2009年08月10日

本格ミステリとの出会い(前編)

今でこそ、新本格にカテゴライズされるミステリや、メフィスト賞作品を愛読しておりますが…実は私、推理小説って嫌いだったんです。
小道具を使って鍵を掛けて密室にしたり、時刻表でアリバイを見破ったり…そんなものはクイズであって、読み物じゃねえよ!、という具合で。



溺れる人魚

島田荘司 著

そんな私をミステリの世界に導いたのが、島田荘司氏でした。
本作は、講談社ノベルス7月のラインナップです。作品の紹介に入る前に、ここで私とミステリとの出会いを…
私が最初に読んだ島田氏の文章は、小説ではありません。社会批評や自動車評論でした。ミステリに対する「人間が書けていない」との批判に反論していた島田氏。そんな彼の描く「本格ミステリ」とはいかなる文学なのか、興味をもったのです。
事件の解決を通して世の中の不正を糺す「社会派推理小説」が全盛だった時代、島田氏は純粋に謎解きの魅力を追及する「本格ミステリ」の復権を唱えます。

島田氏は、推理小説とミステリの違いを、次のように説明しています。
公演中のプリマドンナが殺されました。当然ながら公演は中止となり、警察がやってきて捜査が始まります。これは「本格推理」の展開です。
ところが死んだはずのプリマドンナが、再び演技を始めたとしたら…
幽霊かと思いきや、実は双子の姉妹がいた。これが「本格ミステリ」です。本当に超常現象だったら「ホラー小説」になります。
本格ミステリは、事件が合理的・論理的に終結するだけでなく、詩的で幻想的な謎が必要なのです。

「本格ミステリは推理小説ではなく、幻想小説である」
この主張に賛同した私は、2時間ドラマ的な推理小説・警察小説とは違う、奇想に満ちたミステリの世界へと足を踏み入れました。ちなみに最初に読んだ新本格ムーブメントの作家は、綾辻行人氏ではなく毀誉褒貶の激しい麻耶雄高氏(『翼ある闇』)でしたが、全く抵抗なく受け容れることができました。
作り話よりもノンフィクションが好きで、「事実は小説よりも奇なり」を座右の銘とする私にとって、小説に求めるものは「日常の延長」ではありません。作家の奇想が紡ぎ出す「異世界との遭遇」であり「非日常的な体験」なのです。

(つづく)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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