2012年05月04日

古代越前の文字

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福井市立郷土歴史博物館の春季特別展「古代越前の文字」を観覧しました。
古墳に副葬された銘文入りの銅鏡、遺跡から出土した墨書土器、東大寺領の荘園を描いた絵図など、古代越前に関わる文字資料(一部、若狭、加賀もあり)を展示しています。
平成24年春季特別展 古代越前の文字 展示目録

今回の展示の目玉は、宮内庁書陵部が所蔵する泰澄の署名が入った法隆寺旧蔵経典(国内初公開)でしょう。
泰澄(682-767)は、白山信仰の開祖とされる奈良時代の修験僧ですが、実在の人物ではないとの説もあります。同時代の役小角みたいな感じですね。小角ほど派手なパフォーマンスは伝わっていませんが。
さて、泰澄実在の証とされるこの経典。書写されたのは天平2年(730年)ですが、泰澄和尚伝によれば、泰澄の号を名乗ったのは天平9年(737年)だとされています。同名の別人が書いた可能性もあり、実在を裏付ける決定的な証拠とはなっていません。謎は残されたまま。

東大寺荘園に関する文書からは、隣接する藤原仲麻呂(恵美押勝)の荘園との間で、水利権争いがあったことが判っています。朝廷の貴族たちは、東大寺の権益が強くなり過ぎるのを警戒していたようです。再現アニメが上映されていて、なかなか面白いのですが、エンドレスの映像はどこで始まりどこで終わるのかワカリマセン(笑)
都に近い越前は、全国六十六ヶ国のトップテンクラスに位置する豊かな大国でした。紫式部の父である藤原為時は、越前守になりたくて、時の一条天皇に奏上したといいます(藤原道長の計らいで実現)。
今となっては「ああ〜日本のどこかに〜あるのか分からぬ福井県♪」ですが(笑)

古代の文字という地味なテーマですが、平城宮跡出土の木簡など重文級の貴重な展示物を見ることができました。
ゴールデンウィークとはいえ、雨の日の朝だったせいか、来場者は少なめ。しかし博物館の駐車場は、意外にも県外ナンバー車ばかりでした。

【不純文學交遊録・過去記事】
白いカミサマ



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2012年05月03日

おのまいさんに魅せられて

福井県美浜町宮代の彌美神社で、毎年5月1日の例大祭で奉納される「王の舞」。
地元の方は「おのまいさん」と呼ぶそうです。

弥美(みみ)神社の祭神は、第9代開化天皇の孫で、若狭耳別の祖とされる室毘古王。大宝2年(702年)に創建された歴史ある神社です。この辺りはかつて耳村という地名で、近くには耳川が流れています。

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若狭地方には16箇所の神社に王の舞が伝わっており、衣装や舞い方がそれぞれ異なります。弥美神社の舞人は、ゴージャスな鳳凰の冠に天狗のような鼻高面、そして鮮やかな緋の衣。若狭が「民俗文化の宝庫」であることを実感しました。

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屈んだ姿勢から、周りながら立ち上がり、鉾を高々と掲げて上体を反らす。ゆったりとした速度ですが、動きが大きく時間も長い(4〜50分)ので、舞人は大変です。お稚児さんに鉾を渡すと、ふたたび素手になって舞い始めます。

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優雅な王の舞が終わると、最後は一転して激しい獅子舞。縦横無尽に暴れまわる獅子を裃姿の男たちが取り押さえようとしますが、なかなか捕まりません。観衆からは「まだまだ!」と声が掛かり、男衆が派手に転ぶと、境内は拍手と歓声に包まれました。

数年ぶりに訪れた弥美神社。参道の前には、巨大なコンクリートの橋脚がずらりと立ち並んでいました。舞鶴若狭自動車道が開通するとアクセスは便利になりますが、隠れ里のような雰囲気がどうなるのか気がかりでもあります。

彌美神社の王の舞(王の舞保存会)

ラベル:王の舞
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