2011年06月29日

伊勢神宮に隠されたもの

法隆寺の中門には、なぜか真ん中に柱が建っています。哲学者の梅原猛は『隠された十字架』で、柱は非業の死を遂げた聖徳太子の怨霊を封じ込めたものだと主張し、一大論争を巻き起こしました。
近年、建築家の立場から法隆寺中門の柱を考察して話題となったのが、武澤秀一の『法隆寺の謎を解く』です。今度は同じちくま新書から、伊勢神宮の成立をめぐる著作を発表しました。

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伊勢神宮は、皇祖神・天照大神(以下、アマテラス)を祀った最も権威ある神社です。その起源を探ることは、日本国誕生の歴史を明らかにすることであります。
もともと、皇祖神はタカミムスヒでした。大和朝廷はたびたび朝鮮半島への軍事介入を行いましたが、高句麗軍に敗退します。軍事力の強化を図る大和朝廷は、北方の騎馬民族が信奉する天の神=タカミムスヒを、国家統一のイデオロギーとして輸入しました。皇祖神がアマテラスとなったのは、天武天皇の時代以降です。
論旨は、以前に交遊した溝口睦子の『アマテラスの誕生』(岩波新書)を踏襲しています。

本書は、神社をその起源からふたつに分類します。
ひとつは野外の磐座から派生した「ヒモロギ系」で、伊勢神宮に代表されます。
もうひとつは神と人が同じ建物で寝起きする神人共床の慣行から発展した「居館系」で、出雲大社がその代表です。
もともとは大王の宮殿や豪族の居館で神を祀っていたのですが、やがてそれは大王(天皇)の特権となります。しかし、出雲大社からは特権を剥奪できませんでした。
そうなると著者の次なるテーマは、出雲大社の謎でしょうか?

本書のクライマックスは、隠された「心の御柱」の意味でしょう。
今回は歴史学・神話学からの正攻法のアプローチであり、建築家ならではの視点は少ない気がします。個人的には溝口睦子の『アマテラスの誕生』を読んだ後では新鮮味は薄く、前著『法隆寺の謎を解く』ほどには楽しめませんでした。
なお著者・武澤秀一は、天武天皇と天智天皇は兄弟ではなかったとする立場のようです。

(5月16日読了)★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
アマテラスとタカミムスヒ
ふたつの法隆寺


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2011年06月27日

初心者は絶対に読んではいけません

第64回日本推理作家協会賞は、麻耶雄嵩の『隻眼の少女』が受賞しました。
麻耶雄嵩といえば、ミステリという小説の形式そのものを問う問題作・実験作(メタ・ミステリやアンチ・ミステリと呼ばれる)で知られています。『隻眼の少女』で彼の作品に初めて触れた読者は、その結末に驚愕したことでしょう。
しかしながらリピーターにとっては、ミステリの枠組を破壊するようなプロットこそが、彼の持ち味なのであります。

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麻耶雄嵩の作品の多くで探偵役を務めるのが、シルクハットにタキシードがトレードマークのメルカトル鮎。自ら銘探偵と名乗り、無謬の推理を誇る倣岸不遜な男です。
日本推理作家協会賞受賞後第一作『メルカトルかく語りき』は、銘探偵メルカトル鮎が超絶の推理を繰り広げる5つの難事件を収めた短編集。いずれも精緻なロジックを積み重ねた完璧な推理でありながら、最終的に導き出される結論は、ミステリ小説にあってはならないもの。
メルカトルファンなら思わずニヤリ。そうでない人にとっては、理解の範疇をはるかに超えた前衛的な作品です。ビギナーは絶対に読んではいけません!

※この先、麻耶雄嵩ビギナーの方はご注意ください。


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ラベル:麻耶雄嵩
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2011年06月24日

名前の秘密

忠臣蔵でおなじみの吉良上野介は、江戸幕府の高家という高貴な家柄なのに、なぜ「介」なんだろうと疑問に思ったことがあります。
上野介とは上野国の国司ですが、国司には守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)等の階級があり、介は2番目です。〇〇守と名乗る大名は、いくらでもいるにも関わらず。



同様に織田信長も「織田上総介」を名乗っており、ナンバー1の上総守ではありません。
後になって知ったのですが、実は上野・上総・常陸の三国は親王任国といって、親王(天皇の子)しか国守になれませんでした。しかし親王は現地に赴任しなかったので、その職務はナンバー2の介が代行しました。つまり上記三国においては、介が実質的な最高位だったのです。

上記の親王任国をはじめ、実名である諱(いみな)は「忌み名」であって実際に呼ばれることはなかったなど、日本の歴史における名前のルールを語る本。なんとなく読み始めたのですが、名前をめぐる薀蓄は、知れば知るほど面白いものです。外国人の名前、インターネットにおける匿名の在り方についても一章を割いています。

ちなみに著者・小谷野敦の読みは「こやの・とん」で、実名は「あつし」であります。

(5月15日読了)★★★★
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2011年06月20日

地球規模のミステリ

密室だのアリバイだの、そんなせせこましい事件はもう飽きた。もっとスケールの大きなミステリが読みたいとお嘆きの貴方。
あるんです。地球規模のトリックを仕掛けた壮大なミステリが。

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本作は『バミューダ海域のドラゴン』と『熱砂の摩天楼』の二話を収録。

極秘の最新機器を搭載したアメリカ空軍輸送機が消息を絶ちました。国家の威信を揺るがす事件を秘密裏に解決すべく、情報保安局総合調査課のリリー・クレメンタインは、ウェルズリー工科大学特任教授“Drショーイン”に接触を図ります。
リリーの前に姿を現した教授は、どう見ても子供。しかし“Drショーイン”こと松蔭クルトは、13歳にして工学・生物学・考古学・宇宙物理学など八つの博士号をもつ天才少年なのです。
輸送機が消息を絶った場所は、不可解な遭難事故が多発していることで名高い、かのバミューダ・トライアングル。そしてレーダーに映し出されたドラゴンの姿。輸送機を墜落させたのは、未知なる巨大生物の仕業なのか…
場所が場所だけに「さあ、ここから先はトンデモ全開か?!」と思いきや、事件は見事なまでにロジカルな解決へと導かれるのです。地球規模で仕掛けられた陰謀も圧巻。

後半の『熱砂の摩天楼』では、ショーインが考古学者ぶりを発揮。古代ペルーのシカン文明が遺した呪われたピラミッドの謎に挑みます。
超絶的なスケールの『バミューダ海域のドラゴン』を読んでしまった後では、サプライズ度はそれほどでもありませんが、こちらもサイエンスとミステリが融合した知的な謎解きを堪能できます。

(5月8日読了)★★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

もし不純なリバタリアンがサンデルの『Justice』を読んだら

昨年、名門ハーバード大学で史上最多の履修者数を誇るマイケル・サンデルの政治哲学講義「Justice」が、NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』として放映され、彼の著書『これからの正義の話をしよう』はベストセラーとなりました。
教授が一方的に講釈を垂れるのではなく、学生が積極的に自らの意見を述べて参加するのが白熱教室の魅力ですが、日本の大学に議論する場がないわけではありません。ただ、サンデル教授の「君、名前は?」には痺れました。あれは上手いですね。



ベストセラーには手を出すまいと思いつつも、やはり買ってしまいました(笑)
売れているだけあって、読みやすい本です。ジェレミー・ベンサムの功利主義、イマヌエル・カントの定言命法、アリストテレスの目的因(テロス)などが、現代社会での実例を挙げながら解りやすく紹介されています。数千年の哲学史をファンタジーの手法で紐解いたヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』が思い出されます。本書で一番難解なのは、帯に書かれた宮台真司の推薦文でしょう(笑)
サンデルはコミュニタリアンであり、最大多数の幸福を追求する功利主義や、個人の自由な選択を尊重するリバタリアニズムを批判します。サンデルの支持する正義とは、美徳を涵養し共通善について判断することです。では「共通善」とは何なのかとなると、残念ながら本書から具体的な回答は得られません…
また、サンデルが言及するコミュニティへの連帯や責務には、アメリカの「テロとの戦い」を正当化するための危うさが感じられることも付け加えておきます。

自己決定を尊重するリバタリアニズムに共感する私には、自分の身体や人格の所有者は自分自身ではないとするサンデルの主張は、到底受け容れられません。他人の自由を侵害しない範囲で個人の選択の自由を最大化すべしとするリバタリアニズムは、自殺をも愚行権として認めます。人間は社会的生物であり、共同体と不可分には生きていけません。だからこそ自己の身体と精神は、残された「自由の最後の砦」なのです。
私は個人の心情・信条としてはリバタリアンですが、現実の社会制度としては富の再分配は必要だと考えます。市場における勝者は敗者を踏み台にして利益を得ているのであり、格差が拡大し過ぎては市場から競争する活力が失われる可能性もあります。リバタリアニズムとは、必ずしもアナーキズムと同義ではないのです。国家も法律も全く不要だと考えるリバタリアンは、ごく少数でしょう。

リバタリアンが尊重する「自由な個人」なんて、近代社会が生んだ妄想に過ぎないのかもしれません。同様にコミュニタリアンの掲げる「共通善」も、全人類が共有しうる普遍的なものとは限りません。
現代社会は世界各国が貿易や情報ネットワークで密接につながり、科学技術は脳死からの臓器移植や代理母出産をも可能としました。複雑に利害が絡み合った多種多様な「善」を調整するのが、市場であったり、法廷であったり、伝統的な集合知であったりするわけです。アテネの市民社会のことだけを考えていれば良かったアリストテレスの時代とは違います。
人間には自由意志があり、有史以来、自然界にはなかったモノや制度を生み出してきました。野生動物のように、遺伝子にプログラミングされた本能と自然界のルールという「共通善」に従って生きていけば良いだけなら、何の問題もありません。動物の世界だって、そう単純ではないかもしれませんが(笑)

(5月4日読了)★★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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