2012年06月11日

ベーシックインカム

とある高収入タレントの母親が、生活保護を受給していたとの問題が発覚しました。
生活保護は所得があると支給されず、その支給額が最低賃金を上回ると、働かない方が得になるモラルハザードが生じます。



そこで浮上してくるのが、ベーシックインカム(BI)。政府がすべての国民に対し、最低限の生活を保証するために現金を支給する制度です。働いて得た分は上乗せとなるので、生活保護のように労働するインセンティブは失われません。起業や転職へのチャレンジも容易となります。
ベーシックインカムの目的は、単なるセーフティネットではありません。年金・雇用保険・生活保護などのあらゆる社会保障をベーシックインカムに一本化すれば、行政コストが大幅に削減されます(フラットタックスと併せて考える論者もいます)。行政がスリム化されると公務員が失業して、ベーシックインカムのお世話になる人が増えるかもしれませんが(笑)
個人に支給するのか世帯に支給するのか、収入に関係なく全ての国民に一律に支給するのか、運用については意見が分かれるでしょう。また、不正な受給(不正な住民登録等)の防止も必要です。

ベーシックインカムと同様のアイデアは、既に半世紀も前に考案されていました。
ミルトン・フリードマンが1962年に著した『資本主義と自由』では、負の所得税が提唱されています。所得が基礎控除額を下回る場合に(基礎控除額−所得)×所得税率を支払うというものです。
フリードマンは、教育バウチャーも提案しています。子供のいる家庭に、教育費に相当するクーポンを支給するのです。収入に関係なく現金がバラ撒かれる「子ども手当」では、政府の支出が育児や教育に使われるとは限りません。

『資本主義と自由』では、政府がしてはいけない政策の数々が糾弾されるとともに、それに代わるアイデアが掲げられています。今年でちょうど出版から50年。読んで楽しい類の本ではありませんが、未だに新しい経済学の古典です。
新装版の解説は「霞が関埋蔵金」を暴いたことで知られる元財務官僚、高橋洋一が書いています。

(1月1日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・経済交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

ニソの杜から

若狭湾の大島半島にあるニソの杜(福井県大飯郡おおい町)。豊かな照葉樹が生い茂り、祭礼の日以外は足を踏み入れることを禁じられた聖なる杜です。
ニソの杜には、大島半島を開拓した24家の祖先が祀られています。ニソの語源には諸説ありますが、旧暦11月23日にこの地を祀ることから、ニソ(二三)と呼んだとするのが有力です。
素朴な森林信仰・祖霊信仰の形態を留めるニソの杜は、かの柳田國男が神社の原型を見出した民俗学の聖地です。そして山の向こう側には、再稼働問題に揺れる関西電力大飯原子力発電所があります。

niso_top.jpg

6月3日、ニソの杜から日本の未来を考えるシンポジウムが福井県小浜市で開催されました。

中沢新一(明治大学野生の科学研究所・グリーンアクティブ代表)
高橋源一郎(作家・文芸評論家・明治学院大学教授)
いとうせいこう(作家・クリエイター)
金田久璋(民俗学者・詩人)
中嶌哲演(小浜市明通寺住職)
松村忠祀(坂井市大湊神社宮司・元福井市美術館館長)

メンバーからして、明らかに反原発のシンポジウム。
私は原発推進派でも反対派でもありませんが。
なお、高橋さんは体調不良のため出演中止。金曜日にグリーンアクティブのツイッターで知ったのですが、朝のNHKラジオ「すっぴん」には出演していました。その後に何かあったのでしょうか?

2012060301.jpg
右から中沢新一、金田久璋、中嶌哲演、松村忠祀、いとうせいこうの各氏

森は生と死が循環することで、人類に食糧や木材などの資源をもたらしてきました。
森の思想が生きる若狭・大島半島を、原子力発電所に象徴される大量消費型文明やマネーゲームに興じる貨幣経済を見直すスタート地点にしようというのが、シンポジウムの大まかな主旨。

ニソの杜には開拓者の霊が祀られ、伊勢神宮の外宮にも古墳があります。清浄であることが求められる神社ですが、もともと神社は死を遠ざけてはいませんでした。
中沢さんは、神社が極度に死を避けるようになったのは平安時代の末期だといいます。平安末期といえば、NHK大河ドラマ「平清盛」の時代です。末法思想が流行し、源平の戦いで都が戦場となって、人がバタバタと死んでいきました。中沢さんは貨幣経済の話もしていたので、日宋貿易で銅銭が大量流入したことも関係があるのかもしれません。この時代、日本社会にどのような変化があったのか、質疑応答タイムがあったら聞いてみたかったのですが。

中沢さんは現代文明の象徴としてエネルギー、貨幣、そして橋を挙げました。大島半島に原子力発電所が出来たことで、地元には貨幣経済の恩恵がもたらされ、孤立していた集落は交通が便利になりました。しかし余所者が出入りするようになったため、大島の人々の家は、これまで掛けたことがなかった鍵を掛けるようになります。文明化によって、地域社会は大きく変貌を遂げることになったのです。
橋といえば、松村さんが宮司を務める大湊神社がある雄島(福井県坂井市)は、橋で本土と結ばれています。おかげで雄島の原生林を気軽に鑑賞できるわけですが、お酒が入ると饒舌になる松村さんからのコメントは、残念ながらありませんでした。

電力消費地と原発立地の関係は、都と鄙、中央と地方の関係であり、まさに日本社会の縮図です。
福井県美浜町に住む金田さんによると、町民の税金で生活している美浜町の職員ですら、隣の敦賀市に引っ越してしまうのだそうです。都会と田舎の格差問題に目を向けることなく、安易に脱原発を主張すべきでないという金田さんの言葉が印象的でした。また、ここ数年全国でブームになっている里山・里海作りに対しても、信仰の視点が欠けているとして批判的でした。

なしくずしの原発推進と同様に、なしくずしの脱原発も、私は支持できません。いま日本中の原子力発電所が停まっているのは、政府の命令でも事故を起こしたからでもなく、定期点検のために停止した原子炉が(3.11後の世間の空気によって)再稼働できずにいるからです。そこには長期的なエネルギー戦略はおろか、短期的な電力需給の見通しすらありません。特に関西地方では、この夏の電力不足が懸念されています。
このまま原発を再稼働せずにフェードアウトするなら、当面必要となる化石燃料を確保せねばなりませんが、今のままでは足元を見られて、日本は国際相場よりも高い石油や天然ガスを買わされるだけです。今後も一定の割合で原発に依存するとしても、40年以上経過した原子炉は(ストレステストに合格していても)廃炉にするなど、より踏み込んだ判断が求められます。
私は次世代原子炉の実現に期待していますが、この日のシンポジウムでも「未来に死を残す」と問題視された放射性廃棄物の処理に有効な解決策が提示できない限り、脱原発せざるを得ないと考えます。

このシンポジウムはUSTREAMで中継されました。福井市から小浜市まで高速道路を使って2時間、質疑応答もなかったので、自宅で視聴した方が良かったのかも。でも、臨場感は現場でしか得られませんね。
それから脱原発を訴えるのなら、会場の冷房温度を高めにして、節電に配慮すべきだったのでは。私は寒く感じました。
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:28| Comment(50) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。