2009年12月28日

日本史を創った男

かつてはお札の代名詞であり、日本の歴史上最も知名度の高い人物の一人である、聖徳太子。大国・隋と対等の外交関係を結んだ遣隋使、十七条憲法と冠位十二階の制定、法隆寺の建立など、その業績は枚挙に暇ありません。
しかし、聖徳太子は架空の人物だったとする説があります。「聖徳太子不在説」の代表的論者である大山誠一氏の新著が出たので、交遊しました。



天孫降臨の夢
大山誠一 著

大山氏は、聖徳太子と同時代のものとされる史料には8世紀以降の語が用いられており、すべて後世の創作であると断定しています。
それでは随書倭国伝に登場する倭王アメタリシヒコ(姓は阿毎、字は多利思比孤)とは、一体誰なのでしょうか。
推古天皇は女帝であり、聖徳太子はいなかったとなると…大山氏の答えは、蘇我馬子です。
随書の成立は、隋の滅亡からわずか18年後。当事者は存命しており、直接取材することも可能です。後継王朝の唐による脚色や曲解はあるにせよ、日本書紀よりは信憑性が高いといえます。
なお大山氏は、アメタリシヒコとは大王の美称「天足りしヒコ」であると解釈しています。

本当は蘇我馬子が大王であり、馬子を消して代わりに充てられたのが、用明・崇峻・推古の実際には即位していない三代の天皇だったとするのが、大山氏の説です。
聖徳太子とされた厩戸皇子、太子の父である用明天皇、そして推古天皇の陵墓は、飛鳥から遠く離れた河内にあります。河内は蘇我氏の旧勢力地であり、マイナーな蘇我系皇族は河内に葬られました。
一方、欽明天皇、蘇我稲目・馬子といった蘇我大王家の有力者は、飛鳥の巨大古墳に葬られています(本書は、見瀬丸山古墳を蘇我稲目の墓だとしています)。

乙巳の変(大化の改新)で蘇我大王家を滅ぼした天智・天武皇統と藤原氏にとって、蘇我氏の事績を消し去ることは至上命題でした。そうして生まれたのが日本書紀であり、聖徳太子であると。
蘇我馬子が成した数々の事績は、聖徳太子こと厩戸皇子のものとなりました。さらに女帝の推古天皇を「即位」させることで、[推古天皇−聖徳太子]の治世を顕彰し、[持統天皇−草壁皇子]母子の皇統を強固にすることができます。
自らの直系に皇位を継承させたい持統天皇と、天皇の外祖父として権力を確立したい藤原不比等。両者の思惑が一致したところに、万世一系の皇統を物語る、日本書紀の天孫降臨神話が編まれたのでしょう。

本書を読んでスッキリするどころか、ますます古代史の真相が分からなくなりました…

(12月27日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
アマテラスとタカミムスヒ
女帝の密かな陰謀


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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