2011年10月09日

地震はナマズのせいだと言ったのは誰?

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震から7ヶ月。マグニチュード9.0という国内観測史上最大の規模と大津波による未曽有の災害は、平安時代の869年7月13日(貞観11年5月26日)に起こった巨大地震の再来であると考えられています。
このたびの大震災を教訓に、過去の地震における津波の記録が改めて見直されるようになりました。
私たちは地球の歴史から何を学ぶことができるのか。10月9日、福井県立恐竜博物館にて産業技術総合研究所招聘研究員・寒川旭氏(地震地質学・地震考古学)が「大地に刻まれた地震痕跡」と題して講演しました。
(管理人は年間パスポートを持っているので、1500円で何度でも入館できます)

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震災からの復興を願って博物館近くに現れた和紙恐竜。がんばろう日本!

貞観の大地震は、菅原道真らが編纂した正史『日本三代実録』に記されています。9世紀の日本列島は地震・火山の活動期でした。864年(貞観6年)には、富士山の有史以来最大規模の噴火も起こっています。貞観の大噴火による溶岩流で出来たのが、現在の青木ヶ原です。
戦国時代にも数々の大地震が記録されています。1586年の天正地震では、富山県の木舟城にいた前田秀継(前田利家の弟)が圧死、岐阜県の帰雲城では内ヶ嶋氏理が一族もろとも山崩れで滅亡しました。そのとき豊臣秀吉は滋賀県の坂本城で地震に遭い、一目散に大坂城へ逃げ帰ったといいます。
のちに秀吉は、伏見城を普請する際「なまつ(鯰)大事」と書状に記し、耐震補強の重要性を説いています。これが地震をナマズに見立てた最古の史料です。
しかし1596年の慶長伏見地震で、伏見城は脆くも倒壊。真の継体天皇陵である可能性が高い今城塚古墳も、墳丘が大きく崩壊しました。現在、宮内庁は太田茶臼山古墳を継体天皇陵に指定していますが、中世以前は今城塚古墳だとされていました。地震で崩壊した今城塚古墳は、天皇陵に相応しくないと考えられたのかもしれません。

東日本大震災では、千葉県浦安市をはじめ各地で液状化現象による被害が報告されました。液状化現象は人工の埋め立て地で起こるものとばかり思っていたのですが、全国の遺跡発掘現場からは過去の地震で発生した液状化現象による噴砂の痕跡が見つかっています。日本列島に安全な場所は無いのですね…
100〜150年周期で訪れる地震の活動期は、不思議と歴史の転換期に重なっています。次なる活動期と予想される21世紀の半ば、日本はどんな時代を迎えているのでしょうか。
寒川さんは少年時代に漫画家を目指していたそうで、講演でも見事な自作のスライドを披露してくれました。ちなみに漫画を描くときのペンネームは、本名を逆さにした旭川寒(あさひかわ・さむい)だそうです。


【余談】埼玉県の秩父地域は、周辺で大きな地震が起こっても揺れが小さいのだとか…
秩父地方の地震に対する優位性(PDF)株式会社リテラ



posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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