2006年07月10日

女帝・かぐや姫

スラリとした長身の優美な仏様、国宝・法隆寺百済観音像
図書館で「百済観音のモデルは誰なのか」というタイトルがふと目に入り、手にとってみました。
また新手の聖徳太子論が出たのか…と。

カラーの口絵を開いてみると、百済観音の写真に続いて、有名な聖徳太子画像、そしてなぜか竹取物語絵巻が…?

本書では百済観音のモデル候補として、5人の人物の名が挙げられています。
推古天皇厩戸皇子(聖徳太子)、竹田皇子(推古天皇の子)、斉明天皇天智天皇です。

そして百済観音像の特徴として、普通の仏像は光輪が後頭部か背中に直接取り付けられているのに対し、背後の支柱に取り付けられていることを指摘しています。
しかも、この支柱が竹を模していることから、光り輝く竹=竹取物語と関連があるというのです。なんとも唐突な…
さらに竹取物語の作者は紫式部であるとの、大胆仮説が飛び出します。
紫式部の源氏物語には、竹取物語を「物語の出で来はじめの祖」と評した一文があり、一般には竹取物語が源氏物語に先行する文学作品であるとされているのですが…

竹取物語では、かぐや姫の前に五人の求婚者が現れます。五人の名前は白鳳時代に実在した人物に由来するといわれています。

石作皇子=丹比嶋
車持皇子=藤原不比等
阿倍御主人=阿倍御主人(全く同姓同名!)
大伴御行=大伴御行(これまた同姓同名!)
石上麿足=石上(物部)麻呂

倉西説では、竹取物語の登場人物の描き方に彼ら個人のみならず、それぞれ皇族・藤原氏・阿倍氏・大伴氏・物部氏の氏族全体の来歴や事績が隠されているというのです。その隠された歴史とは、大和朝廷における仏教受容史でもあると。
さらに、かぐや姫にも実在のモデルがいたといいます。それはなんと持統天皇です。

春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

有名な小倉百人一首が思い出されます。なんとも出来すぎ!

さて、肝心の百済観音のモデルとは…?
聖徳太子ではありません。それは百済救済のための白村江の戦いで知られる、中大兄皇子こと天智天皇でした(ちなみに持統天皇の父であります)。
それよりも、古代日本の仏教受容をめぐる争いの方が、複雑ですが楽しく読めました。
特に物部氏の奉じる神道が、男性をシャーマンとする出雲神道であるという説が面白いです。

(7月9日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:20| Comment(35) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何だか面白そうなテーマですね。
古代史に関わるところは、実は○○○だった…とい大胆なものがあって、興味深いといいますか、へ〜っといいますか(笑)。

しかし…かぐや姫と関わるのですか?おもしろそうですね。
Posted by 線翔 at 2006年07月11日 08:14
線翔様

百済観音とかぐや姫…強引だなあと思いつつも(笑)、面白く読めました。
竹取物語の作者が紫式部だというのには…???
(紀貫之だと思いますけど…)
まあ、著者も紫式部説に余りこだわりはないようです。

Posted by 管理人 at 2006年07月11日 22:13
今年のゴールデン・ウイークに法隆寺を訪れたので、百済観音は見てきました。かなり背が高いです。また玉虫の厨子は初めて見ました。

百済観音は、飛鳥時代の仏像ですね。元々は法隆寺の仏像ではないらしいですね。飛鳥寺の仏像などみると、あの時代の仏像は奈良時代の仏像とかなり違う気がします。全体的に細く、緩やかな表情や形態が多い気がします。

ところで歴史研究はトンデモ説が多いです。でも、書く方も読む方も楽しんでいると思います。小説やハリウッド映画はトンデモの方が人気です。「退屈な事実よりも、楽しい嘘!」 です。環境問題の掲示板などでは、互いに「トンデモ」という言葉で、罵倒し合っています。歴史的に有名な科学者はトンデモな人ばっかだった、という事実を知らないらしいです。
(><)
Posted by おおくぼ at 2006年07月12日 23:16
おおくぼ様

長身の百済観音は、同じ法隆寺の釈迦三尊像とは随分印象が違いますね。
元々は法隆寺の仏様ではなかったというのも、納得できます。
法隆寺は、小学校の修学旅行で訪れました。
玉虫の厨司は、昆虫図鑑で見るタマムシのようにキラキラしていなくて、がっかりしたと記憶しています。

私も、想像を刺激して止まないトンデモ説は大好きです!
トンデモ説は、ココロと脳の栄養ドリンクです。
霊界ラジオの発明を目指した、エジソン
近代科学の祖にして最後の錬金術師、ニュートン
天体の運動の解明こそ神の存在証明と信じた、ケプラー
天才科学者は、みなトンデモさんですね(笑)
今日のトンデモ、明日の常識!(…になるといいな♪)
Posted by 管理人 at 2006年07月13日 23:55
ダン・ブラウンのトンデモ小説シリーズで『天使と悪魔』は中世の科学者をテーマにしていますね。

ニュートンについて、最後の錬金術師と言ったのは、ケインズです。彼の『人物評伝』に「最初の科学者ではなく、最後の魔術師だ」と書いて有ります。ケインズは、ニュートンと同じケンブリッジ大学で、ニュートンの研究家として有名です。

ケプラーも、コペルニクスもトンデモです。この辺のことは自分のブログのネタに・・・・。

あとコナン・ドイルも私生活ではトンデモです。名探偵ホームズと大違いです。

エジソンは面白いです。有名な名言「99%の発汗は、1%の霊感を得るため」というのは、彼の生き様を表しています。エジソンの伝記を読むと、悪人で(平気で人の発明を盗む)、面白い人に感じます。日本が好きで、いろいろ調べたそうです。座右の書は『武士道』だそうです。
Posted by おおくぼ at 2006年07月14日 00:58
女帝・かぐや姫とは、
若狭湾丹後王朝のご出身だと下記の本に詳述されてありました。

古代丹後王朝は大いに栄えた。
天火明尊を主祭神とする海部氏の家系図は、日本最古のものとして昭和51年国宝に指定された。

時代は前後するが、聖徳太子の母、穴穂部間人皇后は、海部氏の姫巫女だったことが解っている。
また、同地には、間人(たいざ)という地名が現在も残っており、海神族(海部氏)が丹後半島に最初に上陸した場所であると推測されている。
また、穴穂部間人皇后の間人とは、ヘブライ語で「太陽の使いの鳥」という意味がある。
(出典:ダ・ヴィンチ・コード最終章、ウイズダムブック社、花山空勝著)
何かそのあたりのことに言及されてありますのでしょうか?
Posted by エノク&トマス at 2006年07月14日 11:26
追記:
竹取物語の主人公「かぐや姫」は実在の人物で、失われた10氏族の姫巫女だった。聖櫃(アーク、せいひつ)を持って渡来していた。
丹後王朝(衰退期BC97〜BC30大和朝廷に追われた)の姫巫女達は、大和の屈辱的な方策に徹底抗戦して、断固として妃への道を拒否し続けた。これが「かぐや姫」伝説となった。
聖徳太子の母(穴穂部間人皇后;アナホベノハシヒト)は海部氏の姫巫女だったことが分かっている。間人とは、ヘブライ語で「太陽の使いの鳥」という意味がある。

一族海部氏(あまべし)は空海と同じユダヤの血筋を引く別種族であったが、この姫巫女海部厳子(真名井御前)は、成就することのない空海の妻となった。33歳で3/20死んだ、その翌日3/21空海が62歳で死んだ(元伊勢籠神社神社御由緒略記)。
真名井神社の石碑にはユダヤのかご目印(6星)が刻まれてあります。下記の中から
真名井神社の石碑を御覧なさってください。
http://kammuri.com/s1/motoise2/manai/index.htm
Posted by エノク&トマス at 2006年07月15日 12:18
おおくぼ様

コナン・ドイルも、有名なトンデモさんですね。心霊研究に傾倒し、コティングリー妖精写真事件に関与したことも知られています。
ビクトリア朝のイギリスは、一種の心霊ブームだったといえるかもしれません。ダーウィンと共に進化論を着想したウォレスも、同時代の心霊マニアの一人です。

エジソンといえば、電球のフィラメントに扇子の竹を使ったことで有名ですが、彼が日本通だったことをうかがわせるエピソードですね。おおくぼ様の「トンデモ科学者列伝」、楽しみにしています!

このblogも、トンデモ本ばかりを紹介するトンデモblogと思われているかもしれません(笑)


エノク&トマス様

今回ご紹介した倉西裕子氏の著書には、かぐや姫と丹後地方との関わりについての言及はありません。

六芒星(籠目紋、ダビデの星)は、必ずしもユダヤ特有の印ではないと思います。
かといって、ユダヤ民族が古代日本に来なかったという証拠も、私は持ち合わせておりません。

丹後国の昔話といえば、何といっても浦島太郎が思い浮かびます。
以前、ロビンソン・クルーソーの足跡をたどったことで有名な探険家・高橋大輔氏の『浦島太郎はどこへ行ったのか』を採り上げました。こちらには浦島伝説の分布と、海部・安曇氏ら海の民の活動ルートについて書かれていました。信州の山奥にある景勝地「寝覚ノ床」に、なぜ浦島太郎の物語が残っているのか、納得がいきます。
http://blogs.dion.ne.jp/fujun/archives/1915230.html

Posted by 管理人 at 2006年07月16日 00:25
はい、その通りです。当時のイギリスでは心霊ブームでした。

ウォレスが心霊マニアだとは知りませんでした。彼はダーウィンより先に進化論を考えました。けれど、ダーウィンが取り上げるまで、無視されていました。だからダーウィンに感謝の手紙を書いています。

エジソンの電球のフィラメントは、最初は日本の竹では有りませんでした。いろいろ検討した結果、日本の竹がいいということになったのです。エジソンについては、以下の本が面白いです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532190207/qid=1152987672/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-5329346-1811569


「このblogも、トンデモ本ばかりを紹介するトンデモblogと思われているかもしれません(笑)」

素晴らしい!!!
Posted by おおくぼ at 2006年07月16日 03:30
丹後七姫の中に、かぐや姫がいませんが、美女の因縁が多く、暗示的です。
乙姫(おとひめ):
時は雄略天皇の御代(五世紀頃)、丹後の漁師浦嶋子が目覚めると、亀は美しい乙姫の姿に変わって、楽しい日々を過ごしました。日本最古の浦嶋伝説が伊根町の宇良神社に伝わっています。

羽衣天女(はごろもてんにょ):
天女は稲作・養蚕・酒造の技術を伝えた京丹後市峰山町に伝わる羽衣伝説は、丹後風土記にも登場する日本最古のもので、奈具神社には豊宇気比売がお祀りされています。

間人皇后(はしひとこうごう):
六世紀末、間人皇后は、欽明天皇の息女で聖徳太子 の生母です。

細川ガラシヤ(ほそかわがらしや):
京丹後市弥栄町味方野で彼女はキリスト教に触れ、後に信仰に救いを求めてガラシヤの洗礼名を授かります。

小野小町(おののこまち):
京丹後市大宮町に伝わる伝説です。

安寿姫(あんじゅひめ):
立派に成人した厨子王が助けに来る前に池に身を投げたと伝わっています。

静御前(しずかごぜん):
京丹後市網野町に生まれたとの説があります。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月16日 10:44
おおくぼ様

心霊ブームだった、英国ビクトリア朝。
心霊写真の歴史は、カメラの誕生とともにあるのでしょう。

エジソンといえば、彼のライバルであるニコラ・テスラの名前を忘れるわけにはいきません。
一般の知名度はほとんどないのに、なぜかトンデモ・オカルト界では大スター(地震兵器や電磁兵器などのマッドな研究に励んだ?)。
本当は交流発電機を発明し、磁束単位にその名を残す、天才科学者なのですが。


エノク&トマス様

丹後国は、ヤマト朝廷への「お妃供給地」だったのか。
あるいはヤマトが政略婚姻関係を結ぶような、大勢力があったのか。
エノク&トマス様のコメントを拝読して、このような想像をいたしました。

大江山の鬼伝説は、古代の産鉄と深く関わっています。
丹後国は、大陸からやってきた産鉄民族の一大拠点だったのではないでしょうか。
ある民族が、他の民族を征服するには武力が必要です。
日本列島に「鉄」をもたらしたのは何者なのか。
昔話や信仰のみならず「鉄」という物証が、日本のルーツを解明する重要な手がかりとなることでしょう。
Posted by 管理人 at 2006年07月17日 00:14
イギリスの心霊ブームと心霊写真の関係はわかりません。写真の歴史の本は、何冊が読んだことありますが、その関係は記憶に有りません。
イギリスの心霊ブームは、イギリスの植民地問題と関係あったと思います。あと近代科学思想の流行とその反動だと思います。

ニコラ・テスラは荒俣宏絶賛ですね。エジソンと喧嘩別れしたんですね。しかもエジソンが悪いんですけど。

ところで、最近ある方からコメントして欲しいと頼まれて、コメントしました。私もかなりのトンデモですが、この人もトンデモです、「類は友を呼ぶ」かな。

参考
http://da-vinci.seesaa.net/

文中のOさんが私です。でも、これって議論になってないんですけど・・・。わかる人にしか真実はわからないと言っているんですから。選民思想?
Posted by おおくぼ at 2006年07月17日 00:54
メスリ山 215 前方後円 古墳・前期 桜井市大字高田
メスリ山古墳の埋蔵品を見たら腰を抜かします。是非御覧なさってください。
巨大な鉄の弓、鉄の矢、日本刀の元祖のような見事な仕込み杖、美麗な刀。
エジプトの王が持つような美麗な玉しゃく(王が持つ丁字型の杖ですね)。
ニポンを実質支配した鉄器集団の王だと思いますね。
中国の梁の意味は鉄ですね。武漢は鉄の中心シティです。
梁の武帝が派遣した征東大将の古墳ではないだろうか?
神武天皇ではないだろうか?

ニポンの中国地方の中国はその頃の古代の呼び名で、鉄の主産地でした、多分彼らが支配したのでしょう。

磐余は大和の地名。奈良県磯城郡桜井村・阿部村・香具山村付近(今、奈良県桜井市中部から橿原市東南部にかけての地)で、桜井市谷には磐余山がある。5世紀から6世紀にかけ、磐余はたびたび皇居の地に選ばれた。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月17日 01:56
おおくぼ様

リンク先のBlogを拝見しました。古幸徳様は、おおくぼ様の紹介する反論本も読むとおっしゃっていますから、決して独善的な方ではないと思います。
「最後の晩餐」に一言。ヨハネがマグダラのマリアなら、もっとキリストに寄り添っていてもいいのでは。何も「Vの字」に離れなくても…(笑)


エノク&トマス様

歴史作家・関裕二氏は、古代日本の勢力遷移は鉄の普及過程であるとし、山陰地方(但馬)で産鉄遺跡が見つかれば、自身の説の裏付けになると言います。
鉄は腐食しやすく、土器のように残りにくいのでしょう。しかし北陸・山陰地方は、畿内ほどには都市開発が進んでいませんから、これから大きな発見があるかもしれません。

↓メスリ山古墳をご紹介いただき、ありがとうございます。素晴らしい!!
http://www.kashikoken.jp/museum/special/05autumn/tenji-2.html
Posted by 管理人 at 2006年07月17日 20:54
問題はV字ではないんです。V字説は私の皮肉です。『ダ・ヴィンチ・コード』を読むと、『最後の晩餐』はM字が隠されていて、それはMariaのMだというのです。

ちなみに『聖書』にはマリアという人物は複数いますし、Mというイニシャルの人は、もっとたくさんいます。またヨハネが、女性っぽく書かれているからと言って、『聖書』のマグダラのマリアを暗示しているというのは大飛躍です(女性はたくさんいるし)。またコップの数は13個ちゃんとあるのです。


『ダ・ヴィンチ・コード』が、私にとって面白いのはデタラメだらけのベストセラーだからです。しかもダン・ブラウンは確信犯です。これは一種の○×クイズです。是非、不純文学さんも、このクイズに挑戦して下さい。

私が「と学会」の皆神龍太郎・著『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』を、リンク先の方に薦めた理由は以下です。

1 とても判りやすい。

2 宗教的な批判がない。他の<『ダ・ヴィンチ・コード』批判本>は聖書解釈がテーマになっています。

3 よく調べている。種本も当然調べています。また皆神氏は、わざわざパリの国立図書館に行って『秘密文書』のコピーを取ってきました。ちなみに『秘密文書』は、名前が「秘密文書」なんで、閲覧自由です(笑)。

にも関わらず、「と学会」→軽薄で勉強不足と断定されました。残念。
Posted by おおくぼ at 2006年07月17日 22:30
あと『最後の晩餐』はNHKのCGが有名です。ネット上でも見れますが、絵が小さすぎて、コップの数が不明確です。

こちらの本で、コップの数がはっきりわかります。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096060216/qid=1153143635/sr=1-14/ref=sr_1_2_14/249-8546678-4150714

『最後の晩餐』の写真&資料が沢山です。また著者は有名なダ・ヴィンチ研究家です。
Posted by おおくぼ at 2006年07月17日 22:50
玉杖が、復旧されていて、エジプト王の迫力でした。
刀も磨かれて、復旧されたのでしょうね多分、仕込み杖も、細い刀身で、それはそれは見事なものでした。
誰のものなのか判っているのだと思いますけど、、、鉄の成分を分析したら、支那のどの地方から来たものなのかも、ハッキリしているはずなのですね。
われわれニポン市民を無知にしたがる構造があるんですねぇ。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月18日 11:14
おおくぼ様

アカデミズムの学者は、トンデモ本を批判せずに無視するだけ。「と学会」の存在は貴重です。
私が「と学会」を最初に知ったのは、今はなき雑誌『科学朝日』です。

私が以前読んだトンデモ本です。『レオナルド・ダ・ヴィンチの隠し絵』↓
http://www.bk1.co.jp/search/search.asp?kywd=%90%C2%88%E4%93%60&srch=1&Sort=za&submit.x=34&submit.y=8
結論は、ダ・ヴィンチはキリストと同じく処女懐胎で生まれた神の子である!(笑)


エノク&トマス様

鉄器の成分を分析すれば、鉄鉱石の産地がどこだか判るはずですね。

奈良県桜井市のホームページを拝見すると、メスリ山古墳の主は、阿倍氏の祖(オオビコ?)だと考えられているようです。でも「イワレ」といったら、思い出すのはイワレヒコこと神武天皇ですよね。

宮内庁の方、見てますか〜
古墳の被葬者が誰だか判っているなら、国民に伏せないでください!
Posted by 管理人 at 2006年07月18日 20:24
その本の内容を紹介して欲しいです。去年出た本ですね、便乗本かな?

「と学会」は本当に貴重です。私にとっては学校です。小谷野敦先生と同じくニュー・アカにハマッたものの、何の役にも立たないので、絶望した私に、光を与えてくれました。「と学会」はトンデモ理論を楽しむと同時に、「自分も、もしかしたらトンデモかも?」と考えさせるところがいいのです。そこから笑いが生まれます。ちなみに柄谷行人のカント論も同じこと言ってるのですが、具体性に乏しいです。だから、柄谷エピコーネンはダメな人が多いのです。山形先生が馬鹿にしてました。

ところで、例の『ダ・ヴィンチ・コード』論争は続いています。どうも私はSMで言うと、Sなのかも知れません(笑)。トンデモは肯定するんですけど、いじりたくなります。また別のブログでは、地球温暖化・CO2論争が続いています。正直に言えば、勝ち負けとかどうでもいいんですけど。議論が好きなんで。
Posted by おおくぼ at 2006年07月18日 22:47
橿原神宮は橿原市にあります。
奈良は盆地ですが、昔は大きな湖でした。
その岬に橿原神宮がありました。
あとから攻めてきた移住民が水を抜いて、奈良盆地にしたのです。
その証拠は、地図で等高線をたどれば判明します。
水を抜いた奈良盆地の住民には蛇信仰がありますが、橿原神宮の等高線に住む人たちには蛇信仰がないのです、民俗学の領域ですね。
ですから、江南のほうから来た人たちだろうと思うのです。
斉の桓公(BC685〜643、651覇者となる)の末裔である梁・陳、梁の武帝が征東大将軍に命じ(502)て派遣された越(倭)王、これがイワレであり継体天皇、九州で陣形を立て直した足利尊氏・直義、イワレのルーツは九州となれば、関東の尊氏が実は南宋出身で、突如九州へ逃げた背景が見えてきます。

『ダ・ヴィンチ・コード』のMの空間には柱が書かれてあります。
その柱には、見るものの目には古代の神の顔が浮き上がっており、ダヴィンチの神の意識が論争を呼んでいます。その神を継承するイエスとマグダラのマリア?
イエスはサマリア人であり(新約聖書)、サマリア人は太陽暦であり一夫一婦制。
ユダヤ人は、太陰暦であり、雑婚(従兄弟甥姪)乱れておりました。当時のユダヤ社会の慣習を今に継承するモルモン教、逃げ出した女性が暴露本を出版、最近CNNテレビに出演して、甥や従兄弟がベッドに入ってくる雑婚だと、トマトのような両手両足眼も鼻もない、のっぺらした子が生まれたと、生々しく語っている。
だから、イエスやローマ社会を忌み嫌ったのですかねぇ。
ダヴィンチコードが出てから、マッカーシー旋風のような婚姻正常化運動が出てきたようです。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月19日 07:54
おおくぼ様

『レオナルド・ダ・ヴィンチの隠し絵』は、1996年刊です。便乗本ではありません。古い本ですので、図書館でお探しください。

私は中学〜高校時代に、超古代史やら地球大異変やらのトンデモ本に熱中しました。
今では更生(?)し、大抵の珍説・奇説には動じないつもりです…(笑)


エノク&トマス様

太古、奈良盆地は湖(古奈良湖)だったようですが、人工的に排水して陸地にしたとの説は初耳でございます。出典を教えていただけたら幸いです。

大和三山が人工造山であるとの説もありますから、古代の土木技術水準は想像以上に高かったのかもしれません。
Posted by 管理人 at 2006年07月20日 00:20
敬愛する 管理人様
昔、神道の知友から強く誘われて、橿原神宮大祭に参加したとき、民俗学のリーダーと知り合いになり、蛇信仰の分布図や排水河川の地図など、現在のどの河川がそれだとか、貴重な資料でしたが、今は家の中のどのダンボールに入っているか、探し出せません。

昨日も、NHKが再放映しておりましたが、中国の古代2〜3世紀、すでに、河南地方に溶鉱炉遺跡が発見されて、農機具や鋤なども、高度に発達した鉄器文化であったと、締めくくりました。

メスリ山古墳の人々かもしれませんね。「メスリ」の意味を知りたいですねぇ。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月21日 06:53
エノク&トマス様
橿原神宮での貴重な体験を語っていただき、ありがとうございます。

面白いサイトを発見しました。
縄文時代の江戸の地形図サイトですが、参考として縄文〜弥生時代の奈良湖の推定図があります。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html
エノク&トマス様がおっしゃるように、縄文時代と弥生時代とでは集落の分布に違いが見られます。
中沢新一さんに「アースダイバー」してもらいたい!(笑)

大和の蛇信仰といえば、三輪山ですね。
学生時代、奈良県出身の同級生がおりました。
「大神神社の御神体は何?」とクイズを出されて、即座に「ヘビ!」と答えたら「ブ〜ッ、正解は山!」との返事。すぐに大神神社の御神体が三輪山そのものであることを思い出し、引っ掛かったと思った記憶があります(笑)
Posted by 管理人 at 2006年07月22日 00:59
親愛なる管理人様
貴重な資料を閲覧させてくださり感謝します。
記憶では、北西の方向へ人工の排出河川が流れていた印象です。

大和川だとしたら?私の記憶違いかもしれません。

NHK放映の巨大溶鉱炉への鞴(ふいご)は、巨大な水車で回転を与えて風を送り込んでた、その想像図が放映されました。
さような技術があれば、奈良湖の水を抜く土木工事は簡単だったでしょうと思います。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月22日 09:45
エノク&トマス様

ご紹介したサイトでも、奈良湖が人工的に排水された可能性を指摘していました。
奈良湖を排水した土木工事が、いつの時代に行われたのか知りたいものです。

飛鳥の大土木工事といえば、斉明天皇の「狂心の渠」を思い出します。
猿石、酒舟石などの意味不明の石造物も、斉明天皇時代のものと考えられているようです。
非常に興味深い女帝です。
Posted by 管理人 at 2006年07月23日 16:27
拝復
斉明天皇の「狂心の渠」を読むにはどうしたらよいでしょうか?
京都の春のお祭りの主人公である女性も、「斉王代」、つまり、斉王の代わりの者、と呼ばれております。
これからヒントを得て、「斉王」を調べました。紀元2666年に遡って、です。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月24日 07:09
エノク&トマス様

斉明天皇の治世に、笠を被り竜に乗った異形の者が現れたそうです。
また、天皇の葬儀の際も、笠を被った鬼が覗いていたといいます。
一体何者なのか…?
まことに謎多き女帝であります。
Posted by 管理人 at 2006年07月24日 19:22
追記:
狂心の渠 検索したら理解できました。
出版社、著者は不要でした。
往時の土木工事は盛んだった様ですね。
千葉県の銚子近くに大きな湖があったそうですが、これも干されて、耕地にされたそうです。その近くには原住民の老若男女の骨が一杯埋まっていたようです。
千葉は藤原鎌足の出身地のようですから、千葉は鉄器集団で海を渡るときに鎌を落として鎌倉と、ほんとでしょうか?
新興集団の千葉と戦って負けた群馬(上毛人)は、この怨みは蛇になって果たすと言い放ったとか。
千葉の鉄器集団が鉄鋼資源の豊富な岩手の遠野へ進出したようです。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月24日 19:29
エノク&トマス様

狂心の渠=たぶれこころのみぞ、ですね。
当時の人々が、斉明天皇の大土木工事をどのように評していたかが窺えます。

藤原鎌足の出生地については、大和国藤原(橿原市)、大原(明日香村)、常陸国鹿島(茨城県)など諸説あります。
私は、藤原鎌足=百済王子・豊璋ではないかと思っていますが…
Posted by 管理人 at 2006年07月25日 23:10
新田義貞の太田市(群馬東毛地区)は新羅の鉄器集団と群馬風土記、想起。
鹿島、千葉が百済とは?それで、住友が鹿島製鉄所を建立しましたか?
新羅と百済の大陸ルーツを教えてください。
Posted by エノク&トマス at 2006年07月26日 06:03
エノク&トマス様

藤原鎌足=百済王子・豊璋の可能性

・鎌足の事績が記録されていない時期と、豊璋が百済に帰国していた時期が重なる
・「大織冠」の官位を賜ったのは、鎌足以外では「織冠」を賜ったとの記録がある豊璋のみ
・乙巳の変の記述「韓人が鞍作臣(蘇我入鹿)を殺した」

自信は全くありません。トンデモ説かもしれません(笑)
Posted by 管理人 at 2006年07月28日 00:08
▼o・_・o▼コンニチワン♪
みなさんのお話読んでただただ感心感心。おもしろすぎる。
Posted by むっち at 2006年07月28日 10:50
むっち様
いらっしゃいませワン♪

『不純文學交遊録』は、来訪者の皆様のおかげで、コメント欄は大盛況でございます。
本文は、たまにしか更新しませんが…(笑)
これからもぜひ、遊びにいらしてください。
Posted by 管理人 at 2006年07月30日 19:07
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
Posted by 大和島根 at 2008年11月02日 12:41
大和島根様、いらっしゃいませ。

歴史における鉄の重要性を実感したのは、数年前に見たNHK教育テレビの『高校講座・化学』でした。青銅と鉄で鍬を作って畑を耕したところ、青銅の鍬は数回打っただけで曲がってしまいました。
鉄の鍬は農業生産を飛躍的に高めたでしょうし、鉄製武器の所持は圧倒的な軍事的優位をもたらしたはずです。
鉄の登場が当時の社会にどれほど大きなインパクトを与えたのか。
現代におけるコンピュータの比ではなかったでしょう。
Posted by 管理人 at 2008年11月02日 20:29
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