2007年10月10日

ニッポンのルーツを求めて

古来より、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易ルートとして栄えたシルクロード
奈良・東大寺正倉院には、異国情緒にあふれた聖武天皇の御物が納められ、シルクロードの終着駅とも呼ばれます。

ペルシアから天山南路を経て長安へと向かういわゆるシルクロードは、険しい岩場の続く難所です。一方、遊牧民族が駆け抜けた北のシルクロードは、なだらかな草原がひろがっています。
北のシルクロード=草原の道こそがシルクロードのメインストリートであり、日本文化の源流は北ユーラシアにあるとするのが、経済人類学者・栗本慎一郎氏です。



シルクロードの経済人類学

古代の遺跡や神社の配置には、なんらかの法則性が見出せます。例えば、大和三山の位置関係が三角形を描いていたり、平安京が風水に基く四神相応に設計されていたり。
栗本氏は前著『シリウスの都 飛鳥 』で、古代日本に真北から20度西に傾いた方位を神聖視する法則が存在することを指摘しました。これは冬至の深夜、真南から20度東の位置に輝くシリウスを遥拝して真後ろの方角であり、栗本氏は聖方位と呼んでいます。
聖方位はペルシアの王都ペルセポリスに典型的に見られ、中央アジアの遺跡にも多く残っています。日本では大和三山、応神天皇陵を代表格とする大型前方後円墳、法隆寺(原法隆寺である若草伽藍)と斑鳩宮、石舞台古墳、茨城県の鹿島神宮などに見出せます。

聖方位は、草原の道を通って北日本にもたらされました。これは古代日本の国家の基盤が中国・朝鮮半島経由でもたらされたという通説に、大きな見直しを迫るものです。中華思想に染まった歴史観では、北ユーラシアの遊牧民帝国のダイナミックな歴史は見えてきません。
中国の歴史書は、遊牧民族の名称に「匈奴」のような侮蔑的な当て字を用いてきました。原音に忠実であるなら匈奴はキォンヌ、突厥はチュルクと表記すべきなのです。本書の大部分は遊牧民族の興亡の歴史に充てられていますが、栗本氏は中国中心史観を正すべく民族名の多くを見慣れないカタカナで表記しているため、素人には難解です。

栗本氏は、北日本の中心地は鹿島神宮であり、北日本勢力の代表が蘇我氏であるとします(そしてライバルの物部氏を九州勢力の代表としています)。
北ユーラシアにルーツを持つ蘇我氏と聖徳太子は、聖方位にもとづく都を建設し、律令制の基礎を築き、天皇の呼称としてスメラミコトの語を用いました。そして「天皇記」「国記」の編纂も行います。
なお、一部に聖徳太子を西突厥の王だとする説(小林恵子氏)があるようですが、それについて栗本氏は一切言及しておりません。
急激な変革には、必ず抵抗勢力が現れます。蘇我入鹿乙巳の変(大化の改新)で、中大兄皇子中臣鎌足らによって暗殺されました。蘇我宗家を滅ぼした中臣鎌足には鹿島出身説がありますが、蘇我氏の拠点も鹿島にあったのなら、その関係が気になります。

日本史上最大級の極悪人とされ続けてきた蘇我入鹿。その評価は徐々に変わりつつあります。
もしかすると蘇我氏こそ、日本の基礎をつくった王だったのでしょうか?

(10月1日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
はるかなる飛鳥


(管理人のひとりごと)
中華人民共和国・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国との関係を疎かにして良いとまでは言いませんが…
この本を読んで(麻生太郎氏の「自由と繁栄の弧」に倣って)日本から中央アジアを経て中東・ヨーロッパへと至る「草原の道」を再現した「自由と繁栄の道」という、とてつもない外交構想があっても良いのではないかと思いました。


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 01:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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