2011年10月24日

一の宮めぐり

せっかく小浜市までやってきたので、福井県立若狭歴史民俗資料館の近くにある若狭国一の宮「若狭彦神社」と二の宮「若狭姫神社」にも行って参りました。

CA320027.JPG
若狭彦神社(上社)
祭神の若狭彦大神とは、山幸彦の名で知られる彦火火出見尊のこと。

CA320031.JPG
若狭姫神社(下社)
祭神の若狭姫大神は、海神の娘である豊玉姫命。山幸彦の妻となる。

若狭彦神社と若狭姫神社、参拝するのに順序はあるのか。資料館の職員の方に聞いてみました。
「特に決まっていないが、最近は一の宮めぐりが人気とかで、今はどちらも若狭一の宮を名乗っている。しかし本来は若狭彦神社が一の宮で、若狭姫神社が二の宮。やはり一の宮から行くべきでしょう」
というわけで若狭彦神社へ。帰路の無事を祈願しました。
ところが帰りに立て看板を見ると「@下社(若狭姫神社)→A上社(若狭彦神社)」の順序になっていました。
普通に考えれば、里にある下社が先、山にある上社が後ですよね。看板には「逆も可」と書いてあったので、まあ良しとしましょう(笑)

CA320034.JPG
帰りは、国道27号線沿いにある十善の森古墳(前方後円墳)にも立ち寄りました。

【不純文學交遊録・過去記事】
若狭国の古墳と交遊


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月23日

世界最古のウルシの木

1984年に鳥浜貝塚(福井県若狭町)から出土したウルシの木片が、約1万2600年前の縄文時代草創期のものと判明しました。
asahi.com 2011年10月7日
10月23日、福井県立若狭歴史民俗資料館で開催中の平成23年度特別展「縄文人の業と心−自然とともにある暮らし−」において、この世界最古のウルシの木が一日限りで公開されました(館内は撮影禁止のため写真はありません)。

CA320022.JPG
福井県立若狭歴史民俗資料館(福井県小浜市)
有栖川有栖氏の小説のタイトルにもあるように、若狭国の国府があった小浜は「海のある奈良」と呼ばれています。東大寺の正倉院を思わせるデザインの建物です。

四柳嘉章氏(石川県輪島漆芸美術館館長・漆器文化財研究所所長)による記念講演会「縄文時代の漆文化」を拝聴いたしました。
漆の赤は、血の色であり、火の色であり、そして太陽の色です。触れるとかぶれることから、漆には破邪(魔除け)の意味合いもあります。漆は実用品としてではなく、呪術的に用いられたものであり、漆を用いる文化には高い精神性が認められるのです。
漆黒という言葉があるように、漆といえば黒のイメージがありますが、黒い漆器が出土するのは日本では弥生時代の後期以降です。支那・漢代の影響と考えられます。

最も呪術性が高いのが、髪に挿す竪櫛です。櫛の上部には角のような二本の突起がありますが、これはシカの角をイメージしたものです。生え変わるシカの角は再生のシンボルであり、漆の赤とともに生命の神秘を表現します。長い縄文時代を通して、二本の突起をもった基本デザインは変わりません。今回の特別展のチラシには、ニホンジカの頭骨と漆塗櫛が上下に並んでいますが、こうした意味があったんですね。
天皇が皇女を斎王として伊勢に送り出す時は、髪に別れの櫛を挿します。角を着けることで、向こうの世界の住人となるのです。鬼の頭に角があるのも、巫者(シャーマン)が祭礼で頭に角を着けるのも、ルーツは同じだといいます。

ウルシは大陸から伝来したとされてきましたが、このたびの発見で日本列島に自生していた可能性が出てきました。ただ、縄文時代の漆製品の出土例は日本海側に多く、これはウルシが大陸から伝来した傍証であると考えられることから、結論はまだ先のようです。ウルシの木の遺伝子解析もされていますが、漆器をDNA鑑定して産地を特定することは不可能だそうです。
なお、漆器のことを英語で「Japan」といいますが、「Japan」には「まがい物」という意味もあるため、近年はそのまま「Urushi」と呼ぶようになっています。

講演が始まる前は、漆製品の技術的な話だけかと思っていましたが、漆文化を通して古代人の世界観を解き明かす内容で、大変に満足いたしました。
四柳館長は、石川県穴水町にある美麻奈比古神社の宮司でもあります。呪術性に溢れた漆製品の出土は、神道的な世界観が縄文時代にまで遡ることの物証かもしれないと、管理人は妄想を逞しくするのでした。

若狭歴史民俗資料館の常設展は、鳥浜貝塚を中心とした縄文時代、若狭国造・膳臣と古墳時代、御食国と呼ばれた律令時代、武田氏が守護となった中世、小浜藩主・酒井氏の近世と、若狭国の歴史を一望できます。また「民俗」の名が示すように、若狭地方各地に残る伝統行事に関する展示が豊富なのも特徴です。
現在、NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が放映中であることから、浅井三姉妹の次女・初(初代小浜藩主・京極高次の正室)にまつわる品々も展示されています。

posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

将軍様の真の顔

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝といえば、教科書でおなじみの、黒い衣冠束帯姿の威厳に満ちた肖像画が思い浮かびます。
しかし近年、この肖像画のモデルは別人であるとの説が出されています。



伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像は神護寺三像と呼ばれ、いずれも国宝に指定された肖像画の名品です。作者は鎌倉時代初期の貴族・藤原隆信とされています。
しかし新説は、画風や画材から神護寺三像を南北朝時代の作であるとし、頼朝像は足利直義、重盛象は足利尊氏、光能像は足利義詮を描いたものであるとします。
ちなみに足利尊氏像として知られた一束切り(髻をひと握り切った髪)の騎馬武者像は、近年では尊氏の執事・高師直だとする説が有力です。

神護寺の頼朝像が足利直義であるとの新説を唱えたのは、米倉迪夫です。
米倉説を支持する黒田日出男は、山梨県甲府市の甲斐善光寺に伝わる彫像こそが、真の源頼朝像であるとします。胎内銘から、頼朝の没後まもなく造られた彫像であり、生前の面影を最も強く残した作品だといいます。
かなり以前ですが、この説を紹介したテレビ番組(NHKの日曜美術館だったかな?)を見ました。神護寺の肖像画と甲斐善光寺の彫像は印象が大きく異なりますが、私は面長で鼻筋の通った顔立ちが共通していると思いました。

黒田日出男著『源頼朝の真像』は、肝心の神護寺肖像画を頼朝ではないとする根拠が、完全にスルーされています。米倉迪夫の著書を読めばいいだけの話ですが、そこを端折ってしまうのは如何なものでしょうか。源頼朝・北条政子夫妻の善光寺に対する信仰の篤さについては、非常に興味深く読みました。
次作では、神護寺三像が足利氏であることを論証するそうです。

(6月12日読了)★★★

【不純文学交遊録・過去記事】
貴族将軍の苦悩
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:52| Comment(10) | TrackBack(0) | 芸術・娯楽交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月17日

オカルト物件ございます

日本には平将門の首塚や羽田空港の大鳥居など、どんなに剛腕のゼネコンでも手を出そうとしない「いわくつきの物件」があります(事の真偽はさて措いて…)。



なにやら、とてつもなくおバカな小説があるとの情報を得ました。それは小説家エージェントのボイルドエッグス新人賞を受賞した蒲原二郎の『オカルトゼネコン富田林組』。
まず、装丁が笑えます!
小学校の図書室でおなじみ、ポプラ社の『少年探偵団シリーズ』や『怪盗ルパン全集』にそっくり。ただし、とても小学生には読ませられない「R18」なネタが散りばめられております。

Fランク(誰でもFreeで入れる)私立大学を卒業した田中たもつは、奇跡的に一流大学卒しか入れない大手ゼネコンの富田林組に入社しました。
夢にまで見た甘いオフィスラブを期待したのも束の間、たもつは入社式の会場から怪しい地下の一室へと連れて行かれます。そこは総務部庶務二課資料調査室、通称「調査部」のオフィスでした。
富田林組「調査部」が手掛ける二大事業。それは恐ろしい祟りがあると噂されるオカルト物件と、自衛業の方々(注;自衛隊のこと)が秘密裏に整備を進める防衛施設。
新卒社員とは思えない破格の報酬と引き換えに、たもつは体を張って怪しげな工事の完了を見届けるのです。



続編の『オカルトゼネコン火の島』は、太平洋戦争の激戦地となった硫黄島を思わせる孤島が舞台。
島の自衛隊基地を大噴火から護るべく、火山神の怒りを鎮める人身御供となった田中たもつ。果たして生還できるのか。
バカバカしさ全開の作品でありますが、最後には一転、読者をホロリとさせるのも本シリーズの魅力です。

(5月30日読了)★★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 19:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月16日

越の国の大首長

現在の北陸地方と新潟県は「越の国」と呼ばれていました。福井県坂井市には北陸地方最大の前方後円墳である六呂瀬山1号墳(墳丘長約140m)があり、第26代継体天皇の生母・振姫(第11代垂仁天皇7世孫)を輩出した一族の大首長墓であるとの説があります。

rokuroseyama.jpg
六呂瀬山古墳群(福井県坂井市)

長年にわたって福井県の遺跡発掘を主導してきた青木豊昭氏(福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館元館長)の講演会が、10月16日に鯖江市まなべの館で開催されました。演題は「今北山古墳群と越の大首長」。現在進行中の今北山・磯部・弁財天古墳群(福井県鯖江市)の発掘成果とともに、越の国の古墳時代について熱弁を奮いました。
今北山古墳は墳丘長約78m、前方部が撥(ばち)型に広がった初期の前方後円墳です。有名な箸墓古墳(奈良県桜井市)と同じ形状であり、この地が早くから開けていたことを意味します。近々、市指定史跡から(県指定を飛び越えて)国指定史跡に昇格するとのこと。
発見された当初、今北山古墳は隣り合った円墳と方墳だと思われていました。若き日の青木さんが、ひとつの前方後円墳であることに気付いたのです。「先人の業績にケチを付けて、覆していくのが二番手の楽しみ(笑)」と語る青木さん。その後も次々と県内の考古学界を塗り替えていきました。
先述の六呂瀬山古墳群は、国道364号線の建設による崩壊の危機に直面しましたが、青木さんたちの尽力によって古墳の下にトンネルが掘られることになり、全ての古墳が保存されました。

会場には、青木さんの私物である三角縁神獣鏡と銅鐸が登場。真新しい光沢があるので一目で複製品だと判りましたが、それでも30万円はするそうです。講演で使う教材として購入したのだとか。
今回の講演は、さばえ遺跡発掘速報展(10月6日〜23日)の一環として行われました。冒頭で青木さんは、新聞の一面を飾るような新発見があったと宣言。詳しくはまだ明らかに出来ないのですが、弁財天古墳群周辺の壕の跡から弥生土器の破片が見つかり、倭国大乱との関連が想起される高地性環壕集落だった可能性があるそうです。
今北山古墳群・磯部古墳群・弁財天古墳群

【不純文學交遊録・過去記事】
またまた古墳と交遊
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

地震はナマズのせいだと言ったのは誰?

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震から7ヶ月。マグニチュード9.0という国内観測史上最大の規模と大津波による未曽有の災害は、平安時代の869年7月13日(貞観11年5月26日)に起こった巨大地震の再来であると考えられています。
このたびの大震災を教訓に、過去の地震における津波の記録が改めて見直されるようになりました。
私たちは地球の歴史から何を学ぶことができるのか。10月9日、福井県立恐竜博物館にて産業技術総合研究所招聘研究員・寒川旭氏(地震地質学・地震考古学)が「大地に刻まれた地震痕跡」と題して講演しました。
(管理人は年間パスポートを持っているので、1500円で何度でも入館できます)

20111009.jpg
震災からの復興を願って博物館近くに現れた和紙恐竜。がんばろう日本!

貞観の大地震は、菅原道真らが編纂した正史『日本三代実録』に記されています。9世紀の日本列島は地震・火山の活動期でした。864年(貞観6年)には、富士山の有史以来最大規模の噴火も起こっています。貞観の大噴火による溶岩流で出来たのが、現在の青木ヶ原です。
戦国時代にも数々の大地震が記録されています。1586年の天正地震では、富山県の木舟城にいた前田秀継(前田利家の弟)が圧死、岐阜県の帰雲城では内ヶ嶋氏理が一族もろとも山崩れで滅亡しました。そのとき豊臣秀吉は滋賀県の坂本城で地震に遭い、一目散に大坂城へ逃げ帰ったといいます。
のちに秀吉は、伏見城を普請する際「なまつ(鯰)大事」と書状に記し、耐震補強の重要性を説いています。これが地震をナマズに見立てた最古の史料です。
しかし1596年の慶長伏見地震で、伏見城は脆くも倒壊。真の継体天皇陵である可能性が高い今城塚古墳も、墳丘が大きく崩壊しました。現在、宮内庁は太田茶臼山古墳を継体天皇陵に指定していますが、中世以前は今城塚古墳だとされていました。地震で崩壊した今城塚古墳は、天皇陵に相応しくないと考えられたのかもしれません。

東日本大震災では、千葉県浦安市をはじめ各地で液状化現象による被害が報告されました。液状化現象は人工の埋め立て地で起こるものとばかり思っていたのですが、全国の遺跡発掘現場からは過去の地震で発生した液状化現象による噴砂の痕跡が見つかっています。日本列島に安全な場所は無いのですね…
100〜150年周期で訪れる地震の活動期は、不思議と歴史の転換期に重なっています。次なる活動期と予想される21世紀の半ば、日本はどんな時代を迎えているのでしょうか。
寒川さんは少年時代に漫画家を目指していたそうで、講演でも見事な自作のスライドを披露してくれました。ちなみに漫画を描くときのペンネームは、本名を逆さにした旭川寒(あさひかわ・さむい)だそうです。


【余談】埼玉県の秩父地域は、周辺で大きな地震が起こっても揺れが小さいのだとか…
秩父地方の地震に対する優位性(PDF)株式会社リテラ

posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。