2010年02月22日

聖徳太子は怨霊か

聖徳太子は怨霊となり、法隆寺に封じ込められた…哲学者・梅原猛の『隠された十字架』は一大センセーションを巻き起こしました。
遣隋使、冠位十二階、十七条憲法、法隆寺の建立など数々の偉業を成した聖徳太子。にもかかわらず、彼は無念の死を遂げたのでしょうか。

聖徳太子怨霊説に対し、御霊信仰が成立したのは平安時代以降であるとの批判があります。
朝廷が国家政策として怨霊の鎮魂を行った記録は、平安初期の御霊会が最初だとされます。日本三大怨霊と呼ばれる菅原道真・平将門・崇徳天皇は、いずれも平安時代の人物です。
はたして怨霊は、いつ生まれたのでしょうか。



怨霊の古代史

戸矢学による怨霊の定義は、明快です。
・大義にもとづく死は「英霊」となる
・冤罪による大義なき死は「怨霊」となる

神社や寺に祀られるのは、英霊か怨霊のどちらかです。
大多数の死は、英霊にも怨霊にもなりません。
また殺害者の側に大義がある場合、死者は単なる罪人であって、祀られることはありません。

本書は飛鳥時代にまで遡って、怨霊の起源を検証しています。
「日本人の心のふるさと」ともいえる飛鳥は、実は血塗られた都でした。
三輪君逆、穴穂部皇子、物部守屋、崇峻天皇…彼らは激しい権力闘争のなかで命を奪われた人たちです。
では、聖徳太子は怨霊なのか?法隆寺は一体誰を鎮魂しているのか?
その答えは、本書を手に取って確かめてください。

飛鳥時代、最も非業の死を遂げた人物といえば、乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿です。
日本書紀は決してフィクションではありませんが、時の権力者・藤原不比等によって、政権に都合の悪い記述は削除されています。しかし、同時代の人々にとって周知だった事実までを消し去ることはできません。
蘇我入鹿は怨霊となったのでしょうか。彼の死の真相に迫ることで、隠されていた歴史が見えてきます。

そもそも怨霊神を祀ることが、神社信仰のはじまりだったのかもしれません。
最古の神社である出雲大社はオオクニヌシの鎮魂の社であり、大神神社に祀られるオオモノヌシもまた祟り神でした。
タイトルがありきたりで全く期待せずに読んだのですが、神職でもある著者らしく神社研究に基づいた論考で、古代史に新たな視点を与えてくれます。

(2月16日読了)★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
日本史を創った男
ふたつの法隆寺


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:59| Comment(11) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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