2007年05月21日

誰かが世界を終わらせる?

戦争やテロ
未知なるウイルスの流行
地球規模の環境異変…
人類を滅亡に導く危機について警鐘を鳴らす書物は数多くありますが、今回ご紹介する本の特色は、国家間の戦争や地球環境問題ではなく個人が世界を滅ぼす可能性を指摘していることです。



今世紀で人類は終わる?

個人が世界を終わらせる可能性のひとつとして、まず挙げられるのが核を使ったテロです。プルトニウムを爆発させるには爆縮という特殊な技術が不可欠でテロリストの手に負えるものではありませんが、濃縮ウラン型爆弾なら核テロは比較的容易です。ソ連崩壊のドサクサの折、杜撰に管理された核兵器がチェチェン反政府勢力などに流出しているかもしれません。

本書で最も危険度が高いとされているのが、バイオテロです。生物・化学兵器の製造を監視するのは核兵器よりもはるかに困難であり、ウラン濃縮のような高度な技術も必要ありません。バイオテロを引き起こすのには国家どころか大規模なテロ組織すら必要ではなく、社会に憎悪を抱くマニアックな個人が世界を恐怖に陥れることができます。
狂った研究者が強力なウイルスを合成するばかりでなく、研究所に保管された天然痘ウイルスが持ち出される危険もあります。故意のバイオテロではなくとも、研究室でのバイオエラーも同様です。バイオテロ・バイオエラーは、たとえ犠牲者を出さなくても社会に深刻なパニックをもたらすことでしょう。

さらにSFじみた話ですが、粒子加速器で原子同士を衝突させる実験がビッグバンを起こし、地球どころか宇宙を破壊してしまう可能性を論じている科学者もいらっしゃるそうです。

著者のマーティン・リース教授は、イギリスの高名な宇宙物理学者です。衝撃的なタイトル(原題は『Our Final Century?』)が付いていますが、最先端の科学がもたらす人類の危機ばかりではなく、未来への展望(人類の宇宙への進出)も述べられています。ただし人類が繁栄を維持するためには、今世紀をどう生きるかが大切であると。

この広大な宇宙で、生命の存在が確認されているのは私たちの地球だけです。
人類は、地球は、いつまで続くのでしょうか。確かに言えることは、数十億年後には地球は膨張する太陽に飲み込まれてしまうことです。生命の誕生が、40億年前の地球で起こった宇宙の歴史上たった一度きりの出来事ならば、地球の消滅とともに宇宙から生命の存在は消えてしまいます。
もしかしたら人類に課せられた使命は、地球に誕生した生命の種を宇宙へ蒔くことかもしれません。そうすれば数億年先には、地球以外の星にも生態系が生まれているかもしれません。
それとも地球以外の星に生命の種を蒔く行為は、宇宙環境の破壊でしょうか?(笑)

(5月20日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】世界はこうして終わる?


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:52| Comment(6) | TrackBack(0) | 科学技術交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
個人が世界を終わらせる可能性・・・バイオテロ。。。
BSL-4施設からのバイオハザードはたとえ被害が抑えられても
周辺に大パニックを誘発するでしょうね。
Posted by ambush at 2007年05月22日 21:03
ambush様

バイオテロは、見えないからこそ恐ろしいですね。
成人のはしかの大流行ですら、東京はパニック気味ですから。

「科学実験が宇宙そのものを破壊」する可能性をマジメに論じている科学者がいるのには驚きました。誰か小説のネタに使ってくれないでしょうか(笑)
Posted by 管理人 at 2007年05月22日 22:20
終末論の歴史は長いです。私の興味は「人は何故、終末論に惹かれるか?」です。
例えばアメリカ大統領のレーガンやブッシュJrは『黙示録』を信じています。
Posted by おおくぼ at 2007年05月26日 23:58
おおくぼ様

人はなぜ終末論に惹かれるのか?
以下、妄想モードに入りますので、ツッコミどころ満載(?)です。

ヒトと他の生物との大きな違いは、死を意識するかどうかにあります。ヒト以外の生物に埋葬の習慣はありません(現世人類とは別種であるネアンデルタール人には、埋葬の形跡があったといわれます)。
ヒトは、自分の死がいつどのようにもたらされるのかと思い悩み、同じように人類の死、世界の死に至るまで思いをめぐらせることができます。

バタイユ風にいうと、ヒトは過剰な富を蕩尽することに快楽を覚える生物です。ヒトにとって最も過剰な財とは、なんといっても自らの生命です。そしてヒトという生物種そのものの死こそ、最高にして最大の蕩尽でありましょう。人類の終末を想像することは大いなる恐怖ですが、同時に怖いもの見たさの快楽ともなり得ます。

ヒトはホラー映画やジェットコースターなどで擬似的な死の恐怖と快楽を味わいますが、それが度を越すと快楽殺人者となったり、終末を自作自演するカルト宗教家となったりするのでしょう。

黙示録的世界観の持ち主は、世界が最終戦争に陥ることで浄化され、その後に自らが理想とする千年王国が訪れるとでも思っているのでしょう。これも立派なカルトですね。
Posted by 管理人 at 2007年05月27日 22:04
栗本慎一嘯竅A栗本センセイの好きな、ルネ・ジラールやバタイユ(本文中でも言及がありますね)、ボードリヤールの説を連想しました。
ボードリヤールは、911事件を予言したとして注目(責任追及?)されています。
浅田彰の対談集『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫)で、同じような内容が議論されています。
Posted by おおくぼ at 2007年05月28日 21:04
仏教的世界観では、生命は輪廻転生します。
キリスト教的世界観では、最後の審判が待ち受けています。
多神教的世界観では時間は永遠に円環し、一神教的世界観での時間は線的であるとの言い回しがよく見受けられます。
しかし仏教にも末法思想がありましたし(平安時代の1052年が末法の年だとされた)、終末を自作自演したオウム真理教は仏教をベースにした新興宗教でした。
世界の終わりは、人類普遍の思考です。
ヒトは自らの生命に、いつか終わりが来ることを知っている生物です。だから世界にも、終わりがあるのではないかと思うのでしょう。単細胞生物のように細胞分裂で殖える生物ならば、その生命はほぼ永遠といえます。
科学から逸脱した妄想ですが、単細胞生物にも細胞分裂するときにある種の快感があるのかもしれません(栗本慎一郎がそう書いていた記憶があります)。繁殖が苦痛でしかなければ、生物は繁栄しませんから。
Posted by 管理人 at 2007年05月29日 00:14
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