2007年01月03日

ヒトがモノになる…

昨年(2006年)、愛媛県の宇和島徳洲会病院で行われた生体腎移植手術に金品の授受があったことが発覚、また同院では過去11件の病気腎移植手術が行われていたことも判明しました。
「モノ」として遣り取りされる、人間の臓器。いま「ヒトのモノ化」が進行しているとするのが、この本です。

モノ・サピエンス



岡本 裕一朗著


タイトルが目に留まって手にとった、この本。モノとは物質のモノであり、価値の単一化のモノ(モノクロ、モノレールなどのモノ)でもあります。モノ化とは物質化するとともに、商品としてお金によって価値が一元化されることを意味しています。

使い捨てられるブランド品
カラダをレンタルしてお金をもらう援助交際
非正規雇用(フリーター)
臓器売買や代理母出産…


世の中におけるモノ化の進行を、ポストモダン以降の消費社会の動向をたどりながら事例が紹介されます。なお本書におけるポストモダンとは、70〜80年代以降です。さらに90年代に共産主義諸国が崩壊したことで、ポストモダン(=歴史の終わり)が実現し、ヒトのモノ化に拍車がかかったとしています。

面白い指摘は、バイオテクノジーの受容をめぐって、従来の右派・左派の分裂が起こりうることです。
アメリカの共和党は市場原理主義であり、自由な経済活動は新たなテクノロジーを次々と生み出します。しかし支持層は道徳的には保守派であり、遺伝子操作や妊娠中絶に強い拒否感情を示しています。
一方の民主党は妊娠中絶や同性愛に寛容で、先端医療研究も支持します。かといってバイオテクノロジーの推進が新たな不平等を生むことは、リベラル派の望むところではありません。

本書では様々な「ヒトのモノ化」が考察されますが、その是非については論じられません。性急に道徳的判断を下す前に、現実にどのような事態が進行しているかを捉えようというスタンスです。全体としては「ヒトのモノ化」は個人の自由な欲望を原動力としており、モノ化の潮流に合ったモノ・サピエンスとしての尊厳を考えるべきとの立場のようです。

ただ、大きな欠陥がひとつ。
岡本氏は遺伝子操作によって「生まれの不平等」が克服され、優秀な遺伝子ばかりが満ちあふれた「均一な社会」が出現する「消費者優生学」の時代の到来を予想しています。しかし格差社会を論じながらも、経済的に遺伝子操作ができない階層がありうることに全く触れていません。

(1月2日読了)


ラベル:生命倫理
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 11:47| Comment(11) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明けまして、おめでとうございます。

岡本氏は、優れた生命・環境倫理学の入門書(批判書?)を書いた人です。モノ化はボードリヤールの理論ですけど、医療の現場に悪い影響を与えたのでしょうか?

アメリカ比べると、日本は資本主義のおかげで、多くの人が安い医療を受けれて助かっていると思うのですが・・・・。

臓器移植や遺伝子操作は、医療技術の進歩の結果だと思うので、倫理学は後追いの役目だと思います。

最新治療が平等に受けられるか?、という以前に医療が進歩しなければ話になりません。この辺のタイム・ラグの認識が重要だと思います。

この場合も、資本主義を批判する場合、代わりのものが提示されないというのは片手落ちという気がします。社会主義国家と資本主義国家では、どちらの方が医療が進歩するかは自明だと思います。
Posted by おおくぼ at 2007年01月03日 22:20
おおくぼ様、あけましておめでとうございます。

私が岡本氏を批判しているように読めますでしょうか?
私の読後感は、おおむね好印象です。
この本を「単なる現状追認」だと批判する人はいるでしょうが、現実に進んでいる「ヒトのモノ化」を明らかにするために敢えてそう書いており、倫理的に白黒をつけようとする本ではありません。
読者が自分なりに人間とテクノロジーのあり方を考えるうえで、非常に判りやすい良い本だと思います。

私はどちらかというと、テクノロジー礼賛者です。
クローン人間なんて「自分と同じ顔をした他人」に過ぎないと思っています。
おおくぼ様がおっしゃるように、医療技術の進歩は自由な経済活動のおかげであり、最先端の医療が適切な価格で受けられるのは技術革新のおかげです。
人間の尊厳を理由に受精卵の遺伝子治療を批判する立場に対し、遺伝子治療によって健康な子が産まれてくることが人間の尊厳に反しているとは言えないとする、岡本氏の意見には賛同します。
ただ、遺伝子操作によって能力平等社会が到来するとの予想だけは、他の部分に比べてオメデタイ書き方だったので敢えて指摘しました。
ジーンリッチ/ジーンプアが出現する可能性は否定できません。

おおくぼ様の「アメリカに比べて日本の医療費が安いのは資本主義のおかげ」とのコメント、アメリカも資本主義ですが…
日本の医療は、国民皆保険という社会主義的な制度に支えられていると思いますが、いかがでしょう?
Posted by 管理人 at 2007年01月04日 00:43
私は岡本氏に対して少し批判的なんです。

ところで確かに、アメリカも資本主義です。また日本の国民保険は社会主義の制度です。

不純文学さんが前に指摘したように、資本主義だけとか、社会主義だけというのはうまくいかないし、たぶん存在しないと思います。「小さな政府」を主張するリバタニアンも、同じ主張でしょう。

私の理想は、資本主義をベースにして、富の格差を少なくするために、富を再分配する制度が望ましいと思っています。
ただ、その場合は資本主義が大前提なので、消費社会やマーケットを批判する根拠が大事なのです。

例えば、中国やロシアなどの旧社会主義国は、外国資本あるいは、資金援助がないと始まりません。逆に北朝鮮のように資本主義を遠ざけると、進歩が無く時代に取り残されます。

逆にブッシュ政権のように、富の格差を増長する制度を採るのは、逆の駄目なパターンです。
だから資本主義を高く評価しながら、富の再分配が望ましいという考えです。例えば、景気が上を向けば税収は自然に増えます。また投資に回せる金も増えます。その増えた金を一部に集中させるのではなく、分散させながら、社会全体が成長するのが理想です。
Posted by おおくぼ at 2007年01月04日 02:25
訂正

岡本氏の本を読むと、資本主義(消費社会)や<ヒトがモノ化>することに対して、善悪の判断を一切持ち込んでいませんでした。ただ「倫理学の理論を使うと、こういう解釈が可能です」というだけの本ですね。
でも私とっては退屈な感じがしました。たぶん、こういう解釈本に馴れすぎているからでしょう。
Posted by おおくぼ at 2007年01月04日 18:16
おおくぼ様

私が岡本氏の著作に触れるのは、今回が初めてです。
この本は善悪の判断を保留し、事例の検証に徹しているため、岡本氏がどのような立場の人かはよく存じません。
読者自身が考えるための叩き台としては良い本であるとの感想は、前述した通りです。
ただ、賛成でも反対でもいいので主張のある本のほうが面白いですから、物足りない本であることも事実です。
批判すべき点は、本文でも触れた(一部の)能天気な未来展望。
付け加えますと、私はナルシスティックな個人主義者なので「ヒト(生体)=モノ」だと言い切られることには強い抵抗があります。死体なら(自我がないので)生ゴミ呼ばわりでかまいませんが…

私は心情的にはリバタリアニズムにシンパシーを感じますが、現実の政策としては富の再分配は必要との立場です。
経済格差が大きすぎては社会の活力が損なわれます。格差がありすぎてやる気がでないと、競争は停滞し技術革新も滞るでしょう。
また私の場合、勝者とは敗者あっての勝者であるというのも倫理的根拠です。税は敗者への慰謝料と考えることもできるかもしれません。

私自身は、完全競争社会なら敗者の側の人間でしょう。岡本氏も同じようなことを書いていました(笑)
Posted by 管理人 at 2007年01月04日 23:18
倫理学は科学ではないので、科学的な反論や議論は不毛です。よく掲示板で、不毛な議論を見かけます。倫理学はあくまで解釈の方法に過ぎません。違う意見は、違う解釈なので、厳密には平行線で終わります。「そういう見方もできるねえ」という感じです。

ただ私には、岡本氏がなぜ、この本を書いたのか? という動機が、よく解りません。モノ化とは商品化であって、マルクス主義者が好きな解釈です。「だから、どうしたの?」という感じがするんですけど。

ところで前のブログに書いた岡本氏の本の紹介記事を復活させました。
Posted by おおくぼ at 2007年01月08日 01:17
おおくぼ様

動機は…わかりません(笑)
私は科学や医療の進歩は大いに肯定しますので、その意味では本書を批判しておりませんが、楽観的な展望には異議あり…というのは、これまで述べた通りです。

そういえば岡本氏は、脳死の問題について全く触れていませんでした。
私は個人主義の立場から「自分が死んだら全くの無になりたい。臓器を提供して、他人の身体の中で自分の一部が生き続けることは許せない。また、他人から臓器提供をしてもらってまで生きたくない」という主張を支持します。
「人間を1日でも長く生きながらえさせることが医学の使命」との発想には、個人が主権を行使できる最後の牙城である自己の身体までも、社会や国家のコントロール下に置こうとする意思が見え隠れしないでもありません。リバタリアンの思想ですね(笑)
もちろん「自分が脳死になったら臓器を提供したい」という人の意思も大いに尊重します。
医学の進歩も大賛成です。難病に苦しむ人には、生きるためにひとつでも多くの選択肢を用意すべきです。
Posted by 管理人 at 2007年01月08日 11:01
臓器移植については池田清彦が本を出してますね。

http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E6%AD%BB%E8%87%93%E5%99%A8%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E3%81%AF%E6%AD%A3%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%8B-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E6%B8%85%E5%BD%A6/dp/4044070016/sr=11-1/qid=1168276087/ref=sr_11_1/249-1095533-6820349

この本は「臓器移植、我せず、されず」の改訂版です。
ただ、脳死の場合は・・・ほとんどの人は自分が脳死になると思っていないし、あるいは思っても、メッセージを他人に託していない訳です。そうすると、脳死なった人は、脳死の為に!!医者に自分の意志を伝えることができないという問題があります。

ところで岡本氏の消費社会論は、大塚英志や宮台真司の分析を無視しているというか、後退している気がするんで・・・。
その辺りは自分のブログのネタにでもします。
Posted by おおくぼ at 2007年01月09日 02:17
おおくぼ様

池田氏は「自分は右でも左でもない、ラディカル(根源的)だ」とおっしゃっており、非常に歯切れのいい文章で私も好きです。リバタリアン精神の持ち主であると思います。

>岡本氏の消費社会論…
『お茶の間…』ブログを楽しみにしています。
やはり大塚氏や宮台氏のようにサブカルに関心の強い方は、消費社会に対する嗅覚が敏感なようですね。
Posted by 管理人 at 2007年01月09日 12:46
こんにちわ。にゅきです。

なんだか二人で楽しそうですね。資本主義が全てを商品化するのは当然ですな。もう酸素だって商品だしね。基本的に需要があれば商品化する動きが出てくるわけだから。人間の欲望が向くところは全て商品化ですよ。皆そんな社会が大好きなんだから。

臓器については倫理倫理いってたらいつまでたってもバイオ技術が上がらないですよね。結局アメリカの独壇場だもんなw。資本主義社会において遅れを取ることが将来どれだけの損害をもたらすかわかってない人多いように思える。

大体日本は資本主義国家として後発だから第2次世界大戦に負けたんだから。もう忘れてる。
Posted by にゅき at 2007年01月15日 19:45
にゅき様、いらっしゃいませ。

あらゆるモノが商品化されるのは、資本主義の必然であるのと同時に、地球に人間が増えたことが挙げられます。
もはや地上に、60億もの人間が好き勝手できるフロンティアはありません。空気も水も、ゴミを捨てるのもタダのままでは、地球は「コモンズの悲劇」に見舞われます。
竹内靖雄の「感情(倫理)を勘定(お金)に置き換える」は、非常に巧い表現ですね。

私はリバタリアニズムに共感する者です。
リバタリアニズムは個人の自由な選択を最大限に尊重しますから、経済面では市場主義ということになります。しかしながらリバタリアンは、弱肉強食主義者ではありません。私は、所得の再分配は必要との立場です。

医学の進歩に倫理的抵抗は付き物ですが、治療の選択肢が増えることは、人類の幸福の拡大につながります。
バイオテクノロジーの先端を行くアメリカですが、一方で進化論を否定したり人工妊娠中絶に反対したりする、キリスト教保守派の勢力が強いのが面白いですね。
Posted by 管理人 at 2007年01月16日 22:01
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