2010年06月27日

貴族将軍の苦悩

歴史ネタが多くなっている、不純文學交遊録。
小学校4年生の頃、邪馬台国論争の存在を知ったのがきっかけで、私は歴史の世界に足を踏み入れました。
一番最初に好きになった歴史上の人物は、源頼朝です。平家物語などに描かれた源平の争乱のダイナミックさと、武家政権を創出した人物像に強く興味を惹かれました。



山川出版社の『日本史リブレット・人』に、待望の源頼朝が加わったので読んでみました。
鎌倉幕府を開いた頼朝は、武士でありながら京にあって貴族化し堕落した平氏に対し、東国に武士による武士のための社会を築いた人物と評されています。
しかし実際の頼朝は、京の貴族社会で生まれ育ったのであり、東国とは全く無縁でした。皮肉にも平治の乱に敗れて伊豆へ流されたことで、頼朝は初めて源氏ゆかりの東国の地を踏んだのです。

平氏打倒の兵を挙げた頼朝のもとに、かつて父・義朝と主従関係を結んでいた東国武士たちが馳せ参じます。しかし彼らの真の目的は、頼朝を主君に担ぐことで、自らの領地の安堵を図ることでした。西国まで遠征して平氏と戦うことには、消極的だったようです。
ただし藤原氏を滅ぼした奥州合戦は、東国武士にとって領土拡張のチャンスであり、積極的に参戦したと考えられます。

豊臣秀吉・徳川家康など後世の武将から崇拝された頼朝ですが、物語に華々しく描かれた弟・義経に比べると、世間一般での人気は高くありません。
どうも私は、主役よりも脇役に感情移入しやすいようで…。敵役である平清盛についても、日宋貿易による経済振興を評価しています。
なお、平家物語で名高い一の谷の戦いの鵯越は、近年の研究では義経ではなく、摂津源氏の多田行綱によるものだそうです。

(6月27日読了)★★★★

【不純文學交遊録・過去記事】
サンチンセイコウブ
卑弥呼は箸墓に眠るのか?


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 23:27| Comment(8) | TrackBack(0) | 歴史・民俗交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は邪馬台国人気に対しては「変!」と思っています。
たまたま『三国志』に記載されただけでは?と思うのです。
日本列島を統一した訳ではないし・・・。

でも卑弥呼=天照大御神=神功皇后説は魅力的です。
もしかしたら、初代天皇は卑弥呼だったのかもしれません。



>豊臣秀吉・徳川家康など後世の武将から崇拝された頼朝ですが

特に家康が尊敬していた人ですね。
信長が足利義教を尊敬したように偉人のモデルですね。
武田信玄も征夷大将軍になろうしていたという説もありますが・・・。

頼朝は浮気性だったので、奥さんの政子の怒りは凄かったそうで・・・。
結局、鎌倉幕府は北条家にのっとられるし。



明智光秀や天海なんかも、再評価してもいいでしょう。

水戸光圀は、かなりひどい殿様だったらしいし、後世のイメージは事実から乖離する傾向があるのでしょう。
Posted by おおくぼ at 2010年07月01日 00:12
邪馬台国になぜそんなに人気があるのか、冷静に考えてみると不思議ですね。
おっしゃるように、日本で最初の統一国家ではありませんし、皇室とのつながりも、あるのかないのか分かりません。
女王だから?場所が分からないから?
でも日本のルーツを探るうえで、邪馬台国は無視できない存在だと思います。

源頼朝は「英雄色を好む」の一例ですね。
ただ、京の公家社会では一夫多妻は普通でしたが、地方の武士社会はそうではなかったのかもしれません。このへんも頼朝は貴族的な感じがします。

Posted by 管理人 at 2010年07月03日 00:46
邪馬台国人気というのは、歴史が浅いみたいです。
それ以前にもマニアの間では細々とあったと思いますが・・。

参考

『オカルトの惑星(1980年代、もう一つの世界地図)』(青弓社)
に原田実さんが書いています。

中国の歴史書に邪馬台国よりも古い「日本の王国」について書いてないか?気になります。

ところで朝鮮半島の好太王碑と邪馬台国は結びついてもいいと思うのですが・・・。

Posted by おおくぼ at 2010年07月03日 22:37
邪馬台国については、新井白石や本居宣長らマニア(?)が論じていますから、歴史の長い論争だと思います。

好太王(広開土王)と邪馬台国が関係するかどうかはわかりませんが、前田晴人氏は、初期ヤマト王権は卑弥呼以来の女王制(非世襲)だったが、朝鮮半島への出兵により王は軍事指揮官となり、世襲の男系王権になったと主張しています。つまり、それまで天皇はいなかったと言うのです。
ただ、前田氏の著書には強引に感じられる部分もあります。
Posted by 管理人 at 2010年07月05日 01:58
戦前は、神功皇后と豊臣秀吉は人気がありました。

両方とも、朝鮮出兵なので。

戦後は戦前の反動がある気がします。

「天照大御神が誰なのか?」は気になります。
Posted by おおくぼ at 2010年07月05日 18:21
戦後になって人気が出たのが、織田信長や坂本龍馬というわけですね。

天照大神が卑弥呼なら、狗奴国王の卑弥弓呼も神話のどこかに出ているはずだと思います。

天照大神は持統天皇というのも、ひとつの答えだと思います。
Posted by 管理人 at 2010年07月06日 21:36
>天照大神は持統天皇というのも、ひとつの答えだと思います。

『古事記』にしても『日本書紀』にしても、編纂する時に、時の政権に都合のいいように改変されているからではないでしょうか?

編纂の元になった資料が出てこないことには、検証できないのが辛いですね。

やはり古墳を掘らないと。
Posted by おおくぼ at 2010年07月07日 09:42
最近、古墳を上空から3D測量できるようになったそうです(橿原考古学研究所とアジア航測)。でも、形や大きさだけでは不十分ですね。
ただ、実際に発掘しても副葬品は盗掘されていると思いますが。

皇祖神アマテラスに、持統天皇のイメージが重ねられているのは確かでしょう。持統=皇統を維持するというネーミングも意味ありげです。
本来、太陽神は男性だったのが、持統天皇を権威付けるために女神になった可能性もあります。
もちろん、ヤマト朝廷成立以前に実在した女性権力者(卑弥呼?台与?神功皇后?)が、そのままアマテラスになった可能性も否定できません。
Posted by 管理人 at 2010年07月07日 22:15
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