2009年06月07日

食糧危機は、やってこない。

私たちは「危機」が大好きです
小説や映画には、戦争や天災や環境破壊などの危機があふれています。
政治でも経済でも、楽観的な予測が外れると激しく批判されますが、悲観的な予測はそうではありません。



「食糧危機」をあおってはいけない

川島博之 著

「地球の人口が増えて続けて、食糧はいずれ足りなくなる」
「自給率の低い日本は、新興国に買い負けて食糧が輸入できなくなる」
世界的な食糧危機の到来は、幾度となく唱えられてきました。しかしながら耕地面積、食糧の生産性、人口増加率などのデータをつぶさに検証していくと、全く逆の見通しが導き出されます。
どうやら食糧危機はやって来そうにないのです。

中国が経済発展して富裕層が増加すると、牛肉の消費量が急激に増えて、飼料となる穀物が世界的に不足するのではないかと言われました。
しかし中国で家畜の飼料となったのは、それまで価値の無かった、油を採ったあとの大豆の絞りかす(大豆ミール)でした。食肉消費量が増えても、穀物需要はさほど増えなかったのです。

中国の大豆消費量の増加をまかなったのは、ブラジルです。ブラジルには未開発の広大な荒地(セラード)があり、貴重な熱帯雨林を伐採することなく、農地を拡大することができます。
また、集約農業が行われているのは北アメリカ・西ヨーロッパ・東アジアの先進地域だけで、それ以外の地域では面積あたりの収穫量を大きく増やすことができます。
世界の食糧は、まだまだ増産できるのです。

それでも世界には、飢餓に苦しむ人々がいます。とりわけサハラ以南のアフリカ諸国は深刻です。
人口爆発が続くアフリカ諸国ですが、それでも全人口を養うだけの農地はあります。アフリカの貧困は、政治・経済の問題です。人口増加で、地球全体がアフリカのような状況になるわけではありません。
実際には、世界の食糧は余っており、アメリカ・フランスなどの先進国が輸出先を求めて争っています。

著者・川島博之氏は、東京大学大学院農業生命科学研究科に在籍しており、日本で最も豊富なデータを持った方だと思います。
挑発的なタイトルの本ですが、内容は極めて冷静であり、大言壮語な表現は全くなく、非常に好感がもてます。
食糧自給率はどうしても上げなければならないのか、疑問に思った方は是非とも本書を読んでください。

(5月18日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
農政に「NO」を!(前編)
農政に「NO」を!(後編)
悲観も楽観も、いけません。


ラベル:農業
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 01:01| Comment(12) | TrackBack(0) | 政治・経済交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
10年以上前に出た統計学者の竹内啓の『 人口問題のアポリア』を読んで、人口問題と食糧問題の統計的事実を知りました。
驚きました。
統計はマスコミの嘘を教えてくれます。
ただ多くの懐疑論者は好きになれません。
その理由は、懐疑論者の語る「正義」が暑苦しいからです。


私は「正義」が嫌いです。
私は基本的に政治家が嫌いです。
その理由は、「正義」を熱を込めて語るからです。
未来はどうなるかなんて保証がないのに、その人が信じる「正義」を実現すれば、幸福なれるのでしょうか?
私にはそうは思えないのです。
人生万事塞翁が馬という風に、嘘で危機をあおることもいいんじゃないかという気がします。
むしろ、マスコミの嘘を楽しむ余裕が必要な気がします。
ただ、恐喝まがいの危機論者やテロリストまがいの活動家は迷惑なんで止めて欲しいです。
Posted by おおくぼ at 2009年06月07日 17:06
私は「正義」が嫌いというよりは、苦手です。
例えば、努力だとか奉仕だとか感謝だとかの「正しいこと」を語られると、それができていない自分は悪だとの強迫観念に陥ります。

人間は生きていくうえで、常に何かに負担を掛け、何かを犠牲にしています。
たとえベジタリアンであっても、植物という生命を奪って生きています。

恐喝まがいの危機論者やテロリストまがいの活動家は、小林よしのり氏がたびたび批判する「純粋まっすぐ君」ですね。
Posted by 管理人 at 2009年06月08日 18:34
竹内薫さんの『理系バカと文系バカ』(PHP新書)は面白いです。

竹内さんの経験談がいいです。
理系が文系とは別の理由でオカルトに転びやすいというのは事実だと思うのですが、不思議です。
科学の歴史では、オカルトと科学は最初は融合していて、段々分離するもんだと思うのですが・・・。
Posted by おおくぼ at 2009年06月16日 23:52
オカルトにはまる人は、もともと神や霊を強く信じているのではないでしょうか。幼少時の体験や、刷り込みで。
そういう人は「はじめに信仰ありき」で、科学で説明できない部分を、ここから先は神の領域だとか、霊の仕業だとかにしてしまうのでは。
あるいは、真理の探究によって神の存在を証明することが、学問に対するモチベーションになっているとか。
文系オカルトさんの場合は、そもそも「怪力乱神」が好きなだけかも(笑)
Posted by 管理人 at 2009年06月17日 22:57
自分のブログに天文学の歴史を連載はじめました。
コペルニクスやガリレオを批判したりするつもりです(笑)。
彼らの主張は現代から見れば正しいのですが、根拠が弱いのです。
だから当時の知識人が、彼らの主張を信頼できなくても、当たり前なのです。
Posted by おおくぼ at 2009年06月19日 22:16
そういえば、今年は国際天文年でございます(ガリレオの天体観測から400年)。
ガリレオと同時代に惑星運動の3法則を解明した、ケプラーは凄いですね。
ケプラーは惑星運動の見事な法則性こそ、神の存在する証だと考えていたようです。
Posted by 管理人 at 2009年06月20日 00:12
ケプラーは数学神秘主義の塊みたいな人です。
ただ同時代には評価されませんでした。
チコ・ブラーエや文通相手のガリレオには評価されませんでした。
ニュートンとフックがケプラーを発見したのです。

チコは天動説で、ケプラー地動説です。
ケプラーは、データが欲しくて、チコの元で働いたという説があります。

http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0776-0.htm

ケプラーは、中世のピタゴラス派だと言えるでしょう。
ケプラーの月世界の想像は、「月のSF」の先駆者と言われています。
Posted by おおくぼ at 2009年06月20日 00:46
ケプラーは、コペルニクスやガリレオ以上に、時代の先を行っていたと思います。コペルニクスやガリレオは、地動説を唱えはしたものの、惑星運動の法則までは解明していませんから。
ただ、ケプラーの業績は、先輩であるティコ・ブラーエの、豊富な観測データがあってこそですね。ケプラーが、データを奪うためにティコを毒殺したとなると、穏やかな話ではありませんが、可能性はどうなんでしょう?
Posted by 管理人 at 2009年06月21日 20:53
本当のとこは私にはわかりません。
ただケプラーがティコの下で働いたのは僅かな期間です。そして、ティコのデータの価値を理解できるのは自分だけだという自負があったのは事実です。

科学の歴史ではガリレオの存在は大きいです。望遠鏡を使った分析は、ガリレオが最初ではありませんが、ヨーロッパでは革命的でした。

ケプラーは大天才ですが、ニュートンという大天才が「ケプラーの偉業」を発見しなければ、科学史に名前が残らなかったでしょう。

私にはケプラーは、科学者というよりも神秘主義者として偉大だったと思うのです。
たまたま科学的な発見を、ほんの少しだけしたと思っています。
ケプラーは、空想主義社会主義者シャルル・フーリエを連想します。
シャルル・フーリエはケプラーと違って数学は弱かったですが、想像力は凄いです。
こないだ亡くなったSF作家JGバラードの名言に、「人間に残された最後の資源は想像力である」があります。
Posted by おおくぼ at 2009年06月21日 22:13
ヨハネス・ケプラーの偉業が認められたのは、アイザック・ニュートンのおかげ。そしてティコ・ブラーエの名が後世に残ったのは、ケプラーの法則のおかげ。
あまりにも斬新なアイデアは、同時代の人々の理解を得られないのでしょう。
現代科学の基本である、万有引力も地動説も惑星運動の法則も、当時の人々にとっては常識に反するトンデモ思想だったわけですね。
Posted by 管理人 at 2009年06月22日 19:42
コペルニクスは、自分の説を新説ではなく、古代ギリシャに先駆者がいたと書いています。 

科学の歴史は、トンデモと非トンデモの戦いの歴史でもあるのですが、トンデモが勝つ比率は僅かです。
だからトンデモ側に賛同すると、間違える確率が高いです。
またトンデモ説は、庶民から注目されやすいのですが(本の売り上げはいいです)、専門家にバカにされる場合が多いという危険があります。
地球温暖化の場合もそうですけど。

私は、金星が熱い理由は、「二酸化炭素の温室効果ではない」というトンデモ説を主張していますが(笑)、賛同してくれる専門家を1人も知りません。
Posted by おおくぼ at 2009年06月25日 15:22
トンデモ説は、確かにみんなから注目されます。
わたしたち庶民は、常識を超えた異説・奇説に引かれます。
しかしトンデモ説は少数意見であり、間違いである確立が高いです。

流行とは、あくまで一部の人がやっているから流行です。
みんながやり始めたら、それは「定番」とか「日常」と呼ばれます。
トンデモ説も証明されれば、それは「常識」です。

トンデモな専門家もいらっしゃるとは思いますが…(笑)
Posted by 管理人 at 2009年06月26日 22:52
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