2010年04月04日

海を渡る天皇

2月18日、京都府向日市の長岡京跡で、桓武天皇が所有していたとみられる鎧の部品(小札)が発掘されました。
桓武天皇は、784年に平城京から長岡京へ遷都、さらに794年には平安京へ遷都しています。



桓武天皇の謎

桓武天皇を「海を渡る国際人」として描く、小林惠子。聖徳太子は突厥の達頭可汗(タルドゥ)であると主張する論者であります。
小林説によると、なんと聖徳太子は日本人でなかったのです。隋に敗れて日本へ渡った達頭は「日出ずる処の天子」となって、ふたたび隋に対抗したのだと。
では、桓武天皇は一体何人なのか…

奈良時代は天武天皇の子孫が皇位に就きましたが、桓武天皇の父である光仁天皇は、天智天皇の孫でした。ところが小林説では、光仁・桓武父子も天武系だというのです。
さらに、天武天皇は高句麗の淵蓋蘇文であるとか、聖武天皇は二人いたとか、超異説のオンパレード。小林惠子を知らない人が本書を読んだら、全くついていけないでしょう。
日本の歴史が東アジア情勢に多大な影響を受けていたことは事実でしょうが、本書の見解に対して以下のような疑問(ツッコミどころ)があります。

・隋に敗れて日本に亡命してきた突厥の達頭可汗を、なぜ大和朝廷は王に頂いたのでしょうか。達頭を捕らえて隋に差し出した方が、外交カードとして有効だと思います。大和朝廷は、よほど人材不足だったのでしょうか。

・天武系の人物が日本の天皇になることを承認しなかった唐王朝が、なぜ同じ人物が新羅王になることは黙認したのでしょうか。唐と地続きの新羅で反唐派の人物が王になる方が、日本の天皇になるよりも都合が悪いのでは。

・そもそも同じ人物が海を越えて、日本の天皇になったり新羅の王になったりすることが、簡単にできたのでしょうか。当然、抵抗勢力がいるはずですが。

(3月26日読了)★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
消えた(消された?)神様


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:33| Comment(22) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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