2010年05月23日

ネット時代の神話

バブル崩壊後の1990年代は「失われた10年」と呼ばれ、さらには2000年代も含めて「失われた20年」という人もいます。
21世紀に入って早10年。インターネットが日常生活から切り離せなくなった現在、文学をはじめとする文化批評はどうあるべきなのか。「ゼロ年代批評最後の大物新人」(by東浩紀)という大層なフレーズが踊る、福嶋亮大によるネットワーク時代の文化論。



神話が考える

神話という言葉は「安全神話の崩壊」という具合に、なんらかのイデオロギーと結びついて使われます。しかし本書でいう神話とは、単純に情報処理の方程式のことです。
それでは「神話」という言葉を使う必要があるのか…そう思いながら読み始めたのですが、マルクス主義だとか経済成長だとかの「大きな物語」が失われた現在、サブカルチャーが神話の役割を果たしていると考えることは出来るでしょう。

正直言って、読み物として面白くはありませんでした。抽象的な文化論って、どうしても批評のための批評という感じがしてしまうので。それに私は、アニメやゲームのことも分かりません。したがいまして、本書の正当な評価は出来かねますので、ご了承ください。
著者のブログ『仮想算術の世界』では、鹿児島県阿久根市長の「障害者差別発言」のような具体的な問題も採り上げていて、面白いです。

サブカルチャーの世界に疎い者にとって、アニメ『∀ガンダム』やゲーム『東方project』といった個別の作品の批評は新鮮でした。
著者の専門が中国近代文学ということで、中華人民共和国のラノベ事情(あまり作者が公に顔を出さない日本に対し、作者と読者が近い)に触れているのも興味深いです。

福嶋亮大は「リベラルな民主主義」の他に政治的バリエーションはないと言い切っていますが、これには大いに疑問あり。

(5月17日読了)★★★


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2010年05月16日

遺跡をデザインする。

CA320057.JPG

戦国人気は根強いですね。私の住む福井市には、戦国大名・朝倉氏が居を構えた一乗谷朝倉氏遺跡があります。
朝倉氏は、一乗谷に京から多くの文化人を招き入れ、のちに室町幕府15代将軍となる足利義昭(当時は義秋)、織田信長に仕官する前の明智光秀が滞在したことでも知られています。
朝倉義景は織田信長との合戦に敗れ、一乗谷は灰燼に帰しましたが、戦国時代の遺構は地中に残されました。

5月16日、日本最大の中世遺跡である一乗谷朝倉氏遺跡にて、環境デザイナーの近藤公夫・奈良女子大学名誉教授による講演会が開催されました。
近藤さんは、一乗谷朝倉氏遺跡を公園化する基礎計画を立てた方です。これまでに奈良県の平城宮跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡の整備に関わり、現在は北海道の函館五稜郭箱館奉行所復原の整備員会座長を努めています。
演題は「一乗谷朝倉氏遺跡が今日に訴えるもの」。約40年間の遺跡公園整備のあゆみをお話しされました。

質問にも答えてくださいました。
一乗谷朝倉氏遺跡は海外からの評価が高いとの話だったので、日本の戦国時代に対する海外の関心はどのくらいかと尋ねましたが、関心はほとんど無いのだそうです。外国人の日本に対するイメージは「SONYの国」で、以前は未開の国だったと思われており、日本に来て初めて高度な文化遺産があるのを知って驚く。だからこそ、遺跡の価値を広く発信することが重要とのことでした。
一乗谷朝倉氏遺跡には中世の街並みが復元されていますが、朝倉義景館を復元してはどうかとの質問には、手掛かりとなる絵画等が残っていないので、復元は極めて難しいとのこと。また、安易に復元してイメージが固定化されてしまうのは良くない、想像することでロマンがかき立てられるとのご意見でした。

「先生が関わった平城宮跡では大極殿を復元しちゃいましたが、あれってやっぱりダメなんですか?」とツッコミを入れようかと思いましたが、遠慮しました(笑)

一乗谷朝倉氏遺跡資料館(福井県)
一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)
(社)朝倉氏遺跡保存協会
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

天皇の条件

ゴールデンウィークには昭和の日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)と、天皇について考える機会となる日があります。
今上陛下は、宮中祭祀を大切になされています。宮中祭祀には、天皇が天皇であるためのエッセンスが秘められているはずです。



天皇の宮中祭祀と日本人

皇位継承をめぐって、女性天皇を認めるべきか、さらには女系天皇をも認めるべきかとの議論があります。
山折哲雄は、象徴天皇制を支えているのは「血縁原理」と「カリスマ原理」であるとします。この二大原理が守られているならば、天皇は女性でも女系でも構わないというのが彼の意見です。

天皇の血の濃度は代を重ねるごとに薄まっていきますが、天皇霊の強度は減ずることがありません。
皇位継承において最も重要なのは天皇霊の継承であり、天皇霊を継承するための最高の秘儀が大嘗祭なのです。
旧皇室典範には、皇位継承の際は即位の礼と大嘗祭を行うことが明記されていました。ところが戦後に改められた典範からは、大嘗祭の記述が削除されています。このことを山折は非常に問題視しています。

先代の霊の継承を重視する王権として、本書は日本の皇室とチベットのダライ・ラマの類似性を指摘しています。
ただし大きな違いもあって、日本では遺体をケガレたものとして王城の外に葬るのに対し、チベットでは代々の法王の遺体はポタラ宮殿に祀られています。

天皇や神道という言葉に、戦前の国家神道を連想して拒絶反応を示す方もいらっしゃるかもしれません。しかし軍国主義と結びついた国家神道は、いわば神道の一神教化であり、多神教である本来の神道とは相容れないものでした。
巻末で「縄文以来の鎮守の森が、嘆いている」と書いていますが、21世紀の天皇と神道の在り方について、もう少し突っ込んだ提言があると面白かったのですが…

(5月4日読了)★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
平安朝をプロデュース
おやめになったらどうするの?
ノブレス・オブリージュ
知られざる法典
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

1旧84(後編)

ウィンストン・スミスは、真理省に勤務する党員です。党の政策と矛盾した過去の記録を削除し、現状に即した内容に書き改めるのが彼の仕事。いわば歴史の改竄です。
かつて自分が見聞きしたはずの記憶が、なかったことにされていく。党の支配体制に疑問を感じたウィンストンは、禁じられた行動に出ます。それは日記を付けること。第一級の思考犯罪です。



一九八四年新訳版

真理省には、黒髪の若い女がいました。豊満な肉体を持ちながら女を感じさせず、見るからに党のイデオロギーに忠実そうな潔癖さを湛えています。
もしかすると彼女は、党内の非正統派を嗅ぎつけて当局に告発する、思考警察の手先かもしれない。ウィンストンは彼女を恐れ、憎んでいました。

仕事を終えたウィンストンは、この国の失われた記憶を求めて、プロール(労働者階級)たちの暮らす貧民街へ出かけました。
党員たちは、余暇に地域活動へ参加することが推奨されており、プロール街へ出向くことは好ましい行動ではありません。
そこでウィンストンは、あの黒髪の娘と出会ってしまうのです。

党員たちの暮らしは生活物資が不足しており、密かにプロール街の自由市場で日用品を手に入れています。にもかかわらず、物資の生産量が毎年増加していると発表する潤沢省。そして過去の発表を都合よく改竄する真理省。
その名称とは正反対に、真理省は虚偽を、平和省は戦争を、愛情省は拷問を、潤沢省は欠乏を担っているのです。矛盾した事柄を同時に受け容れる「二重思考」が、ビッグ・ブラザーの党員に求められる資質です。

旧ソ連・東欧諸国の日常は、実際にこんな感じだったのだろうかと思わせるリアルな筆致。権力とはいかなるものかを考える契機を、現代の私たちにも与えてくれます。
解説はネタバレ有りなので、最後に読みましょう。

(5月2日読了)★★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
1旧84(前編)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

1旧84(前編)

村上春樹の『1Q84』がベストセラーになっているので、交遊しました…ジョージ・オーウェルの『1984年』と。
1949年にイギリスで発表された「旧作」ですが、昨年新訳版(高橋和久訳)が刊行されました。現代の最も不可解な作家、トマス・ピンチョンによる解説というオマケ付きです。



一九八四年新訳版

1950年代の核戦争のあと、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアという三つの超大国が覇を競っていました。
オセアニアは南北アメリカとイギリス、ユーラシアはロシアとヨーロッパ、イースタシアは日本を含む東アジアを領土としています。そして三大国の統治が及ばない空白地域(アフリカ・中東)では戦争が絶えず繰り返され、三大国はその都度、敵になったり味方になったりしています。

オセアニアでは、ビッグ・ブラザーの率いる党が独裁体制を敷いていました。
国民は党中枢、党外郭、そして大多数の労働者階級に分かれ、人々の行動は常にテレスクリーンで監視されています。
政府は四つの機関から成り立っています。報道・娯楽・教育などに関わる真理省、軍を指揮する平和省、法と秩序を司る愛情省、経済・産業を統括する潤沢省です。

オセアニアの言語は、英語が簡略化された「ニュースピーク」に置き換わろうとしています。例えば「良い」の反対の意味を「良くない」と表記すれば、「悪い」という単語は必要なくなります。
語彙を少なくすることで、人間の思考の幅を狭め、思想・言論を統制しやすくするのです。

全体主義社会を論じるにあたって、必ずといっていいほど言及される、オーウェルの『1984年』。物語の設定は知っていましたが、登場人物や物語の結末は知らないままでした。
イギリスで、読んでいないのに読んだふりをしてしまう本の第一位が、この『1984年』だそうです。

つづく
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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