2007年04月02日

「クニガキチント」しなくていい

己の欲せざるところ人に施すことなかれ
他人に危害を加えない限り、個人の自由は最大限尊重されるべきである…これがリバタリアニズムの基本理念です。当blogでは、これまでリバタリアニズムの語をたびたび用いてきましたが、一般的にはまだ浸透していない言葉かもしれません。

自由主義というと、リベラリズムという言葉が思い浮かびます。
しかしながら、小さな政府を主張する人も、福祉政策重視を訴える人も、みな口をそろえてリベラリストを名乗るので「リベラリズムって、一体何なんだ?」と疑問をもたれる方が多いのではないでしょうか。だからというわけではないでしょうが、個人の自由を最大限尊重する思想はリバタリアニズムと呼ばれます。
ところがリバタリアニズムといっても、実は一筋縄ではいかないのです。
経済的利益追求を第一とした市場原理主義から、国家は国防・治安維持のみに専念せよとする古典的な夜警国家論、ありとあらゆる国家権力の存在を否定するアナーキズムなどがあります。個人の自由を絶対視するだけに、リバタリアンの数だけリバタリアニズムがあるのかもしれません。

蔵研也氏は、堂々と無政府主義者(アナルコ・キャピタリスト=無政府資本主義者)を名乗っています。
年金に健康保険、医療制度や建築の耐震基準…これらは「国がきちんと」やるべきことだと考えられています。しかし「クニガキチント」やることによって、私たちの精神的・経済的自由が大きく損なわれているのではないかというのが、本書の主張です。
自由の尊重は大いに結構。しかし税による富の再分配や健康保険がなかったら、格差が拡大するだけではないのか?…これに対して蔵氏は「クニガキチント」しなければ、安価な食料品や医薬品が流通し、電話料金も下がり、低所得者でも豊かな生活が営めるようになると言います(特に医療制度についての指摘は具体的)。
蔵氏は無政府主義者を名乗るだけあって、国家がなければ戦争もないとか、国籍から自由になることも書いています。しかし所得税を払わずに国々を行き来する永遠の旅行者=PT(Perpetual Travelers)のような生き方には、公共サービスのタダ乗りであるとして批判的なようです。

リバタリアニズムは自己決定を重視しますから、麻薬や自殺も一種の愚行権として認められます。しかしリバタリアンとは、決して経済競争イケイケドンドン主義者や享楽主義者ではなく、むしろストイックな道徳主義者なのだと私は思っています。
私はリバタリアニズムに大いに賛同しますが、現実の経済政策としては、富の再分配は必要だと考えます。リバタリアンだって、失業したり病気になったり投資に失敗したりしますし、経済的勝者は他人を踏み台にして利益を得ているわけですから。
また、現代社会はあまりにも巨大化・高度化・複雑化しました。地球上には60億以上の人間がひしめきあい、誰もが好き勝手に利用できるフロンティアは残されていません。好き勝手に利用すれば、そこにはコモンズの悲劇が待ち受けていることでしょう。

(4月1日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】 イケナイコトカイ?


(以下、管理人のひとりごと)

もしも人間が肉体を持たない生命に進化(?)したならば、食べる心配をしなくても純粋にミームの優劣だけを競い合う、リバタリアン・ゲームに専念できます(←超トンデモ妄想、無視してください)。

本書で蔵研也氏は進化論に依拠して人間の本性について言及していますが、もしかして進化論から人間の容貌について研究している蔵琢也氏とは兄弟なのでしょうか?

蔵研也のanarcho-capitalism研究室で、不純文學交遊録が紹介されました。
http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/rev_lib_manifesto.htm


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 01:01| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 私もこの本を読みました。
 医療制度について「関心のある人が自分のお金でやれば良い」という考え方は、妙に納得させられました。
 本書で提案されている社会は、理想の社会なのかも知れませんが、そこでは我々個人が、非常に高い理性を要求されるのではないでしょうか?
Posted by 金吾庄左ェ門 at 2007年04月02日 02:33
金吾庄左ェ門様、いらっしゃいませ。

リバタリアニズム社会の実現には、金吾様のおっしゃるように、他人の自由を侵害しない高い理性が万人に求められます。
麻薬取引や売買春であっても、お互いに強制されず第三者に迷惑をかけない限りは認めようという立場がリバタリアニズムですが、そう主張するリバタリアン本人は意外とストイックで道徳的な人ではないでしょうか。
私は自己決定を尊重するナルシシズムと、他人の自由を侵害しないストイシズムにもとづいて、リバタリアニズムに共感します。
リバタリアニズムは現実の政策としては機能しないのでしょうが、たとえ机上の空論であっても、極論を提示することはモノゴトの本質を見つめ直すのに有効です。
Posted by 管理人 at 2007年04月02日 03:12
今晩は〜わからない。。。なりにも一言

その主旨は理想的で賛同できるが
だれしも
故意でなくても、不快感を持ち合うことがあるので
割り切れる問題でもないと考えます
価値観が違う人間が集うということは不愉快も巻き起こしてしまう
自分はフェアだから。。。きっと相手も理解してくれる
ということに
失望していた過去数年の私です
↑を理想とし掲げても、あとはどこまで忍耐できるか?
私は限界でキレ→病気になりました
Posted by プリュム at 2007年04月02日 22:56
プリュム様、いらっしゃいませ。

自分がフェアに振る舞えば、相手もフェアに応じてくれる…のならば、国家も法律も必要ないですね。
はるか大昔、異なる集団同士が出会ったことで、法や貨幣、そして国境が生まれたのでしょう。
残念ながら、現実の人類社会は「権力」なしには立ち行かないようです…

プリュム様、その後ご健康はいかがでしょうか。どうかご自愛なさってください。
Posted by 管理人 at 2007年04月04日 22:47
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