2005年05月05日

主語を無くした日本人


著書放送禁止歌やオウム真理教の内部を撮った映画『A』(スミマセン、映画は守備範囲外なので見ていません…)で知られる森達也は、皆が見て見ぬ振りをする“臭い物の蓋”を取ってしまう人なんだと思います。そんな彼の行動原理は、場の空気を読めない「鈍さ」にあると言います。本書でも「ドキュメンタリー番組にだって編集はある」という身も蓋も無い発言(けれども事実)が飛び出します。
最近一人称の主語が失われている、という指摘には考えさせられました。「私」の主張が「我々」になったり「国家」に拡大していく過程で、思考や発言の主体・責任が曖昧になっていく姿は、このたびのJR福知山線脱線事故におけるJR西日本の企業としての対応のまずさに、端的に現れている気がします。
(5月5日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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