2010年07月25日

日本一有名な三姉妹

テレビのアナログ放送停止まで、1年を切りました。テレビはほとんど見ないので関係ありませんが(笑)、来年のNHK大河ドラマは『江‐姫たちの戦国‐』だそうです。
江(ごう)は、戦国一の美女として名高いお市と浅井長政の三女で、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の継室です。法号は崇源院。長男の家光は3代将軍、五女の和子は後水尾天皇の中宮(東福門院)となりました。織田・浅井両家の血を引き、将軍の母にして天皇の祖母でもあるという、稀代のスーパーセレブであります。

お市は織田信長の妹で、近江小谷城主の浅井長政に嫁ぎました。のちに夫・長政と兄・信長は決裂。小谷落城後は、越前北ノ庄城主となった柴田勝家の妻と再婚します。しかし勝家は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と対立し、夫とともに北ノ庄城で自害しました。遺された茶々・初・江の三姉妹は、父母の仇である秀吉の保護下に置かれることとなります。
長女の茶々は、秀吉の側室となり、淀殿の名で知られています。大坂夏の陣で、息子の秀頼とともに自害。人生で三度もの落城を経験する、波乱の生涯を閉じました。
次女の初は、若狭小浜藩初代藩主である京極高次の正室。京極氏は浅井氏の主家筋にあたり、初と高次はいとこ同士でもあります。豊臣方の姉と徳川方の妹を仲裁すべく、奔走しました。

福井県とゆかりの深い、お市と浅井三姉妹。7月25日、福井県郷土誌懇談会総会記念講演会が、福井県立図書館で開催されました。
『お市と浅井三姉妹の生涯』
太田浩司(滋賀県長浜市長浜城歴史博物館)

お市と長政の婚姻は、正確な時期がわかっていないのですが、永禄10年(1567)〜11年(1568)とする説があります。この頃、お市は21〜22歳。当時としてはかなりの晩婚です。また、兄の信長は既に美濃を平定しており、政略結婚としての重要度も薄れてしまいます。この婚儀は、織田側の一方的な持ち出しなのです。
講師の太田氏は、永禄4年(1561)婚姻説を唱えています。長政は以前、賢政と名乗っていましたが、これは当時の主君である六角義賢の一字を授かったものです。しかし、永禄4年からは長政の名を用いています。これは信長の一字であり、この頃には織田・浅井同盟が成立していたというのです。本日の講演で、最も興味深い部分でした。

太田氏は、戦国史の大家・小和田哲男氏とともに大河ドラマの時代考証に参加しているのですが、自説ではなく小和田説が採用されて非常に残念そうでした。


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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