2008年05月06日

御田植え祭り

【ゴールデンウィーク歴史探訪〜後編】
5月5日、午後は敦賀市へ。

otaue4.JPG

敦賀市沓見(くつみ)の「御田植え祭り」を見物しました。
男宮の信露貴彦(しらきひこ)神社と女宮の久豆彌(くつみ)神社の御幣が集落を練り歩き、その後両社で王の舞・獅子舞などを奉納します。舞い手は小学生です。
若狭湾周辺は、各地に王の舞が継承されていることで知られます。
敦賀の地名の由来は、意富加羅国の王子・都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)の渡来伝承。信露貴彦神社と新羅の関係が気になります。

敦賀まで来たので、以前から興味のあった場所を訪問しました。

seimei1.JPG

敦賀市中心部にある晴明神社
その名の通り、陰陽師・安倍晴明ゆかりの地です。晴明が使ったという祈念石があります。

kanegasaki1.jpg

そして金崎宮金ヶ崎城跡
金ヶ崎城は南北朝時代に南朝方の拠点となった城。金崎宮は戦乱の犠牲となった後醍醐天皇の皇子・尊良親王と恒良親王を祀っています。
戦国時代には織田信長が朝倉軍と浅井軍の挟撃に遭い、織田軍の殿(しんがり)を努めた木下藤吉郎(豊臣秀吉)が信長の窮地を救います。そこから金崎宮は難関突破祈願の神社なんだとか。
尊良親王墓所見込地の碑を撮影した後、急に足が重くなったので、慌てて戻って碑に手を合わせました(写真は破棄)。多分、疲れていたんでしょう(笑)
山頂を目指さずに駐車場へ引き返したおかげで、激しい雨に遭わずに済みました。

写真は『不純文學交遊界』にUPしました。
不純文學交遊館・沓見 御田植え祭り




ラベル:王の舞
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 13:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いいですね。自分は「王の舞」を見たい!とずっと思っていながら、福井が遠いのと4〜5月が割合忙しいのとで、なかなか出かけられません〜。敦賀というと、場所さえイメージわかないです(^^;)ですが、いつか行ってみたいです。

清明神社も各地にあるのですね。自分は、職場の京都旅行で、自由行動の時間に、京都の清明神社へ行って、例の五角形の絵馬を買いましたが…。福井にもこんな伝説があったりするのですね。
Posted by 線翔 at 2008年05月09日 08:24
線翔様

以前『不純文學交遊界』で取材した彌美神社(福井県美浜町)の王の舞は、5月1日。
宇波西神社(福井県若狭町)の王の舞は、4月8日。
お祭りの日が休日とは限らないので、なかなか見ることができません。
宇波西神社の王の舞は、舞い手を転ばせると縁起が良いとの言い伝えがあって、舞い手を突き飛ばそうとする人と舞い手を守る人との間での競り合いがあるそうです。こちらも一度見てみたいですね。

安倍晴明といえば、晴明の子孫である土御門家が、京都の戦乱を避けて戦国時代に福井県名田庄村(現・おおい町)に移り住みました。
おおい町には土御門家の資料を集めた「暦会館」があり、陰陽道の儀式・星祭りが毎年行われています。
残念ながら、まだ行ったことはありません。
Posted by 管理人 at 2008年05月09日 23:03
fujunさん、お久しぶりです。
「安倍晴明」の足跡は日本中にあるんですね。東京の葛飾熊野神社などは五角形の境内がそのまま残ってます(拙ブログに収録)。
これほど歴史的に影響を与えた「晴明」なのに、なぜ教科書などには記されないのでしょうかね?(明治の禁止令はイコール史歴抹殺令だったのかも、廃仏毀釈なども含めて)
名田庄村の分析を名前に貼り付けましたので、参考ください。
Posted by ペンタクロス at 2008年05月10日 02:50
ペンタクロス様

呪術は信仰(迷信)であると同時に、古代におけるテクノロジー(科学)でもありました。
呪術や宗教が人類の歴史を大きく動かしてきたことを、日本の教育は軽視しているように思います。
日本人が宗教について知らなさ過ぎることが、かえってオカルトだのスピリチュアルだのに安易にハマってしまう理由ではないでしょうか。
また、宗教が戦争や犯罪の原因となることも、しっかりと教育すべきです。

同様に、携帯電話やインターネットは私たちの生活を便利で豊かにしましたが、犯罪に利用される危険があることも小学生のうちから教育せねばならないと思います。
Posted by 管理人 at 2008年05月10日 23:12
fujunさん、こんばんは。
その通りですね。
現代は、陰陽五行など取り合わないようですが、曜日名にはちゃんと使っていますね。
歴史学は、過去の事績を現代の視点から批判するものではなく、過去の事績の上に乗っている現在を確認するものです。過去を隠せば隠すほど現在が見えなくなり、未来への展望も閉ざされてしまいます。
宗教については異論があります。「原因」ではなくて「悪用」だと思います。「人を殺してもいい宗教」なんておかしいですよね。
Posted by ペンタクロス at 2008年05月12日 00:13
ペンタクロス様

人を殺してもいいという「宗教」を、宗教と呼んではいけないのかもしれませんね。
「宗教」と「カルト」を見極めるのは、なかなか難しいと思いますが。
Posted by 管理人 at 2008年05月13日 20:22
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