2010年04月25日

改革者か?独裁者か?

4月18日、山田宏杉並区長をはじめとする地方自治体の首長らが、日本創新党を旗揚げしました。近年、東国原英夫宮崎県知事、橋下徹大阪府知事など中央に物申す改革派首長が注目を集めています。
ここにまたひとり、メディアを賑わせる首長が現れました。市職員の給与公開、辞めさせたい議員アンケートなど、ブログでの言動が波紋を呼んでいる鹿児島県阿久根市の竹原信一市長です。



独裁者“ブログ市長”の革命

鹿児島県北西部に位置する、人口二万四千人の阿久根市。農業と漁業が盛んですが、多くの地方自治体と同様、人口減少と高齢化に悩んでいます。市民の平均年収は200〜300万円程度。
ところが市職員の平均年収は655万円、しかも過半数の職員が700万円以上。退職金に至っては、一部上場企業・国家公務員をも上回る高額なものでした。

市民の利益よりも、自分たちの既得権益を優先する市職員。
市職員の言いなりで、議論をしない市議会議員。
父の経営する建設会社で働いていた竹原は、市役所や市議会の腐敗を告発するチラシ「阿久根時事報」を刷り、バイクで市内一万世帯へ配る活動を始めました。これが現在のブログ「住民至上主義」へとつながっています。

市民感覚とかけ離れた市役所と市議会に立ち向かう、竹原市長。たった一人(刺される覚悟で)、市政批判に立ち上がった勇気には、率直に敬意をします。
ブログでの問題発言や市議会との激しい対立から「独裁者」と批判され、どこかオカシイ人かと思っていましたが、語り口は意外にも冷静です。

地方分権、さらには地域主権という言葉が定着しつつあります。
道州制が導入されて県がなくなり、州のすぐ下が市町村になったら、今度は州都に一極集中するだけで地方はますます疲弊するのではないか…というのが本書を読んでの感想。

(4月19日読了)★★★★


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2010年04月18日

邪馬台国はどこへ行った?

邪馬台国はどこにあったのか、未だ論争は尽きませんが、邪馬台国がその後どうなったのかも気になります。
邪馬台国が発展して、そのまま大和朝廷となったのか?
それとも邪馬台国は、大和朝廷に併合されたのか?



邪馬台国の滅亡

邪馬台国の「その後」をテーマに掲げる一冊。
それは大和朝廷の成立過程を探ることでもあります。

まず邪馬台国とは、三世紀前半に魏王朝と交渉のあった国です。邪馬台国の位置は、当時の日本列島でどこが先進地域だったかとは直接関係がありません。
倭人伝には、帯方郡から邪馬台国までの距離と、所要日数が記されています。「水行十日・陸行一月」という日程は別として、里数から畿内には到底及ばず、方角・地理からも邪馬台国は九州北部にあったとするのが本書の見解です。

邪馬台国を解き明かす手掛かりとして、本書が重視するのは『古事記』と『日本書紀』です。
もちろん、記紀の記述が全て真実だとはいえませんが、なんらかの史実の反映であると考えられます。崇神天皇による四道将軍の派遣は、一地域王権に過ぎなかった大和朝廷が勢力を拡張するプロセスです。
記紀によれば、景行天皇と仲哀天皇の時代に九州へ遠征しています。本書は、これを大和朝廷による邪馬台国征服戦争だとするのです。

著者の若井敏明は、奈良県生まれ。邪馬台国論争にありがちな地元贔屓が全くないのは好感がもてます。
記紀重視とはいっても皇国史観に陥ることなく、アメノヒボコ伝承を踏まえて、渡来人が日本列島に地域王権を樹立していたことにも言及しています。ただ、大和朝廷が「全国を統一した」という表現には同意できません。
私は「三世紀の最も大きな遺跡が邪馬台国だとは限らない」と考えているので、本書のような九州説の反撃に注目しています。

(4月13日読了)★★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
描かれた邪馬台国
卑弥呼は箸墓に眠るのか?
邪馬台国へ至る道
太陽の道
鏡よ鏡…
邪馬台国は、ここにある。
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2010年04月04日

海を渡る天皇

2月18日、京都府向日市の長岡京跡で、桓武天皇が所有していたとみられる鎧の部品(小札)が発掘されました。
桓武天皇は、784年に平城京から長岡京へ遷都、さらに794年には平安京へ遷都しています。



桓武天皇の謎

桓武天皇を「海を渡る国際人」として描く、小林惠子。聖徳太子は突厥の達頭可汗(タルドゥ)であると主張する論者であります。
小林説によると、なんと聖徳太子は日本人でなかったのです。隋に敗れて日本へ渡った達頭は「日出ずる処の天子」となって、ふたたび隋に対抗したのだと。
では、桓武天皇は一体何人なのか…

奈良時代は天武天皇の子孫が皇位に就きましたが、桓武天皇の父である光仁天皇は、天智天皇の孫でした。ところが小林説では、光仁・桓武父子も天武系だというのです。
さらに、天武天皇は高句麗の淵蓋蘇文であるとか、聖武天皇は二人いたとか、超異説のオンパレード。小林惠子を知らない人が本書を読んだら、全くついていけないでしょう。
日本の歴史が東アジア情勢に多大な影響を受けていたことは事実でしょうが、本書の見解に対して以下のような疑問(ツッコミどころ)があります。

・隋に敗れて日本に亡命してきた突厥の達頭可汗を、なぜ大和朝廷は王に頂いたのでしょうか。達頭を捕らえて隋に差し出した方が、外交カードとして有効だと思います。大和朝廷は、よほど人材不足だったのでしょうか。

・天武系の人物が日本の天皇になることを承認しなかった唐王朝が、なぜ同じ人物が新羅王になることは黙認したのでしょうか。唐と地続きの新羅で反唐派の人物が王になる方が、日本の天皇になるよりも都合が悪いのでは。

・そもそも同じ人物が海を越えて、日本の天皇になったり新羅の王になったりすることが、簡単にできたのでしょうか。当然、抵抗勢力がいるはずですが。

(3月26日読了)★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
消えた(消された?)神様
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:33| Comment(22) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

新党結成

党首・幹事長の政治資金疑惑に、閣内不一致が顕在化し、支持率低下に悩む鳩山民主党政権。一方、野党となった自民党にも党勢回復の兆しは見えません。

今夏の参議院選挙を睨んで、派閥や利権を超えて真に政策の一致での政界再編を目指すべく、新党を結成しました。
党名は『リバタリアン新党』。
インターネットを通して政策を提言し、志を同じくする候補者を支援し、議員として相応しくない候補者に対しては落選運動を仕掛ける。参議院選挙に独自候補を擁立することも視野に入れております。

基本政策は、徹底的に自由な市場と手厚いセーフティネット。
税制は10%の消費税のみとし、これに負の所得税を組み合わせます。
また参議院を、政局に左右されず長期的に政策を論ずる場として改革します。
政策の詳細は、後日開設するウェブサイトにて。

(今日は4月1日です)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 不純総合研究所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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