2009年08月24日

若狭国の古墳と交遊

聖徳太子は、日本史上最も有名な人物の一人でありながら、その実像は未だ謎に包まれています。
聖徳太子こと厩戸皇子は実在したが、業績は他人のものであるとする説から、全くの虚構の人物だったとする説まで。その最期は自殺とも、暗殺とも言われています。
太子と最期を共にしたのは、妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)でした。太子とともに磯長陵(大阪府)に葬られています。
膳夫人は、朝廷の食卓を担った膳氏(かしわでうじ)の出身です。福井県若狭町には、若狭国造・膳氏のものと推定される古墳が数多くあります。
若狭国は、朝廷に海産物などの食料を献上した御食国(みけつくに)でした。

以前から若狭国の古墳と交遊しようと思っていたのですが…
8月23日(日)午前10時より、若狭町脇袋の糠塚古墳で現地説明会があるとのことで、この機会に行って参りました。
糠塚古墳は直径30mほどの円墳だと思われていたのですが、このたびの発掘調査で周濠跡が確認され、全長50〜60mの前方後円墳であることが判明しました。前方部は水田の下になっており、まだ発掘されていません。
脇袋には、若狭国最大の前方後円墳である上ノ塚古墳(全長100m)があり、糠塚古墳もまた若狭国の首長クラスの陵墓であると考えられます。
脇袋古墳群の背後には膳部山があり、被葬者を膳氏とする根拠となっています。

発掘の中心となったのは、花園大学(京都府)の高橋克壽准教授。作業服を着た若い人が多いと思っていたら、学生さんたちでした。
考古学の意義は、遺跡の本来の姿を再現することにあるという高橋さん。大型古墳の陪塚に過ぎないとされていた円墳が、首長クラスの前方後円墳となったことで、「1500年ぶりに被葬者の名誉を回復することができた」と満足気に語っていました。

その後は、若狭町歴史文化館を訪問。
文化館とは言っても独立した建物ではなく、町の庁舎の一室です。町内の古墳から発掘された出土品が展示されています。入場無料。
今回、福井市から敦賀市まで北陸自動車道を走行しましたが、30プリウスの高速燃費は25km/L台(モニター表示)でした。

【関連サイト】
福井県若狭町
8月30日放送のETV特集で、脇袋古墳群が採り上げられました。
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第5回 日本海の道


ラベル:古墳
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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