2010年02月15日

描かれた邪馬台国

なんと(710)大きな平城京…今年は平城京遷都1300年。
奈良に都があったのは短い期間ですが、数々の政変が繰り返され、行基や道鏡など異能の人物を輩出しました。
学者にして政治家の吉備真備も、その一人。遣唐使の留学生となり、帰朝後は遣唐副使、右大臣などの要職に就きました。



吉備大臣入唐絵巻

平安時代末期(後白河院政)に制作された『吉備大臣入唐絵巻』は、吉備真備をモデルとした説話を描いています。
唐に渡った吉備大臣は高楼に幽閉されますが、鬼になった阿倍仲麻呂に難を救われるというストーリーです。
ただし史実では、吉備真備の入唐時に阿倍仲麻呂は存命でした。
歴史上の人物は吉備真備、説話の登場人物は吉備大臣と表記します。


吉備大臣が幽閉された高楼は、弥生時代に造られた高床式の高層建築物であると、著者の倉西裕子は主張します。吉野ヶ里遺跡の高床式建物や、かつて高さが48メートルもあったとされる出雲大社の復元模型のイメージです。
そして弥生時代に高層神殿に住んでいた(幽閉されていた)とするのが、邪馬台国の女王・卑弥呼です。
吉備真備と卑弥呼。あまりにも飛躍しすぎではないかと思うのですが、本書は弥生時代と奈良時代の東アジア情勢が、極めて似通った状況にあったと論じます。

吉備真備が生きた時代、唐は玄宗の治世で最盛期を迎えていました。海を越えて、日本まで遠征してきそうな勢いです。
吉備大臣が唐の皇帝から受けた試練は、日本と唐の緊迫した外交関係を暗示しているかのようです。出国を禁じられていた鑑真を渡航させたことも、日唐関係を悪化させたことでしょう。
吉備大臣入唐絵巻には、邪馬台国時代にまで遡る、日本の外交史が隠されているのだと言います。

倉西裕子は、中華王朝の覇権主義に屈することなく日本の独立を護ってきた先人たちを、高く評価しています。
彼女の愛国の志には大いに共感しますが、平清盛の日宋貿易を全否定するのは鎖国主義ではないのか、白村江の敗戦で日本を亡国寸前に追い込んだ天智天皇を絶賛するのは如何なものか、疑問を抱いたことも付け加えておきます。

(2月13日読了)★★★★

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posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 13:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>倉西裕子は、中華王朝の覇権主義に屈することなく日本の独立を護ってきた先人たちを、高く評価しています。

聖徳太子は、隋の煬帝に喧嘩を売ったと思うんですが(笑)。

資料に残っていないけど、日本はいろんな国があったと思うのです。
朝鮮半島は、聖徳太子の頃は、三カ国だったし、当時の日本政府と朝鮮半島政府の関係も複雑で、よくわかっていません。
例えば血縁関係とか・・・。
日本の戦国時代も国境や血縁関係が複雑でした。

だから現在の国土で日本国の国境を考えると、中国政府の主張と同じパターンになると思うんです。

Posted by おおくぼ at 2010年02月21日 00:10
安土桃山時代までの日本は統一国家ではなく、それ以前の日本を統一国家と呼ぶのは、チベットやウイグルを自国の領土と主張する中国共産党と同じだとのご意見ですね。

京都の朝廷と鎌倉幕府は、日本にふたつの国家があったようなものです。
しかし源頼朝は、天皇の宣旨を得て官軍となり、朝敵である平氏や奥州藤原氏と戦いました。
頼朝には朝廷を倒す武力があったでしょうが、そうはしませんでした。
頼朝といえども天皇の権威がなければ、全国の武士団を服従させることが出来なかっただけかもしれません。
逆に言うと、日本が天皇を戴いたひとつの共同体という意識はあったことにもなります。

実質的な支配力が日本全国に及んだのは、おおくぼ様がおっしゃるように「天下統一」以降でしょうが。
Posted by 管理人 at 2010年02月22日 02:32
天皇という存在は不思議ですね。
武力ではなく、象徴的な力の方が強かったのでしょう。
だから、象徴天皇制は、伝統的なのかもしれません。
天皇が神であるのは、象徴天皇制と矛盾しないのです。

ただ、天皇の起源は重要だと思います。
例えば、岸田秀さんの『歴史を精神分析する』(中公文庫)の中の「日本は百済の植民地だった」は、全面的に賛成できる仮説ではないのですが、考えさせられる内容です。

ただ天皇の起源についての実証研究は、古墳を掘らないとわからないでしょう。

Posted by おおくぼ at 2010年02月22日 20:06
ヤマト朝廷の「大王」は武力による支配者だったかもしれませんが、「天皇」は世俗の権力から超越した存在です。
世俗の支配者が交代しても、天皇が存在する限り、世界は断絶することなく時を刻み続ける…天皇というシステムは、もの凄い先人の知恵です。
天皇が神であることと、象徴天皇制は矛盾しない−私もそう思います。
Posted by 管理人 at 2010年02月24日 21:23
天皇は、国が混乱した時に、必要になる水戸黄門の印籠のような存在だと思うのです。
足利尊氏が北朝を立てたり、織田信長が天皇を利用したり、幕末で薩摩藩が神道を国教にしようとしたり・・・。

そういう点では承久の乱は不思議です。
崇峻天皇暗殺も不思議です。
壬申の乱も不思議ですけど。
Posted by おおくぼ at 2010年02月25日 19:24
後鳥羽院の承久の乱、後醍醐天皇の建武の親政、天皇に統帥権があった大日本帝國憲法…日本の歴史上、天皇に武力があった時代は例外であり、いずれも戦乱の世となりました。
象徴天皇は、日本国の叡智です。
Posted by 管理人 at 2010年02月28日 18:40
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