2009年02月16日

農政に「NO」を!(後編)

「農業に経済の論理を持ち込むべきではない」とか「一生懸命お米を作るお百姓さんは美しい」などと、情に訴える農業聖域論にはウンザリします。
農業は自由化すべきだと考えていた私が共感できたのは、20年ほど前に出会った叶芳和氏の著作です。残念ながら、最近目にした彼の名前は選挙の落選結果でした(笑)。脳衰症…じゃなかった、農水省を飛び出した山下一仁氏には、是非とも期待しています。



農協の大罪 山下一仁

ウルグアイ・ラウンドの農産物自由化交渉に対し、農協はコメの自由化によって、日本の文化や生態系が破壊されるとのキャンペーンを張りました。
確かに水田には、水資源の涵養や洪水の防止といった、経済的な指標では計れない重要な機能があります。しかしながら、日本の風土を守るべき水田の減反を推し進めてきたのは、他ならぬ農協なのです。
また、農協が保護してきた兼業農家は、農業に手間暇をかけないために、大量の農薬や化学肥料を使用しています。実は大規模な農家ほど、環境負荷は低いのです。

農業の担い手は農家でなくて構いません。農業を企業化し、大規模化・高効率化を進めるべきです。
「農業はキツイ、ダサイ」では、農家に後継者がいなくなります。一方で農家の出身でなくても、農業に就きたい人はいます。日本の農業を持続させるためにも、農業を企業化すべきなのです。
たとえ安全で低コストであっても、大規模な機械化された農場で、サラリーマンによって生産されたコメや野菜なんて認めないと言う貴方。そんな貴方は、昔ながらの手作業で丹精込めて作った、高級ブランド作物をどうぞ。
農業の工業化を推し進める一方で、顔の見える農業も維持すべきです。職人的なカリスマ農家は、農作業神事の伝承やグリーンツーリズムといった、農業の文化的側面をも担います。こういった農家の保護・育成には、補助金を投じても良いでしょう。
どちらも受け容れられないと言う方は、どこでどう作られたのか判らない輸入作物を食べてください(笑)

私は決して食糧安全保障だの、食糧自給率向上だのを掲げるつもりはありません。
農業にまつわる規制や利権を撤廃し、農業をやりたい人や企業が、やりたいように出来る環境をつくる。その結果、農業が活性化すれば良いのです。

(2月10日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
農政に「NO」を!(前編)


ラベル:農業
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 02:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。