2008年11月16日

カッパは製鉄民だった?

NHK教育テレビ『高校講座・化学』で、こんな実験をしていました。
銅と青銅(銅と錫の合金)と鉄、3種類の金属で鍬を作ります。これらで土を耕したところ、銅と青銅の鍬はすぐに曲がってしまいましたが、鉄の鍬はずっと耕し続けることができました。
鉄の登場は、人類の文明を飛躍的に発展させました。
日本の歴史においても、鉄は古代国家の成立に大きく影響していることでしょう。



古代製鉄物語 浅井壮一郎 著

現代のような高温の製鉄炉や、高度な鉱山技術がなかった時代に、製鉄はどのように行われていたのでしょうか。
『古代製鉄物語』は、鉄鉱石や砂鉄が利用される以前、古代の製鉄は水辺で採れる鉄(湖沼鉄)が原料だったとする説を展開しています。
地中の鉄分が人型に固まった、天然記念物の高師小僧は、湿地帯の植物の根元に鉄が吸着して出来たものです。
日本列島は古来、豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)と称されてきました。
葦が生い茂る湿地帯は、豊富な水酸化鉄が得られたというのです。
浅井氏は、神武天皇の東征ルートを、鉄を産出する湖沼地を求めた旅であったと考えています。

水辺で鉄の採集に従事していたのが、河童と呼ばれる人々でした。
河童のことをヒョウスベ(兵主部)ともいいます。ヒョウスベの語源となった兵主神は、支那の武神・製鉄神です。
穴師坐兵主神社(奈良県桜井市)の摂社として相撲神社があり、野見宿禰を祀っています。野見宿禰は土師氏の祖です。高温技術を持つ土師氏は、製鉄にも関わりがあったと浅井氏は考えます。そういえば、河童は相撲が得意でしたね。
古代製鉄の原料が湖沼鉄であるならば、河童=製鉄民説は信憑性を帯びてきます。

本書の版元である彩流社は、在野の歴史家の著作を数多く出しているようです。
浅井壮一郎氏は民間企業に勤務していましたが、不慣れな仕事を転々として定年を迎えました。そんな空っぽな自分を埋めるべく、早稲田大学に入学して歴史を学んでいます。
しかし、本論とほとんど関係のない伊勢神宮のユダヤ紋(出典はサイエンスエンターテイナー・飛鳥昭雄氏の著書)について触れているのは、どういう意図なんでしょう?
こういう余計な文章をはさむと、やはりトンデモ本ではないかと疑念を持っちゃうんですよね…

(11月16日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
カッパなにさま?カッパさま!
高田崇史氏の『QED 河童伝説』でも、河童は製鉄民だとする説を展開しています。


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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