2010年04月18日

邪馬台国はどこへ行った?

邪馬台国はどこにあったのか、未だ論争は尽きませんが、邪馬台国がその後どうなったのかも気になります。
邪馬台国が発展して、そのまま大和朝廷となったのか?
それとも邪馬台国は、大和朝廷に併合されたのか?



邪馬台国の滅亡

邪馬台国の「その後」をテーマに掲げる一冊。
それは大和朝廷の成立過程を探ることでもあります。

まず邪馬台国とは、三世紀前半に魏王朝と交渉のあった国です。邪馬台国の位置は、当時の日本列島でどこが先進地域だったかとは直接関係がありません。
倭人伝には、帯方郡から邪馬台国までの距離と、所要日数が記されています。「水行十日・陸行一月」という日程は別として、里数から畿内には到底及ばず、方角・地理からも邪馬台国は九州北部にあったとするのが本書の見解です。

邪馬台国を解き明かす手掛かりとして、本書が重視するのは『古事記』と『日本書紀』です。
もちろん、記紀の記述が全て真実だとはいえませんが、なんらかの史実の反映であると考えられます。崇神天皇による四道将軍の派遣は、一地域王権に過ぎなかった大和朝廷が勢力を拡張するプロセスです。
記紀によれば、景行天皇と仲哀天皇の時代に九州へ遠征しています。本書は、これを大和朝廷による邪馬台国征服戦争だとするのです。

著者の若井敏明は、奈良県生まれ。邪馬台国論争にありがちな地元贔屓が全くないのは好感がもてます。
記紀重視とはいっても皇国史観に陥ることなく、アメノヒボコ伝承を踏まえて、渡来人が日本列島に地域王権を樹立していたことにも言及しています。ただ、大和朝廷が「全国を統一した」という表現には同意できません。
私は「三世紀の最も大きな遺跡が邪馬台国だとは限らない」と考えているので、本書のような九州説の反撃に注目しています。

(4月13日読了)★★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
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太陽の道
鏡よ鏡…
邪馬台国は、ここにある。


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 14:02| Comment(2) | TrackBack(1) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
邪馬台国じゃない国も、当時の日本にはたくさんあったのに、どうして邪馬台国だけが圧倒的な人気なのでしょうか?
『三国志』に載っているからでしょうか?

朝鮮半島とは海を隔てているけど、別の国だったのでしょうか?
Posted by おおくぼ at 2010年04月18日 16:00
邪馬台国の人気は圧倒的ですね。
日本の歴史上の人物で、最も認知度が高いのは卑弥呼だそうで。
狗奴国ファンはいないのでしょうか?(笑)

本書は、伊都国王の出自は朝鮮半島であり、北部九州の小国家は渡来人によって樹立されたものが少なくなかったと書いています。
著者の若井敏明は、神武東征を科学的に検証すべしと発言したことで、学会で非難されたそうです。しかし、記紀の記述を鵜呑みにしているわけではなく、東北地方(会津)にまで到達したとされる四道将軍は、実際には越前・美濃・尾張止まりだったとしています。
その一方で、大和朝廷による「全国統一」という表現を使うのは、余りにも違和感があります。これは本書のマイナス点ですね。
Posted by 管理人 at 2010年04月18日 17:19
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