結婚です。兄弟の間に一体なにがあったのでしょうか。

天武天皇は初めて天皇の称号を使用し、万葉集に神とまで歌われた強大な王です。そして王朝の正統性の証である歴史書・日本書紀の編纂を命じます。
ところが日本書紀の完成は720年。天武天皇の死後何十年も経っており、時代は天武天皇が倒した近江朝の忠臣であった中臣鎌足の子孫・藤原氏の天下です。
また乙巳の変によって、聖徳太子と蘇我氏が編纂した歴史書「天皇記」「国記」が消失しています。

奈良時代に入ると、大仏建立で有名な聖武天皇は、娘の孝謙天皇に「王を奴婢にするのも、奴婢を王にするのも、汝の自由だ」と語ったとされ、孝謙天皇は僧・道鏡を皇位に就けようとする事件を起こしました。孝謙天皇(重祚して称徳天皇)で天武の皇統は絶え、皇位はふたたび天智系に移って平安時代を迎えます。
乙巳の変から奈良時代に至る日本の歴史は、なんとも複雑怪奇なのです。



「天皇家」誕生の謎

近年、古代史の謎に関する著作を次々と送り出している、歴史作家の関裕二氏。アカデミズムの研究者ではないので、彼の唱える説がどう評価されているのかはわかりませんが、彼の著作は日本の古代史における数々の疑問点に気付かせてくれます。

皇室の祖先神である天照大神は、太陽の女神です。
ところが世界的には太陽神は男性神であることが多く、日本の太陽神・アマテラスも元は男性神だったのではないかと関氏は推理しています。大嘗祭で天皇が天の羽衣をまとう行為も、天皇が女性の服装(天の羽衣)をして巫女を演じているのであり、皇祖神が男性神である証だとします。そういえば、天岩戸に隠れた天照大神を誘い出したのは、肌もあらわに踊る女神・天宇受賣命(アメノウズメ)でしたね。
では、なぜ皇祖神アマテラスが女性神とされたのか。それは女帝・持統天皇の神格化であるといいます。持統天皇は天武天皇の皇后である一方、天智天皇の娘でもありました。持統天皇の即位は天智皇統の復活であり、彼女は新王朝の創始者だったのです(持統という諡号も意味深ですね…)。

本書には、古代天皇家成立をめぐる謎に対する、彼なりの解答がまとめられています。
壬申の乱で大海人皇子は、吉野から東国へ逃れて兵力を集めました。北陸から擁立された継体天皇は、東海地方の豪族・尾張氏から妃を迎えています。辺境の地とされた東国と古代天皇家との関わりは、興味深く読めました。

(10月9日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
天武天皇については…消えた(消された?)神様
持統天皇については…女帝・かぐや姫
乙巳の変については…黒幕は誰だ?


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 01:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。