2009年07月26日

安土城の深い闇

戦国武将は、小説やドラマの題材として根強い人気があります。最近では、歴史好きが集まる戦国バーや、武将に萌える戦国ギャルも話題です。
戦国武将のなかでも、とりわけ人気の高いのが、織田信長
天下統一を目前にして、本能寺の炎と消えた劇的な人生。それに加えて、大量の鉄砲で戦国最強の武田軍を破った長篠の戦、楽市楽座による商業振興策など、先見性の高さが人気の理由でしょう(長篠の戦での有名な「三段撃ち」は、史実ではないとの説が有力)。一方で、比叡山の焼き討ちや一向一揆への弾圧から、気性が激しく冷酷な人物との評もあります。



バロックの王織田信長

渡辺豊和 著

信長の過激なまでの合理性は、どこから生まれたのか。建築家・渡辺豊和氏による信長論です。
渡辺氏は、縄文時代にインスピレーションを得た建築作品で知られ、巨石構築物を研究するイワクラ(磐座)学会の会長でもあります。歴史に関する著作は多く、そのトンデモ…失礼、シャーマンぶりを遺憾なく発揮しています。

南蛮文化に強い関心を抱いた信長は、イエズス会の宣教師と交流し、キリスト教の布教を許可しています。
キリスト教は、フランシスコ・ザビエルによって日本に伝来しました。しかし、それ以前に日本にもたらされていた可能性があります。厩の前で誕生したという聖徳太子の伝説は、キリストの降誕そっくりです。唐代の中国では、ネストリウス派が景教の名で広まっており、日本に伝わっていたとしても不思議ではありません。
渡辺氏は、大和朝廷の中枢を担った蘇我氏が、秦氏らと共に北方シルクロードを通って東北地方に渡来したとの説を唱えています。秦氏はゾロアスター教を奉じており、後にネストリウス派に改宗したと主張します。渡辺氏は、織田氏のルーツを秦氏に求め、信長の革新性や残虐性がユーラシアの騎馬民族に由来すると考えているのです。

信長の築いた安土城は、史上初めて天守(天主)を持ち、各層が色分けされた、極めて斬新な建築でした。天主内部には、吹き抜けがあったと考えられています。
吹き抜けというと明るい空間を思い浮かべますが、安土城の吹き抜けは四方を部屋で囲まれており、外光の差し込まない暗黒の空間だったと思われます。こういう点に着目するのは、さすが建築家です。
安土城天主の闇に、信長の闇の部分を見るという渡辺氏。彼は本能寺の変の真相に迫っているのでしょうか…

(7月20日読了)

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posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:04| Comment(31) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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