2008年05月26日

鏡よ鏡…

21世紀の現在になっても決着がつかない、何百年も続いている論争があります。
その論争とは、邪馬台国はどこにあったのか?

邪馬台国の候補地は日本全国(日本国外にも!)ありますが、学界を二分しているのは畿内説と九州説です。
私は今のところ、魏志倭人伝に描かれた邪馬台国の風物が南方系であること、卑弥呼の鏡と呼ばれる三角縁神獣鏡が中国からの出土例がないこと、そして卑弥呼の死の前後に皆既日食が発生していることから九州説を支持しています。
そこで邪馬台国畿内説批判の急先鋒、安本美典氏の最新作を手に取りました。
内容に偏向があることはご了承ください。



「邪馬台国畿内説」徹底批判 安本美典 著

魏志倭人伝に記された邪馬台国への行程は「南へ水行十日陸行一月」。
南へ陸行一月だと、邪馬台国は九州を飛び出して海の彼方…そこで「南」とは実は「東」なのだと方角を読み替えるのが畿内説、方向は正しいが距離を誤りだとするのが九州説です。
安本氏は、陸行一月とは直線距離で一ヶ月という意味ではないとします。
魏の使者は邪馬台国の王都に着くまでに、各地を視察したり接待を受けたりしていたのかもしれません。聖徳太子の時代、隋の使者・裴世清は、難波の港から飛鳥に入るまでに一ヶ月かかっています。また、大和へ向かう場合、陸路ではなく船で瀬戸内海を行くのが常識であると安本氏はいいます。

邪馬台国論争は、考古学的には畿内説が有利とされてきましたが、九州説に有利な物証もあります。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国の人は鉄の鏃を使っていました。弥生時代の鉄の鏃(やじり)は九州からは大量に出土していますが、畿内からはごくわずかです。
倭人は養蚕を行い、魏への献上物にも布がありましたが、弥生時代の遺跡から発掘された絹はすべて九州のもので、畿内で絹が見つかるのは古墳時代以降です。
邪馬台国とは魏志倭人伝に記された国であり、魏志倭人伝に基かない邪馬台国論はありえません。

畿内説支持者が、卑弥呼が魏から贈られた銅鏡だとする三角縁神獣鏡。
安本氏は神獣の文様は呉のもので、邪馬台国と交流のあった魏・晋の鏡ではないとします。また、鏡が出土するのは四世紀以降の古墳であり、卑弥呼の時代よりも後です。畿内説支持者のなかにも、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡とすることに否定論があるようです。
最古級の前方後円墳である奈良県桜井市の箸墓古墳を、卑弥呼の墓だとする説があります。箸墓の築造年代を、卑弥呼の没年に近い三世紀後半にまで遡る説が出ていますが、安本氏は出土する布留式土器は四世紀のもので、卑弥呼の時代には届かないとします。
マスコミの報道が「はじめに畿内説ありき」であり、畿内から出土する遺物を意図的に邪馬台国に結び付けていると批判する安本氏。あの「旧石器時代捏造事件」と同じ過ちを繰り返しているといいますが、当然、畿内説支持者からは反論があることでしょう。

今秋、吉永小百合・竹中直人主演の映画『まぼろしの邪馬台国』が公開されます。
1967年、著書『まぼろしの邪馬台国』がベストセラーとなり、日本中に邪馬台国ブームを巻き起こした宮崎康平・和子夫妻の物語です。
映画をきっかけに、再び論争が燃え上がるのでしょうか?
鏡よ鏡、邪馬台国はどこにある…

(5月19日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
邪馬台国は、ここにある。



posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:36| Comment(42) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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