2008年08月13日

法隆寺は中世建築?

世界最古の木造建築である、世界遺産・法隆寺。
外国人に法隆寺を「古代の建築」と紹介したら、「中世の寺院ではないのか」と聞きとがめられた…そう語るのは井上章一氏。『霊柩車の誕生』、『美人論』、『パンツが見える。』などのユニークな著作で知られています。

海外の研究者には、法隆寺は鎌倉時代に再建されたと思われているのでしょうか?
そうではありません。法隆寺の創建は607年、火災によって再建されたのは670年頃だとされています。聖徳太子の時代、7世紀は中世であるというのが西洋史の常識なのです。



日本に古代はあったのか 井上章一 著

日本史では鎌倉幕府の成立を以って中世とし、江戸時代を近世と呼ぶのがならわしです。西洋史では西ローマ帝国が滅亡した476年以降を中世、ルネサンス以降を近世とするのが一般的です。中国史には漢までが古代、唐までが中世、宋からを近世とする見方があります。
「古代」日本と交流のあった隋・唐は中世国家である…そうなると日本の歴史は、世界の歴史と千年近くもズレている(遅れている?)ことになるのでしょうか。

そうではなく、平城京・平安京が「中世」の唐の都城を模して築かれたのであれば、奈良・平安時代もまた「中世」と呼ぶべきではないかということです。
中世を封建制度(すなわち土地恩給に基づく主従関係)の時代と定義すれば、荘園を支配していた平安貴族も封建領主と呼びうる存在です。蘇我氏や物部氏が領地を支配しながら朝廷に参画していた飛鳥時代もまた、中世的な時代だったのではないでしょうか。天皇が土地と人民を支配する律令制度は、その間の一時的な国家形態に過ぎないと。
そう考えると日本史の中世は、世界史の中世と一致します。

日本の中世の始まりを、世界史にあわせて邪馬台国の時代から古墳時代だとすると、日本にはローマ帝国や秦・漢帝国に相当する古代国家がありません。つまり日本に「古代」はなかったとするのが、井上氏の主張なのです。
鎌倉時代から中世が始まったとする説が根強い背景には、関東に武家政権が生まれたことを特別視する東京優位史観、さらには東京大学と京都大学の学閥争いがあることを指摘しています(ちなみに井上氏は、京都市生まれの京大卒)。
日本史をグローバルな視点から捉えることで、今までとは違った歴史観が生まれてくる面白さがあります。

本書は角川選書の一冊。選書には新書よりもお堅いイメージがありますが、井上氏の軽妙な語り口は300ページを飽きさせずに読ませてくれます。

(8月13日読了)


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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