2006年05月07日

マイ脳リティ・リポート

映画『マイノリティ・リポート』では、犯罪を意図しただけの者が未然に逮捕されてしまう未来社会が描かれていました。
最新の脳神経科学は、そんなSFを現実のものとするかもしれません。

脳のなかの倫理



マイケル・S.ガザニガ〔著〕 / 梶山 あゆみ訳



ヒトは、見聞きしたことがあるものに接すると、P300と呼ばれる脳波に変化が生じます。犯人しか知りえない事物を撮った写真を見せると、容疑者の脳は強く反応するはずです…このSFのような技術は脳指紋法といいます。
もちろん、この方法に問題が無いわけではありません。メディアが発達した現在、犯人だけが知りえて一般人が見たことのない映像を探し出すのは困難です。また、脳波の記録からその人の思考について筋書きを作るべきではありません。

ガザニガは言います。脳神経科学が読むのは脳であって心ではない

前述の思想信条に関わる問題以外にも、本書は最新の脳神経科学の知見が豊富です。
胚あるいは胎児はいつからヒトとして認められるのかという生命倫理の基本的な問題に始まり、より良い遺伝子を選んで生まれたデザイナーズベイビーは高い知能を持ちうるのか、薬で脳を賢くすることは可能かといった人体改造の問題、脳と宗教体験の関係にも触れられています。

人間は原子爆弾を作ったがそれを二度と使わない決意も固めた、人間が生まれながらにもつ道徳観・倫理観が行き過ぎを止める…と、楽観的すぎないかと思える記述も散見しますが、著者はこの本は脳倫理学という新しい分野を議論するための「叩き台」であるとしています。
タイトルから想像される「脳倫理学はかくあるべき」という強い主張は、さほど感じられません。答えは科学者まかせでなく一人一人が考えよう、ガザニガはそう訴えているようです。

(5月7日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
ないものがあり、あるものがない?!


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:40| Comment(14) | TrackBack(1) | 自然科学交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
脳指紋法に興味を持ちました。
おもしろそうですね。
Posted by nijilog at 2006年05月10日 13:02
脳指紋法は、いわば脳内ウソ発見器ですね。
脳波によって被験者の記憶の有無を判定できるとのことですが、決して被験者の思考を解読するものではありません(いずれ科学は、それすら実現してしまうのでしょうか…)。

私は時々、夢を録画する技術は可能なのかと、夢想することがあります(笑)
Posted by 管理人 at 2006年05月10日 22:44
夢を録画する・・・

そんな映画が有ります。

ヴェンダース『夢の涯までも』


http://www.yk.rim.or.jp/~gamoage/jada/Pages/bookmovie/mv6YumenoHateMade.html
Posted by おおくぼ at 2006年05月11日 00:32
おおくぼ様ご紹介の『夢の涯のまでも』。
数十年ぶりに映像を見た盲目の女性が、混乱し、やがて死んでしまったというくだりを読んで、荘子の「混沌」を思い出しました。
何も無い混沌の顔に、目・耳・鼻・口の7つの穴を開けたら死んでしまったという、お話です。
Posted by 管理人 at 2006年05月11日 22:21
不純文學さんは漫画を読まないと思いますが、こんな漫画が有ります。

中国の古典を題材とした漫画を沢山書いています。

http://www.nature-n.com/manga/htm/1000-j.htm
Posted by おおくぼ at 2006年05月12日 11:08
さすが、おおくぼ様!
いろんな作品をご存じなんですね。
「知らぬが仏」という言葉があるように、知るという行為は人生を豊かにする一方、多大なストレスをももたらしますね。
Posted by 管理人 at 2006年05月13日 06:46
確かに知るという行為は、多くの苦難を強いられます。でも世界的な漫画評論家である呉智英先生の足下にも及びません。

ところで「驚き」と「知りたいという欲望」は、哲学という行為のエンジンだと思います。ウィトゲンシュタインやラッセルなように狂気と紙一重の場合が有りますけど・・・・・。
Posted by おおくぼ at 2006年05月14日 02:47
世界とは自分の脳が認識しているから存在するのであり、自分が死ぬと同時に世界はすべて消滅する…と思うことがたびたびあります。
Posted by 管理人 at 2006年05月17日 21:18
私は魂の存在を信じていませんので、同じように思っています。

カントの『純粋性理論批判』も、そんな本だし、カントを好きだったウィトゲンシュタインも同じでしょう。

まあ私が死んでも他人や猫や犬の世界は、そのまま存続しますけど。でも、その世界は私との関わりは無くなります。残念ですけど・・・

だから私が消滅すると、私の世界も一緒に消滅するのです。
Posted by おおくぼ at 2006年05月18日 01:18
もしかすると、世界はわずか10分前に過去の記憶とともに創造されたのかもしれません。

自分の消滅と同時に世界も消滅するなら、後腐れなく人生を終えられてスッキリします。
一方、自分がこれまでに出会った人や訪れた場所が、自分の脳が見た幻影に過ぎないのではないかと思うと、なんともやりきれなくなります。

「私は間違いなく実在しているよ!」という方、書き込みをお待ちしております(笑)
Posted by 管理人 at 2006年05月18日 21:13
こちらの本をお薦めします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061497456/qid=1147966011/sr=1-4/ref=sr_1_10_4/250-6940633-2466648

もう一年以上読みながら、未だに結論はでません。

ただ幻影説は、向かい合わせの鏡の像と同じでキリが有りません。自己言及パラドックスです。

「私が蝶の夢を見ているのか、蝶が私の夢を見ているのか?」


あと時間については「無限と連続」のパラドックスが有ります。
「瞬間を足せば、連続は出来るのだろうか?」

あと「私の実在」を疑問したデカルトに対抗した本と言えば、柄谷行人の『探究2』が有ります。
Posted by おおくぼ at 2006年05月19日 00:37
私も読みました、永井均の『私・今・そして神』。
本当にワケがわからなくなりました。
私が「世界とは、脳が認識した世界に過ぎない」と考えるようになったのは、養老孟司の『唯脳論』を読んでからです。

世界を知りたいという願望は、おおくぼ様がおっしゃるように、まさしく哲学のエンジンですね!
Posted by 管理人 at 2006年05月19日 23:30
このネタは京極夏彦の小説が得意とするとことろですね。
京極夏彦=養老孟司?

世界は確実に有るにも関わらず、私達は普遍には認識することができない。
猫が認識する世界、犬が認識する世界、ダニが認識する世界、ミミズが認識する世界・・・・などなど、みんな違います。
世界は1つで有るハズなので、認識は統一することは無く、絶対的な認識を得ることはできないのです。
Posted by おおくぼ at 2006年05月20日 00:44
動物の血を吸うダニは、温度(動物の体温)に反応して世界を認識しているそうですね。
生物によって認識する世界が違うこと(環境世界)を最初に指摘した、ユクスキュルを思い出しました。
Posted by 管理人 at 2006年05月21日 19:51
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自由意志は、ホントにあるのだろうか?(映画『マイノリティ・リポート』と自由意志)
Excerpt: 私達は普段、食事や買い物など、いろんな「選択」をしています。でも人間以外の動物は「選択」をしているのでしょうか?例えば身近なところでは犬や猫は?たぶん「選択」しているでしょう。では、昆虫はどうでしょ..
Weblog: お茶の間の話題にでも・・・。
Tracked: 2006-05-08 20:31
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