2012年01月01日

ネットワークは一般意志の夢を見るか

筆者は夢を語ろうと思う。それは未来社会についての夢だ。
(東浩紀『一般意志2.0』第一章)

新年の幕開けにふさわしい口上から始まるこの一冊から、今年の交遊を始めましょう。



18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーは、人民主権を唱えてフランス革命に大きな影響を与えました。ルソーは個人の自由を賞揚した一方で、全体主義を肯定しかねないとの批判も受けています。彼の『社会契約論』によると、個人(特殊意志)は全体(一般意志)に絶対服従すべきであると読めるのです。この大いなる矛盾を、どう解釈すれば良いのでしょうか。
ルソーのいう一般意志は、民意や世論と似ているようで実は違います。一般意志とは、単なる大衆の意見の総和ではありません。ルソーはそれを全体意志と呼んで区別しています。一般意志とは「つねに正しく、つねに公共の利益に向かう」ものなのです。
また、一般意志は統治機構(政府)そのものではありません。政府は一般意志の代行機関に過ぎず、その担い手は王であっても貴族であっても構いません。ルソーは代議制(間接民主制)を否定したことでも知られています。

一般意志も全体意志も個人の私的な利害(特殊意志)の集合ですが、前者はつねに正しいのに対し、後者はしばしば誤りを犯します。それでは一般意志とは、空疎な理念でしかないのでしょうか。
東浩紀は一般意志とは数学的存在であり、たとえ共同体の成員が一言も交わさなくとも存在するものだとします。そしてグーグルに代表される現代の情報テクノロジーによって、共同体の無意識である一般意志をデータベース化できるというのです。こうしてアップデートされた一般意志を、著者は「一般意志2.0」と呼んでいます。
しかし著者が構想するのは、大衆の欲望をそのまま反映した直接民主制ではありません。可視化された「一般意志2.0」は、選良の暴走に対する抑制力として働くとします。選良すなわち国会議員は存在するわけです。本書の主題からは逸脱しますが、著者が日本の選挙制度をどう考えているのか気になります。

本書はルソーの一般意志を文字通り(ベタに)読めば、このような解釈が可能だというものです。もちろんルソーの真意は、本人に聞いてみなければ分かりません。しかし社会思想家でありながら、ロマン主義の文学者でもあったルソーです。こういう解釈はありだろうと非常に楽しく読ませてもらいました。
ただし本書が掲げる「民主主義2.0」に対して、最後まで消せない疑念が残りました。それは「一般意志2.0」のアーキテクチャに、設計者のバイアスが入り込む余地はないのかというものです。例えば「議員定数削減」が禁止ワードに設定されていたら、大衆の大多数がそれを望んでいても一般意志として吸い上げられることはないでしょう。

とはいえ、夢を語ることは大事です。
政治家はもっと夢を語るべきだと思います。実現可能かどうかはひとまず措いて。
日本には実務部隊として優秀な官僚組織があるわけですから。

(12月29日読了)★★★★


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 15:37| Comment(29) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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