「発掘!あるある〜」のスポンサー企業・花王が電通に支払ったと推定される額は、年間約50億円。これを番組一本あたりにすると約1億円です。うち電通の取り分が1,500万円、残りの8,500万円がテレビ局に渡ります。ところが下請けのテレワークに支払われた制作費は約3,200万円。差額の5,300万円はどこへ…
それは電波料です。しかし総務省が徴収する電波利用料は、地方局1局あたり年間わずか8万3000円。実は電波料の大部分は、キー局が地方局に支払う補助金だったのです。
さて、制作費3,200万円からスタジオ経費などが引かれ、孫請け会社のアジトに支払われたのはたったの860万円。
これでは質の高い番組作りなんて望めないわけです。
メディアの裏側を鋭く抉り、最大1日3万ページビュー・1万5千超のユーザーがアクセスする池田信夫 blog。その記事を集成したのが『ウェブは資本主義を超える』です。

ウェブは資本主義を超える
池田信夫 blogのサブ・タイトルは「IT&Economics」。
メディアを論じることは報道のあり方を批判することであり、放送・通信産業について論じることは日本の経済構造へ深く切り込むことです。
著作権を作家の死後70年(現在は50年)に延長しようとする動きがあります。しかし実際に守られるのは作家(とその遺族)の権利でも、ましてや豊かな文化でもなく、流通業者の利益です。
デジタル放送・携帯電話の規格など日本発の世界標準を目指したプロジェクトは、ことごとく失敗してきました。
池田氏はインターネットの発展が、大企業や官僚機構などの既得権益を破壊する可能性を歯切れよく論じています。
本文から『ウェブは資本主義を超える』というタイトルを想起させる、面白い記述をご紹介します(第3章-3「創造的破壊」)。
マルクスが『資本論』で想定する未来社会は、共産主義とも社会主義とも呼ばれず「自由の国」とか「自由な個人のアソシエーション」と呼ばれています。その自由とは、自由時間のことです。
資本主義とは資本家が物的資源を所有して労働者を支配するシステムであり、その有効性は人的資本や知的労働の重要な情報産業では低下します。
コンピュータの計算能力の価格は、1960年代から今日までに1億分の1になりました。これは100億円かかった工場建設費が100円になったようなものです。物的資源の希少性が制約にならないサイバースペースでは、マルクス的な「自由の国」が実現しているのです。
ただしこの「自由の国」は、「必然の国(=資本主義社会)」に支えられたサブシステムでしかありえませんが。
池田氏は、死ぬまでにマルクスについての本を書こうと思っているそうです(池田信夫 blog 7月2日より)。
(7月22日読了)
【不純文學交遊録・過去記事】
日本のメディアは“杉林”
2011年、テレビをまだ見てますか?
そう言う意味では、「資本論」は「聖書」と同じ魅力があるのだと思います。
柄谷行人の本も似たような解釈ですし。
資本主義者としてのマルクスですね。実際に社会主義とマルクスは無縁だと思います。個人的にはマルクスは革命思想家だと思います。
でも「資本論」という本は支離滅裂で、理論書というより文学の本です。
コンピュータの飛躍的な進化が、マルクスが夢想した「自由の国」を(部分的ではあるが)実現しているという…まさにマルクスさんが目をまるくする解釈ですね。
かつて何億円もしたスーパーコンピュータを上回る性能を持つパソコンが各家庭に普及した現代は、資本家が独占していた生産手段を万民が所有したとも言えます。
IT社会がテレビ局や官僚機構といった利権構造を破壊すると説く池田氏もまた、21世紀の革命家なのかもしれません。