2012年10月01日

仲麻呂VS東大寺

9月30日の午後は、福井市立みどり図書館の開館20周年特別講演会を拝聴しました。
荘園絵図から見た福井の歴史と題して、福井市立郷土歴史博物館の田中伸卓学芸員が講演。

福井市立みどり図書館のある福井市社地区は、今から約1200年前の奈良時代、越前国足羽郡の道守庄と呼ばれる荘園でした。
律令制度下において庶民には口分田が与えられましたが、税負担が重いため、田を捨てて逃亡する者が少なくありませんでした。そこで朝廷は、自ら開墾した田の私有を認める墾田永年私財法を制定します。これが荘園の始まりです。
都に近い越前国は、朝廷の重要な穀倉でした。道守庄は東大寺の荘園となり、大仏建立の財源となりました。一方、藤原仲麻呂(恵美押勝)は豊かな越前国を我がものとすべく、息子を国司として送り込みます。
足羽郡では、大領の生江臣東人と小領の阿須波臣束麻呂が、勢力を競い合っていました。生江臣東人は、かつて造東大寺司史生として勤務していた東大寺側の郡司です。対立する阿須波臣束麻呂は、藤原仲麻呂側の郡司となります。

藤原仲麻呂が朝廷の権力を握ると、東大寺の権益を圧迫します。しかし仲麻呂は、恵美押勝の乱で敗死。越前国の荘園は、ふたたび東大寺のものとなりました。地方役人は権力者が変われば従うしかない立場なのですが、東大寺は仲麻呂政権下での郡司の行為を厳しく尋問します。
生江臣東人は、東大寺の勢力が衰えた隙に私腹を肥やしていたことが判明しました。東人は二度に渡る出頭要請に応じなかったのですが、一度目は神社の春祭りで酒に酔っていたから、二度目は高齢になり病気で療養していたからだと弁明しています。
一方、阿須波臣束麻呂は、東大寺の用水を使っていたとして責められました。これに対し、束麻呂は用水は公私共用であると反論しています。律令の規定では、束麻呂の主張が正しいそうです。

これらの出来事は、正倉院に伝わる荘園絵図や古文書から浮かび上がってきました。奈良時代の中央政界については記録が豊富に残っていますが、地方官人の実態を伝える史料は極めて貴重です。
【関連サイト】
図説福井県史

【不純文學交遊録・過去記事】
古代越前の文字


posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近、自分のブログに『のぼうの城』の感想を書きました。
歴史モノについて書いたのは久しぶりです。
忍城の近くには古墳があるそうですね。

福井県についてはよく知りません。
埼玉県の忍城も知りませんでした。
何かのキッカケで地方が注目されるとおもしろいです。
世界に向けて、外国語でアピールするといいかもしれません。
Posted by おおくぼ at 2012年11月21日 22:56
映画『のぼうの城』は、昨年に公開するはずでした。城の水攻めが津波を連想させるため、東北地方太平洋沖地震の被災地に配慮して延期されたそうです。

私はずっと奈良・京都は歴史の宝庫で羨ましいと思っていましたが、身近にある史跡を見ないで余所を羨むのは筋違いだと考えを改め、地方の歴史に目を向けるようになりました。

のぼう様の忍城は、ワカタケル大王の鉄剣で有名な稲荷山古墳のある埼玉古墳群の近くだったんですね。知りませんでした。
Posted by 管理人 at 2012年11月22日 20:55
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