2009年04月27日

日本史法廷、判決は…

まもなく裁判員制度が始まります。
4月21日、和歌山毒物カレー事件の最高裁判決(死刑)が下りました。数々の状況証拠が挙げられましたが、被告人の犯行動機は依然として不明のまま…裁判員が裁くには、非常に荷が重い事件です。
日本の歴史上にも、未だ謎に包まれた未解明事件があります。



古代史から解く伴大納言絵巻の謎
倉西裕子 著

貞観8年(866年)、平安京大内裏の応天門が炎上しました。
右大臣・藤原良相と大納言・伴善男は、左大臣・源信が放火したとして告発。信の邸宅を兵が包囲します。これを知った太政大臣・藤原良房は、時の清和天皇に奏上し、信は赦免されました。火災から半年後、今度は一転して伴善男が応天門放火犯として捕縛され、彼は流刑に処されます。いわゆる応天門の変です。
応天門の変を題材に、平安時代末期に描かれた伴大納言絵詞は、炎の表現や画面構成が見事で、国宝に指定されています。

応天門の名は、古代の有力豪族・大伴氏に由来するといいます。
大伴氏の祖は、天孫降臨に従った天忍日命(アメノオシヒノミコト)とされ、雄略天皇の時代に入部靱負(天皇の親衛隊)の任を賜り、朝廷の正門の開閉を担いました。以来、宮城の正門は大伴門⇒応天門と呼ばれます。
その後は、継体天皇を擁立した大伴金村、壬申の乱で武功のあった大伴吹負らを輩出しますが、奈良時代には数々の政変に連座して勢力が衰退しました。
平安時代に入ると、淳和天皇の諱(大伴親王)を避けて伴氏と改称しています。

父が配流の身だった伴善男の宮廷人生は、かなり低い地位からのスタートでした。しかし博覧強記で弁舌巧みな善男は次第に頭角を現し、ついには大納言にまで昇進します。大伴氏としては、久しぶりの高位復帰です。
伴善男は才能豊かだが、狡猾で風流さに欠ける人物と評され、得意の弁舌で同僚を失脚させたこともあります。不仲だった源信を放火犯に仕立て、陥れようとしたのでしょうか?
藤原氏もまた、皇親の源氏と朝廷の高位を争っており、さらに良房・良相の兄弟間でも権力を争っていました。応天門の変を処理した藤原良房は、伴氏および紀氏の勢力を朝廷から一掃し、臣下として初めて摂政の位に就きます。藤原氏摂関体制のスタートです。すると事件は、良房の仕組んだ陰謀だったのでしょうか?
日本史法廷の裁判員のみなさん、あなたの判定は…

倉西裕子氏は、大伴氏・源氏・藤原氏の出自に着目し、当時の外交問題まで絡めて、応天門の変に隠された真相を推理します。さらに伴大納言絵詞には、絵巻が描かれた平安時代末期の政局までが反映しているといいます。
本書の指摘には、正直「そこまで因果関係があるのか?」と思う点もありますが、現代の私たちが思いもよらないことでも、当時(平安時代)の人々にとっては共通認識だったのかもしれません。

(4月26日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
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posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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