2007年03月20日

天皇陵、発掘。

3月1日、大阪府高槻市にある今城塚古墳から強固な石組み遺構が見つかったと発表されました。
今城塚古墳は第26代継体天皇の陵墓であるとする説が有力であり、発掘結果からも今城塚が大王陵クラスであることが裏付けられました。

今城塚古墳は被葬者の権勢の強さを示す、巨大な埴輪が大量に発掘されたことで知られています。平成15年8月には、壮大な埴輪の配列をCGで再現した番組がNHKスペシャルで放映されました。
この番組の単行本が、平成16年7月に発行されています。今城塚古墳とはいかなる遺跡で被葬者とされる継体天皇とその時代背景はどうだったのか、あらためて探ってみましょう。



大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎

宮内庁指定の天皇陵(および陵墓参考地)は、一般人が入ることはおろか、学術研究も許されておりません。ところが今城塚古墳は、なぜか陵墓指定から外れています。しかも王朝交代説もある継体天皇のものとされる古墳が綿密に調査できるわけですから、その価値は計り知れません。
宮内庁が管理する継体天皇陵は、大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳です。ではなぜ太田茶臼山ではなく、今城塚が真の継体陵であると言えるのか…それは築造年代がはっきりしているからです。出土した埴輪の分析から、太田茶臼山古墳は5世紀中頃、今城塚古墳は6世紀前半の築造であると判明しました。そうなると前者は、507年に即位した継体天皇の陵墓ではありえません。

今城塚古墳最大の特色である、大量の埴輪。一般に埴輪は墳丘に並べて置かれています。しかし今城塚では墳丘の外の堤にわざわざ舞台を築いて、外部に見せつけるように埴輪を配置しているのです。
実は同じような見せ方をした古墳が、もうひとつあります。福岡県の岩戸山古墳です。こちらは土製の埴輪ではなく石人・石馬像ですが、やはり舞台を築いて並べています。岩戸山古墳の被葬者は筑紫国造磐井と考えられており、継体王権に反旗を翻した磐井の乱の首謀者です。まさに覇権を競ったライバル同士が、古墳でも張り合っているようですね。

今城塚古墳から出土した埴輪には、当時の人々の服装や建築の様式までもが精緻に写し取られています。
武人の鎧は小さな鉄片を綴じ合わせており、これは騎乗に適した形状です。
継体天皇といえば、大和からの即位の要請を一旦は固辞し、懇意にしていた河内馬飼首荒籠から大和の政情を把握したうえで即位に応じたとされています。継体王権の成立には、河内の騎馬交易集団が大きく関わっているようです。
樟葉宮(大阪府枚方市)で継体天皇が即位し、今年でちょうど1500年。物言わぬ埴輪たちが、古代のありのままの姿を語り始めています。

(3月19日読了)


ラベル:古墳
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:07| Comment(6) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
fujunさん、こんばんは。いつも情報、ありがとうございます。
今城塚はおもしろいですね。岩戸山は「裁判所」のような機能をもっていたようですよ。もうひとつ、秦・始皇帝陵の「兵馬俑」とも似ていますね。今城塚はどんな機能をもっていたのでしょうか。
茶臼山を継体陵に指定している宮内庁は、今城塚の方が確からしいことを認知しているようですが、「永年祭っているので、天皇霊がもう移っている」としているようです。学問でなく完全に天皇宗教の世界ですが、屁理屈大いに結構。おかげで今城塚の発掘がどんどん進みます(天皇陵に指定されれば発掘中止)。今後も注目ですね。
Posted by ペンタクロス at 2007年03月27日 00:11
ペンタクロス様

おっしゃるとおり、古代の宮廷儀礼を再現したような今城塚の大埴輪群は、兵馬俑を連想させます。
最も謎の多い(最も正統性に疑いが持たれている)天皇の陵墓が、宮内庁の指定をはずれているとは、なんとも不思議な歴史のめぐり合わせですね。
宮内庁のいうところの継体天皇陵=太田茶臼山古墳は、建造当時(5世紀後半)最大ではないにしろ今城塚以上に大きな古墳ですから、継体陵ではなくとも大王陵クラスであることに間違いないとは思いますが(被葬者はどなたでしょう?)。
同じく宮内庁の陵墓指定をはずれている見瀬丸山古墳には、欽明天皇陵説がありますね。
かと思えば、畿内から遠く離れた宮崎県西都原古墳群の男狭穂塚・女狭穂塚は、陵墓参考地になっています。
これまた不思議…

陵墓指定の見直しは、発掘しなくとも、これまでの歴史学・考古学の成果をもとにできるはずです。
皇位が125代に渡って連綿と受け継がれていることを、国民が神話ではなく確かな歴史として感じられることで、郷土への愛着が育まれるのではないでしょうか。
まことに不敬な物言いですが、宮内庁がいいかげんな陵墓指定で国民を煙に巻くことを、天皇陛下は望んでおられないと思うのですが…
Posted by 管理人 at 2007年03月28日 00:07
fujunさん、こんにちは。
皇室では、記紀には神武系のライバルとして書かれている「ニギハヤヒ」を、実は密かにお祭りしているそうですよ。神話から真話に変わるといいですね。
Posted by ペンタクロス at 2007年03月31日 13:51
ペンタクロス様、情報ありがとうございます。

この場合の「お祭り」とは…
皇室の祖先神のひとりとして、あがめているのでしょうか?
それとも征服した祟り神として、鎮魂しているのでしょうか?

Posted by 管理人 at 2007年04月01日 01:01
fujunさん、こんばんは。
鎮魂際だそうですが、「崇り神の鎮魂」とは違うようです。<鎮魂−Wikipedia>を検索してお読みください。
Posted by ペンタクロス at 2007年04月05日 23:53
ペンタクロス様

そういえば関裕二氏は『物部氏の正体』で、神武天皇は「ニギハヤヒ・物部」の祭礼スタイルを受容・継承することを条件に、ヤマトに迎え入れられたとの見解を述べていました。

私は記事投稿&コメントの際、他のサイトで情報のウラをとるようにしていますが、Wikipediaは結構頼りになりますね。欲しい情報が全くない場合もありますけど。
Posted by 管理人 at 2007年04月08日 21:25
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

今城塚古墳
Excerpt: 最近、話題になっている今城塚古墳です。想像を絶する時間を越えて、今ここに存在すること自体に敬意を表したくなる厳粛な気持ちになります。 もう少し綺麗に管理がされていたら・・・と残念な想いも少しありますが..
Weblog: 高槻のええとこブログ
Tracked: 2007-03-28 12:05
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。