2012年01月23日

美学+ミステリ

またひとつ、ミステリ小説の新人賞が誕生しました。海外モノのSFやミステリでおなじみ、早川書房が主催するアガサ・クリスティー賞です。
第一回受賞作となったのは、森晶麿の『黒猫の遊歩あるいは美学講義』。アガサ・クリスティーならぬ、エドガー・アラン・ポーの作品群をモチーフとした連作短編集であります。



語り手はポー(作中での表記はポオ)の研究者で、大学院の博士課程に在籍する女性。語り手が体験する不可思議な出来事の謎を解き明かすのが、24歳の若さで美学教授に抜擢された「黒猫」と渾名される男性です。
各章はポーの作品のみならず、古今東西の作家や芸術家の作品論を絡めて構成されています。例えば第一話の『月まで』は、ポーの『モルグ街の殺人事件』を縦糸に、ジョルジュ・オスマンによるパリの都市計画と日本の『竹取物語』が横糸として織り込まれています。

収録作品されているのは、以下の6編(カッコ内はモチーフとなったポーの作品)。
『月まで』 (モルグ街の殺人事件)
『壁と模倣』 (黒猫)
『水のレトリック』 (マリー・ロジェの謎)
『秘すれば花』 (盗まれた手紙)
『頭蓋骨のなかで』 (黄金虫)
『月と王様』 (大鴉)

美学者と云う人種は、こんなにも面妖な理由で死ぬのでしょうか。飛躍しすぎでは。
日常的には起こらない偶然で、たびたび登場人物が結びつくのも都合が良すぎます。
どんなに自然界が神秘的でも、これは絶対に有り得ないという現象まで発生します。
これらは虚構の世界の出来事だからと、許すしかないのでしょうか。
それからポーの作品を論じるのが語り手の院生ではなく、若き教授の黒猫君というのもしっくり来ません。出る幕のない彼女が可哀そう。

いろいろと文句を書きましたが「美学+ミステリ」という今まで読んだことのない作風は新鮮で、雰囲気は十分に楽しめました。
ペダンティックでスノッブな文章は鼻につきますが、こんな洒落た会話を誰かとカフェで交わしてみたくなる、そんな読後感です。
一言でいえば、薀蓄系日常の謎ミステリ。ちなみに著者は、大学院の芸術学研究科博士前期課程を修了しています。

巻末の選評では、ポーの『黒猫』のネタバレが強く批判されていました。
私は既読なので影響はありませんでしたが。

(11月27日読了)★★★★


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2012年01月16日

私は誰?ここは何処?

1991年、郷ひろみの物真似で知られた歌手・若人あきら(現・我修院達也)が熱海の海岸で失踪し、三日後に小田原で記憶を失った状態で保護されました。ドラマや漫画の登場人物が頭を打って「私は誰?ここは何処?」と呟くのは、もはや古典的なギャグですが、事故で記憶を失うことが本当にあるのを実感した出来事でした。
そんな古い話を思い出したのは、第21回鮎川哲也賞を受賞した山田彩人の『眼鏡屋は消えた』を読んだから。失われた記憶という時間の壁に挑むミステリです。



森野学園高校の藤野千絵は、演劇部の部室で何者かに後頭部を殴打されて、記憶を失いました。学園祭で演じる創作劇「眼鏡屋は消えた」の稽古中に…
ところが千絵は演劇部の部員ではなく、演劇部顧問の英語教師になっていました。高校時代から今日までの8年間の記憶が、すっかり失われていたのです。

「眼鏡屋は消えた」の脚本を書いたのは、千絵の親友・竹下実綺。
そういえば実綺は今、どうしているのだろうか。しかし千絵は、実綺が既にこの世の人でないことを知らされます。しかも、高校の学園祭の直前に自殺していたのです。
あの生命力旺盛な実綺が、自殺なんてするはずがない…千絵は失われた8年間を取り戻すべく、当時の関係者たちと連絡を取り始めます。

そんな一人が、演劇部の幽霊部員だった戸川涼介でした。練習には全く参加しないくせに、他の部員の演技に対して偉そうに講評を述べていたイヤな奴。しかしルックスだけは、面食いの千絵好みな超イケメンです。
涼介は就職した会社が倒産し、現在は犬猫探しの依頼しか来ない探偵見習い。千絵の依頼に対し、探偵としての報酬を要求します。相変わらずイヤな奴ですが、いま頼れるのは涼介だけ。二人のドタバタ調査が始まります。

「眼鏡屋は消えた」のストーリーは、3年前(現在の時系列からでは11年前)に森野学園高校で男子生徒が変死した事件がモデルとなっています。しかし劇の内容を知った保護者たちから非難の声があがり、上演中止の危機に瀕していました。そして8年後、演劇部顧問として再びこの劇を演じようとする千絵にも、中止の圧力がかかります。
千絵が殴打されたのは、上演反対派による実力行使なのか。劇の脚本には、触れてはならない学園の暗部が隠されているのか。そして竹下実綺の死の真相は…

物語の大部分は、千絵と涼介のダイアローグで進行します。
そのテンポの良さで一気に読ませてくれる作品でしたが、会話だけで「事実」が積み上げられていく展開には、登場人物のご都合主義に陥る危うさを感じました。巻末の選評でも「推理ではなく推論」との辛い評価をされています。
ただ、その「ご都合主義」とやらが、事件の真相を見え難くしていたのです。

鮎川哲也賞作品で毎度おなじみの選評。今回も笠井潔・北村薫・島田荘司・山田正紀の4氏ですが、各人の思い入れはそれぞれ。島田荘司は、本作中の小エピソードに異常な関心を示しています。
惜しくも受賞には至らなかったものの、アイデアは秀逸な作品もあったようで、日の目を見る機会があればぜひ読んでみたいですね。

(11月23日読了)★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

午前零時のシンデレラ

これまでに読んだことがない新しい作家を開拓しよう!
そこで手に取ったのが、1980年代生まれの新鋭作家たちによる作品集。



『放課後探偵団』というタイトルから想像されるように、学園ミステリの競作です。
これから単行本デビューする予定の作家の卵さんもいます。
収録されているのは以下の5作。
似鳥 鶏 『お届け先には不思議を添えて』
鵜林伸也 『ボールがない』
相沢沙呼 『恋のおまじないのチンク・ア・チンク』
市井 豊 『横槍ワイン』
梓崎 優 『スプリング・ハズ・カム』

これは巧い!と思ったのは『恋のおまじないのチンク・ア・チンク』。
そして『スプリング・ハズ・カム』はラストシーンに胸が熱くなります。
この2作が気に入りました。

(7月30日読了)



そういうわけで、第19回鮎川哲也賞を受賞した相沢沙呼の『午前零時のサンドリヨン』でございます。
学校では無口で、いつもひとりぼっちの酉乃初。でもマジックを披露するときは、別人のように生き生きとしています。実は彼女、放課後はレストランバー「サンドリヨン」でマジシャンのアルバイトをしているのです。
そんな酉乃さんに一目惚れしてしまったのが、ポチこと須川君。酉乃さんのマジックの力を借りて、学園で起こった不思議な現象を解き明かそうとします。いわゆる日常の謎ミステリです。
謎解きの過程で浮かび上がる、高校生たちの微妙な人間関係。酉乃さんが名探偵のごとくサラリと事件を解決するのではなく、途中で大失態を演じてしまうのもいいですね。孤独を抱える酉乃さんに感情移入しながら読みました。
サンドリヨンとは、フランス語でシンデレラの意味です。

鮎川哲也賞の受賞作品は、巻末に選評が掲載されています。プロに選ばれる作品は概して一致しているのかと思いきや、4名の選考委員(笠井潔・北村薫・島田荘司・山田正紀)の意見が見事にバラバラなのが面白いですね。

(8月21日読了)★★★★



待望のシリーズ第2弾が『ロートケプシェン、こっちにおいで』。
『放課後探偵団』で既出の『恋のおまじないのチンク・ア・チンク』が収録されていて、連作ストーリーの一部を成しています。些細なきっかけから起こった女子生徒間のいじめがテーマ。なんとか彼女たちを仲直りさせようと、ポチ君が酉乃さんを巻き込んでお節介をやきます。
少しずつ酉乃さんとの距離を縮めようと画策するポチ君ですが、そこに割り込んでくる曲者が、酉乃さんとは幼馴染みの八反丸芹華。かつて酉乃さんをいじめたことがあり、それでいて彼女を一番理解しているのは自分だと主張する気の強い少女です。今後も八反丸さんが、物語を掻き回してくれそう。
このシリーズ、物語はポチ君の視点で進みますが、彼は重度の太腿フェチ。ちなみに作者は男性です。そうそう、ポチというニックネームの由来も気になりますね。
なお、ロートケプシェンとはドイツ語で赤ずきんのこと。

ミステリ作家にしてマジシャンといえば泡坂妻夫が有名ですが、相沢沙呼も自らマジックを嗜むことで知られています。

(12月12日読了)★★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学・小説交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

ネットワークは一般意志の夢を見るか

筆者は夢を語ろうと思う。それは未来社会についての夢だ。
(東浩紀『一般意志2.0』第一章)

新年の幕開けにふさわしい口上から始まるこの一冊から、今年の交遊を始めましょう。



18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーは、人民主権を唱えてフランス革命に大きな影響を与えました。ルソーは個人の自由を賞揚した一方で、全体主義を肯定しかねないとの批判も受けています。彼の『社会契約論』によると、個人(特殊意志)は全体(一般意志)に絶対服従すべきであると読めるのです。この大いなる矛盾を、どう解釈すれば良いのでしょうか。
ルソーのいう一般意志は、民意や世論と似ているようで実は違います。一般意志とは、単なる大衆の意見の総和ではありません。ルソーはそれを全体意志と呼んで区別しています。一般意志とは「つねに正しく、つねに公共の利益に向かう」ものなのです。
また、一般意志は統治機構(政府)そのものではありません。政府は一般意志の代行機関に過ぎず、その担い手は王であっても貴族であっても構いません。ルソーは代議制(間接民主制)を否定したことでも知られています。

一般意志も全体意志も個人の私的な利害(特殊意志)の集合ですが、前者はつねに正しいのに対し、後者はしばしば誤りを犯します。それでは一般意志とは、空疎な理念でしかないのでしょうか。
東浩紀は一般意志とは数学的存在であり、たとえ共同体の成員が一言も交わさなくとも存在するものだとします。そしてグーグルに代表される現代の情報テクノロジーによって、共同体の無意識である一般意志をデータベース化できるというのです。こうしてアップデートされた一般意志を、著者は「一般意志2.0」と呼んでいます。
しかし著者が構想するのは、大衆の欲望をそのまま反映した直接民主制ではありません。可視化された「一般意志2.0」は、選良の暴走に対する抑制力として働くとします。選良すなわち国会議員は存在するわけです。本書の主題からは逸脱しますが、著者が日本の選挙制度をどう考えているのか気になります。

本書はルソーの一般意志を文字通り(ベタに)読めば、このような解釈が可能だというものです。もちろんルソーの真意は、本人に聞いてみなければ分かりません。しかし社会思想家でありながら、ロマン主義の文学者でもあったルソーです。こういう解釈はありだろうと非常に楽しく読ませてもらいました。
ただし本書が掲げる「民主主義2.0」に対して、最後まで消せない疑念が残りました。それは「一般意志2.0」のアーキテクチャに、設計者のバイアスが入り込む余地はないのかというものです。例えば「議員定数削減」が禁止ワードに設定されていたら、大衆の大多数がそれを望んでいても一般意志として吸い上げられることはないでしょう。

とはいえ、夢を語ることは大事です。
政治家はもっと夢を語るべきだと思います。実現可能かどうかはひとまず措いて。
日本には実務部隊として優秀な官僚組織があるわけですから。

(12月29日読了)★★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 15:37| Comment(29) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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